第100話 片岡との師弟関係

加茂坂かもさかさん、どうぞ」


「あぁ……、わりぃな」


 受け取る動作ももどかしく、俺は木製のコップに注がれた水を一気に喉の奥へと流し込んだ。


 ――ゴッ……ゴッ……ゴッ……


「ぷはぁ……」


 酔いの回った体に、酸味のある水がジワリとしみ込んで行くのが良く分かる。

 やっぱ、明るいうちから飲む酒はまわりが早ぇなぁ。


 そんな、どうでも良い事を考えながら、コップ片手に夕日の差し込む部屋の中を軽く見回してみた。


 総大理石で作られた割とシンプルな部屋。

 ちょうど入り口の反対側。

 中庭に面した部分には、明かり取り用の窓がしつらえてあって、夕日はこの窓から差し込んでる様だ。


 まぁ大理石……って言やぁ聞こえは良いが。

 寝泊まりだけとは言っても、これはちょっとなぁ……。


 エントランスホールの豪華さと比べて、部屋の内装や備品はかなり簡素だ。

 確かに壁にはフレスコ画っぽい絵も描かれちゃいるが、装飾と言ってもその程度。

 もう少し小綺麗な壁紙ぐらい、貼っておけば良いのになぁ。

 これだったら都内の安っすいビジネスホテルの方が、よっぽど粋な感じがする。


 それに、部屋に置いてある家具は、恐らく籐かなんかで作られた簡易的なベッドだけ。

 当然のように、テレビも無ければ、冷蔵庫も置いて無い。

 だいたい、照明が見当たらねぇんだよなぁ。

 電気は来てんのか? 電気は。

 まぁ、渡航前にある程度、話には聞いていたが、流石にこのカルチャーギャップには驚いた。


 金の掛け方がかたより過ぎてんだよなぁ。


 広さは……そうだなぁ。十畳はないんじゃねぇかなぁ。八畳ぐらいか?

 あぁ? 八畳じゃ分からんってか。

 たたみ八枚分だ、八枚分。


 んぁ? たたみってなんだ? ってかぁ?

 これだから今時の若いヤツラは困るっつーんだよ。

 畳八枚って言ゃあ、四つぼだろ。なぁ、四坪。


 えぁ? もっとわかんねぇってぇ?

 くわぁぁ、ホント、面倒くせぇなぁ、もぉ。

 平方か? 平方メートルで言やぁ良いのか?

 だとすりゃ、だいたい十三平方メートルぐらいだな。

 ビジネスホテルのシングルルームと同じぐらいと思やぁ良い。

 まぁ、寝るだけだし、部屋の大きさなんか気にするな……って事なんだろうけどな。


 それはさておき。

 およそ二時間ほど前、エントランスホールで突然始まった陳情ちんじょう攻勢に翻弄ほんろうされまくっていた俺は、最初に声を掛けてくれたベルガモン王国の宰相補の取り計らいで、取引のある豪商を含む晩餐会ケーナへと招待される事になったんだ。


 本来なら片岡も連れて行ってやりたいところだったが。

 残念ながら、その時はまだ片岡も眠ったままだったし、どうも紅麗ホンリーちゃんの話では、晩餐会ケーナってヤツに出席できるのは、主催者の嫁を除けば男だけと言う風習があるらしいからな。

 食道楽の片岡はには大変申し訳ないが、俺一人で参加させてもらう事にしたのさ。


 晩餐会ケーナと言っても、出席者は全部で十名足らず。

 コの字型に並べられたレクトゥスと呼ばれる大きなベッドにそれぞれが横たわり、次々と配膳されてくる大皿料理を皆で食うと言う、結構大胆なスタイルだ。


 食事は全て手掴み。

 右手で取って食うとか、骨や貝殻はそのまま床に捨てて良いとか。

 結構細かいテーブルマナーもあるみたいだが、紅麗ホンリーちゃんが特別に手配してくれた侍従の手ほどきもあって、特に恥をかく事もなく異国情緒いこくじょうちょってヤツを十分堪能たんのうする事が出来た。


 晩餐会ケーナの主な話題はベルガモン王国が貿易国家って言うだけあって、世界各国の特産品の話にはじまり、土地土地の風土や風習の話なんかを面白おかしく聞かせてもらったな。

 特に面白かったのは、エルヴァイン将軍の話だ。

 過去にあった大きな会戦や、攻城戦の話がやけにリアリティにあふれていてなぁ。

 彼の語る壮大な戦国絵巻は、地元の豪族たちにも大うけで、拍手喝采はくしゅかっさいを受けていたっけ。

 まるで本人がその場に居たかの様な口ぶりに、思わず『なんでやねん!』とツッコミを入れたくなったのは、俺だけじゃないだろう。


「ん?」


 ふとここで、部屋の片隅で小さく体育座りをする片岡の姿が目に入った。


「片岡ぁ、どうだ、体の具合はもう良いのか?」


「あぁ……はい」


 もともと表情が乏しく、言葉数も少ない片岡だが、それにもまして元気が無い様に見える。


 どうしたんだ? 片岡にしては珍しいなぁ。

 と、ここで俺はある事に気が付いた。


「そう言えば片岡、お前、メシ食ったのか?」


「あぁ、はい。さっき紅麗ホンリーさんがこの部屋まで様子を見に来てくれまして。カチカチのパン二個と、なんか酸っぱい水をもらいました」


「カチカチって……」


 確かに部屋の隅の方には、小さなカゴが一つと水差しが置かれている。


「なんだ片岡ぁ、腹ぁ減ってるのか?」


「いいえ」


 うそ言え。

 めちゃめちゃ血色の悪ぃ顔しやがってよぉ。

 日本人の女性にしちゃあ身長タッパもあり、日頃からモグモグと何かを食べてるイメージのある片岡の事だ。

 この元気の無さは、きっと腹が減ってるからにちげぇねぇ。


「俺達ゃ、これからヴェニゼロス大司教様ん所へ行かなきゃならねぇんだ。腹が減っては戦は出来ぬって言うだろ。残りモンで悪ィが、これでも食って元気出してくれ」


 本来、晩餐会ケーナってヤツは、二部構成になっていて。

 第一部が食事会。第二部が飲み会と大きく分けられているそうだ。

 もちろん、第一部の食事会でも酒を飲むには飲むが、第二部ほどでは無いらしい。


 もともと俺は日没以降にヴェニゼロス大司教様からの枢機卿団としての諮問しもん会が予定されていたからな。第二部の飲み会には参加せず、第一部の食事会だけで帰って来たと言う訳だ。


 ちなみに、出席者は晩餐会ケーナに参加する際にナプキンマッパエを預けておくのが礼儀だそうだ。そして、帰り際には余った料理をナプキンマッパエに包んで持たせてくれる。

 侍従の話では自宅で待つ奴隷の為にって事らしいが、まぁ世の中の父ちゃんが、家で待つ母ちゃんの為に寿司折りを持って帰るって話と、感覚的に大差無いだろう。


 俺はそんなナプキンマッパエつつみを、片岡の目の前へと差し出した。


「ほら、食えよ。結構美味うまかったぞ」


「はぁ……」


 なに遠慮してんだよ。片岡のクセによ。


「私……こっちに来てから、ぜんぜんお役に立てて無いですし……」


「なんだ、そんな事気にしてたのか。気にすんなよ。まだ初日だ。お前の仕事はまだまだこれからだぜ」


「でもぉ……」


 だから、ナニ遠慮してんだっつーんだよ。片岡のクセによぉ。

 確かにいきなりこの国に来て、早速一服盛られて眠ってました……じゃあ、確かに笑い話にもならねぇが。

 しっかしコイツ。

 図太そうに見えて、意外と繊細な所もあるんだなぁ。


「気にするなよ。ほれ、食えよっ!」


「でもコレ、残り物……でしょ? 私、そう言うのは衛生的にちょっと……」


 と、怪訝けげんな表情を見せる片岡。


 そっちかよっ!

 手前てめェ、ナニ繊細ぶってんだよ! って言うか、変な所が繊細だなぁオイッ!  それより、もっと仕事のミスの方を後悔しろよっ! 腹ペコ片岡のクセによぉ!


「ガタガタ言ってねぇで、さっさと食え。そして仕事に行くから準備しろっ!」


「はぁ……」


 とかなんとか。

 気の無い返事を繰り返してた片岡だったが。

 しばらくすると。


加茂坂かもさかさん、これ、意外と美味しいです。ほら、見て下さいよ。伊勢海老入ってますよ、イセエビ。どうですか。加茂坂かもさかさんも、この尻尾の端の所、一つ分けてあげましょうか?」


 分けてあげましょうかじゃねぇよ。

 しかも尻尾の端ってどう言う事だよっ。

 それ、俺がもらって来たヤツじゃねぇかよっ!


 そう言えば、なんやかんやで俺も晩餐会ケーナの時は緊張してたんだろうな。

 進められるまま酒はそこそこ飲んでいたんだが、食事の方はと言えば、そんなに食った覚えが無ぇ。

 確かに、何の遠慮も無く、俺の目の前で堂々と海老ミソをすすり上げる片岡が少しうらやましくもある。


 なんか、ちょっと小腹が空いて来たな。


「んだよぉ、そんじゃ、その海老、一つくれよ」


「しょうがないですね。一つだけですよ」


 だから、それは俺がもらって来たモンだっつーの。


 ちょっと嬉しそうな片岡を完全に無視。

 俺は片岡の目の前に広げられたナプキンマッパエの中から、海老の身を一つ摘まもうとしたのだが。


「あ、ちょっとっ!」


「んだよっ! 今さらダメだっつぅのかよ」


「いや、加茂坂かもさかさん、それだと手が汚れます。私がまみますんで」


 そう言うなり、片岡が海老の身を一つ摘まんで俺の目の前へと差し出して来た。


「おぉ、そうか。わりぃな」


 まぁな。

 もともと手掴みがマナーだとしても、手自体は後で洗う必要がある。

 日本みたいに、蛇口をひねれば水が出て来る……ってな感じの環境じゃないからな。ここは片岡の言葉に甘えて、食わせてもらうとするか。


「はい、あーん」


「あーん……」


「……お取込み中、スミマセン」


「「うぉぉっ!」」


 そそそ、その声は、紅麗ホンリーちゃん!


「あぁ、どうぞそのまま。お気になさらず続けて頂いて結構です。ただ、この後も予定がございますので、このまま夜伽よとぎに移られては困るな……と思い、無粋ではございますが、お声がけさせていただきました」


 そんな紅麗ホンリーちゃんの眼差しは、思いのほか生暖かい。


 考えて見りゃ、アラサーの女がアラフォーの男に海老の身を食べさせているって状況なんざ、既に軽い介護現場だ。

 そりゃ、年端も行かぬ少女の紅麗ホンリーちゃん的には、目の毒と言うより、暖かく見守ってあげよう……との想いが湧きあがって来るのも、分からないでは無い。

 でも、後半に夜伽よとぎとか言わなかったっけか?

 ん? まぁ、それは良いか。


「どした、紅麗ホンリーちゃん、もう時間か?」


 多少の気恥ずかしさも手伝って、慌てて腕時計を見ようと腕のトガをめくりあげてみるのだが、もちろん左手にそんなものはめていない。

 そう言えば、日本を出る時に全部ロッカーへと預け入れたままだ。


 そうだ、そうだ。

 まだ夕方だと安心しきっていたが、ここは日本じゃ無いんだよな。

 時間もおおよそでしか決まっていないし。


 特に、市井しせいの者たちから見れば俺は教団の高位聖職者だが、これから参加する枢機卿団の諮問会しもんかいの中では決して高い地位に居る訳じゃ無い。

 下っ端は早めに会場入りして、他の人を出迎えるぐらいの覚悟が必要って事だろう。

 俺は自分の顔を両手で軽くはたきながら、あらためて気合を入れ直した。


「はい。間もなくお時間となります。枢機卿団の諮問会しもんかいは日没後となっておりますので。また、お食事ですが夜食ウェスベルナ振舞ふるまわれますのでご安心下さい。また、従者や奴隷の方々にも別室ではございますが、食事の用意がございます」


「おぉ。そうか。それは助かる、なぁ片岡」


 実際問題、俺はもうある程度食って来たから別に良いんだが、片岡はこの程度の残り物だけじゃ、ぜんぜん空腹は満たされんだろうからな。


 そう思いながら、目の前の片岡に視線を移すと、そこには、いままさに綺麗な土下座を絶賛敢行中の片岡の姿が。


「うぉっ!」


 どうした片岡っ! 一体何があったんだ片岡ッ!

 そう言えば、片岡は庭園で紅麗ホンリーちゃんに横っ腹殴られて気絶させられた事があったからなぁ。

 険悪な状況になってんじゃねぇかと思って心配してたんだが、どうやらその心配は無さそうだ……って言うか、完全に無条件降伏してんじゃねぇか。

 なんだ、なんだ? 紅麗ホンリーちゃんって、そんなに強ぇのかぁ!?


「師匠! 先程は大変参考になるご高説をたまわり、誠にありがとうございました。この片岡、紅麗ホンリー師匠にご教示いただきましたねやの技の数々、必ず習得して御覧にいれたいと思います」


「えぇ。是非、精進なさって下さいね。それでは加茂坂かもさか様、そろそろ参りましょうか」


「おっ、おおぅ。 そんじゃ、行くとするかぁ」


 俺の視界の端で、テキパキと準備を開始する片岡。

 さっきまでのどんよりとした雰囲気は微塵みじんも無い。


 おいおいおいっ!

 なんなんだよ、この師弟関係はよぉ!

 武術の師弟関係じゃなくって、ねやの技の師弟関係って!


 俺がいなかったこの短時間で、二人の間に一体どんな師弟関係が創り上げられたってんだよぉ!


 めちゃめちゃ!

 めっちゃめちゃ、気になるじゃねぇかよおぅ!!

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