第98話 アラフォーの咆吼

「で? 結局若頭カシラCORE真衣まいに渡したのか?」


 例の部屋へと向かう道すがら、来栖くるすさんとの話題は真衣まいの生い立ちの話から始まって、若頭カシラCOREの件へと移って行った。


「えぇ、渡しましたよ。元々真衣まいの目的もソコにあった訳ですし」


「なるほどなぁ。つまり真衣まいは、自分の父親を死に追いやった原因が若頭カシラだったんじゃねぇか? って今でもうたぐってる訳だ。そこで若頭カシラCOREを手に入れて、それが事実なのかどうかを確かめたい……って事かぁ。ま、確かに女を寝取った上に、その旦那を借金漬けにして追い込むなんざ、若頭カシラのヤリそうな手口だわなぁ」


「えぇ、まぁ……そうですね」


 本当のところを言えば、もう少し話は複雑ではあるんだけど……。


 なにしろ僕は若頭カシラだけでなく、真衣まい本人や真衣まいの母親のCOREまでをも所持している。

 つまり、三人の記憶を自由に確認する事が出来ると言う訳だ。


 その上で、一体誰が悪者なのか? と言うと……。


 まぁ、そんな事はどうでも良いな。

 そこまで来栖くるすさんに細かく説明する必要は無いし、若頭カシラに対する義理も無い。


 心のどこかに、小さなわだかまりが生じている事は十分理解しつつ、少なくとも今の段階で若頭カシラをフォローする気には到底なれないと言う事だ。

 とにかく若頭カシラが悪人である事に違いは無いのだから。

 それは動かざる事実と言って良い。

 となれば、それ以外の事は全て些事さじだと言ってもさしつかえないはずだ。


「一応聞いてみるが……若頭カシラは黒だった……んだよなぁ」


「えぇ……真っ黒でしたねぇ。若頭カシラも当時はまだ若かった様ですから。実際に自分で手をくだしてますし」


「そっかぁ。となると感情に任せて、真衣まいはもう若頭カシラをヤッちまってるかもしんねぇなぁ……。それはそれで、仕方ねぇか。しっかし、お前のその能力はスゲェな。単なる変身だけじゃなくて、相手の記憶も読めるなんてなぁ……マジ最強じゃねぇか」


「いえいえ、そんな事ありませんよ。相手が見せたくない記憶は、暗号化されたように見る事は出来ませんし。それに、古い記憶ほど欠落が多くて、要領を得ない事も多いですし」


「ははぁ……そんなもんかねぇ」


 とここで、来栖くるすさんがふと何かに気付いた様子で。


「となるとさぁ。やっぱ若頭カシラCOREを渡したのは、ちょっとマズかったんじゃねぇのか? なにしろ、若頭カシラの記憶の中には真衣まいの母親の記憶も含まれてるってこったろ? 流石にそれを実の娘が見るって言うのは、ちょっとハードルが高すぎやしねぇかって思う訳よぉ」


 この人。

 大雑把おおざっぱに見えて、意外と痛い所を突いて来るなぁ……。


「……そうですね。でも幸いと言うか、何と言うか。若頭カシラの中では真衣まいの母親の記憶って言うのは、さっきも説明した通りかなり欠落している事が多くてですね。実際に真衣まいがそれを見たとしても、あまり影響はないだろう……と言う程度の記憶だったんですよ。まぁ、恐らく若頭カシラにとって、真衣まいの母親は取るに足らない存在と言うか……」


 なんて、説明はしたものの……。

 実際のところ若頭カシラの記憶の中には、真衣まいの母親の記憶がかなり含まれていたのは事実だ。

 特に、真衣まいの実の父親との関係についても、それなりの量の記憶が残されていた。


 それを見た時。

 流石の僕にもCOREの引き渡しに躊躇ためらいが生じたんだ。


 そこで、真衣まいCOREを渡す際には、少々入れさせてもらっている。

 そう、つまりそれは……『記憶の改ざん』。


 今回は時間も無かった事から、あくまでもヤバそうな記憶を削除しただけに過ぎないけど。やろうと思えば、もっと複雑な操作も出来るとは思う。


 それに、今回は気満々だった訳だからな。

 そうすると、COREの引き渡しなんて、ものの数分で完了してしまう所なんだけど。

 それを、わざわざ時間を掛けて、中身をチェックしながら引き渡した訳だからね。

 時間が掛かっても仕方が無かったのさ。


 そうなんだよ。仕方が無かったんだよ。

 決して真衣まいと時間をかけて、ねっちょり、しっぽり、ぐっちょりなエッチがしたかった訳じゃないんだからね。

 そうだからね。本当だからねっ!


「本当に、本当なんだからねっ!」


「ん? 何が本当なんだ?」


「あっ……あぁ、いや、別になんでもありません」


 やべ、思わず口に出ちゃった。

 とりあえず、この『記憶の改ざん』については、黙っておいた方が良さそうだよな。具体的に使える場面も限られてるし。

 まぁ、何からなにまで、僕の手の内をさらす必要も無いだろう。


「あ、えぇっと、あの部屋ですね。僕が先に中の様子を確認しますよ」


 僕はその場を取りつくろうかのように、部屋の方へと駆け寄って行った。


 ん? あれ? ドアがすこし開いてる。

 僕が部屋を出る時に、閉め忘れたのかな?


 バブルの頃に建設されたこの建物には、いまだ放置されたままの部屋が数多く残されているらしい。ただ、その中でもこの部屋は、組の幹部連中が来た時にも使えるようにと、比較的整備された上等じょうとうな部類の部屋だと聞いてたんだけど。


 上等な部屋つっても、結構古い建物だしなぁ。

 それにまぁ、あれだけ派手に真衣まいとパコパコやってりゃ、ドアの一つぐらいガタが来たとしてもおかしくは無いよな。たはははは。


 そんな他愛たわいも無い想いを胸に、僕は軽い気持ちでドアノブへと手を伸ばしたのさ。


 だけど……。


「うっ!」


 ドアの隙間から溢れ出すのは、いまだかつて感じた事の無いほどの濃密のうみつ臭気しゅうき

 そのあまりのおぞましさに、ドアノブを握る手が一瞬のうちに凍り付いてしまう。


「くっ、来栖くるすさん……これって」


犾守いずもりぃ、ちょっとソコどいてろ」


 そう言う来栖くるすさんの右手には、いつの間にか鈍色にびいろに輝くベレッタM9が握られていて。

 しかも彼は自らの背中を壁へ預けると、左足を使って器用にドアをこじ開けてみせた。


「うぅ……ぅうっ……」


 かすかに聞こえる女のうめき声。


 僕がこの部屋を出たのは、今からおよそ小一時間ほど前だ。

 その時点でこの部屋には狭真会きょうしんかい若頭カシラである立花、それに真衣まいとその母親の三人しかいなかったはず。

 と言う事は、この声の主は真衣まいか? それとも母親の方か?


 開け放たれたドアの影から、恐るおそる部屋の中をのぞき込む二人。


 部屋の明かりは、ベッドサイドに置かれた間接照明のみ。

 そんな薄暗い部屋であるにもかかわらず、なぜか床に敷かれた絨毯じゅうたんだけが、場違いな程にてらてらと輝いていて。


「血か……」


「……ですね」


 高級絨毯じゅうたんの厚みをもってしても、その全てを吸収する事が出来なかったのだろう。

 そこかしこには、かなり大きめの血だまりが複数出来上がっているようだ。


 ――ピチョン……ピチョン……


 雨だれにも似たしずくの音。

 その音に合わせ、血だまりの一つに小さな波紋はもんがゆっくりと広がって行く。

 どうやらこの血だまりは、今まさに現在進行形で作り出されている所なのだろう。


犾守いずもり……見てみろ」


 来栖くるすさんのあごが指し示す方向。

 それは、ベッドの向こう側。

 丁度そのはじのあたりからわずかにのぞき見えるのは、人の足首に他ならない。


 誰がやられたんだ? 死んでるのか?

 いや、うめき声が聞こえると言う事は、まだ死んではいないと言う事か?

 それにしても、いったい誰が?


 状況確認は既に十分と判断したのか、それとも単に業を煮やしただけなのだろうか。

 来栖くるすさんが銃を正面へと構えたまま、静かに部屋の中へと入って行った。

 僕もそれに遅れじと後に続くのだが、この期に及んで初めて自分が丸腰である事に気付く。


 チクショウ、何か武器か防具を持ってくるんだったな。

 せめて木の棒一つでもあれば良いのに。


 もちろん、自分の主要戦力は壱號いちごう弐號にごうだ。

 仮に棒きれ一つ持っていたとしても、大した力になりはしない。

 とは言え、流石に手ブラと言うのもどうなんだ?


 いくら自動治癒オートヒーリングの能力を持っているとは言え、即死につながる攻撃を受ければ一発でアウトだ。

 せめて壱號いちごう弐號にごうをBootするまでの間、相手の攻撃をしのぐための手段が欲しい。


 僕は部屋へと入り込むなり、壁際に置かれていた花瓶へと手を伸ばした。


 無いよりはマシ……と言ったところだな。

 イザとなったら、力いっぱい相手にぶつけてやる。


 防御力こそ人並みだが、筋力自体は確実に向上している。

 そんな僕が力いっぱい花瓶を投げつけたとすれば、相手だって軽いケガだけでは済むまい。


 僕は陶器の花瓶を両手で抱え、用心深く来栖くるすさんの後を追って行った。


「おいっ、そこに居るのは真衣まいか? 真衣まいなのか? 大丈夫か? 返事……出来るか?」


 来栖くるすさんが銃を構えたまま、ベッドの向こう側へと声を掛ける。


 すると。


 ――ゴソッ、ゴソゴソッ


 なにやら身動みじろぎをするような音が。

 やがて、僕たち二人が固唾かたずを飲んで凝視ぎょうしする中。

 ゆらり……と黒い影が立ち上がった。


「うぐっ!」


 精気の無い顔。

 うつろな瞳。


 突然目の前に現れたは、幽霊ゆうれいやそれこそ魔獣のたぐいでは一切無い。


 人だ……。


 正真正銘の人間で間違いない。


 僕たちの目の前で亡者もうじゃの様に立ち尽くす痩せぎすの

 ただ、その全裸の体は、本人のモノとも返り血とも分からぬ、大量の鮮血によって朱に染まり。

 右手には小型のナイフ。

 左手には、足元に転がるから取り出したばかりと思われる臓物ぞうもつを握りしめていた。


「動くなっ!」


 来栖くるすさんがすかさず、目の前に立ちはだかるに向かってベレッタの照準を定める。


 しかし、来栖くるすさんの発する制止の言葉を完全に無視。

 ゆっくりとベッドを迂回うかいする形で、僕たちの方へと近付いて来た。


「止まれ! 止まれっ!!」


 ――パン! パン!


 たて続けに二発。

 乾いた炸裂音さくれつおんが部屋の中に響き渡る。

 打ち出された弾丸は、の脇腹をかすめるような形で、背後にあるベッドへと着弾。


「止まれ! 本当に止まらねぇと、次は脳天吹っ飛ばすからなぁっ! 聞こえてんのか? 聞こえてんなら、返事しろよぉ! 若頭カシラぁぁぁぁ!」


 若頭ひるむ様子は見受けられない。

 しかし、ようやく来栖くるすさんの言葉を理解したのだろうか。

 今は歩みを止め、ただ茫然ぼうぜん虚空こくうを眺めているのみ。


「やってくれたなぁ。いったい何処にナイフなんて隠し持ってヤがったんだ? って言うか犾守いずもりぃ! お前っ、部屋を出る時、若頭カシラを縛り付けておかなかったのかっ!?」


「えっ!? いやっ、あのっ!」


 そんなはず……そんははずは。

 僕が部屋を出る時、若頭カシラは間違いなく気絶していたはずで。

 しかも、僕がしっかりと両手、両足を縛り上げていて。

 それで、それで……。


 次々と『無責任な言い訳』が、思い浮かんでは消えて行く。

 だけど、一向にその思いが口をついて出る事は無く……。


「チッ! 今さらそんな事言っても始まらねぇ。犾守いずもりぃ、お前っ、ベッドの向こう側へ行って女の様子を確認しろっ! 息がある様なら、急いで例の病院に運び込むんだっ!」


「はっ、はいっ!」


 そうだ、まだ生きているかもしれない。

 真衣まいっ! そう、真衣まいだけでも生きていてくれればっ!


 僕は抱えていた花瓶を放り捨てると、若頭の脇をすり抜ける様にして、ベッドの向こう側へ駆け寄ろうとしたんだ。


 ――ガシッ!


 すると突然。

 若頭カシラが僕の右手を力いっぱいにつかんだのさ。


「えっ!」


 キリキリと締め上げて来るその力は、とても人並みの握力とは思えない。


犾守いずもりぃ、何してやがるっ! さっさと振りほどけっ!」


 来栖くるすさんからの当然の指示。

 獣人としての力を持つ僕や来栖くるすさんが、たかだか人間の力程度で行動を阻害されるはずが無いのだ。


 わかってる。それはわかってるんだけど。

 でも、若頭カシラの力は僕の予想を遥かに超えていて。


「えぇい、なにしてやがんだよ犾守いずもりぃ! 弾ぁ当たっても文句言うなよっ! お前だったら、一、二発ぐらいだったら死にはせんっ!」


 来栖くるすさんはマジで撃つつもりだ。

 この場の判断として、それは正しい。

 何しろ、人間の力で僕の事を拘束出来ている事自体、既に異常な状態だ。

 何か、予想外の事が起きているに違いない。

 でも予想外の事って?

 それって一体。


 ――ポロッ……


 その時突然。

 虚空こくうを見つめていたはずの若頭カシラの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


来栖くるすさんっ! ちょっと待った! マジちょっと待ったっ!!」


「なんだよ犾守いずもりぃ! 今さら怖気おじけづいたかっ!?」


 いや、違うっ!

 これって、これって!


来栖くるすさんっ! この人若頭カシラじゃないっ!」


「え? それじゃ、コイツ一体誰だよっ!」


 いまだ僕の右手を掴む男の手。

 その手から伝わりくる何か温かな波動に、僕は意識を集中させてみる事にしたんだ。


 憤怒、困惑、憔悴、憎悪、愛情、そして殺意……。

 様々な感情の激流が、一度に僕の中へとなだれ込んで来る。

 僕はそれら全ての感情を一つひとつ受け入れ、肯定し、そして……許した。


「うおっ……うわぁぁぁぁぁ……」


 せきを切ったかの様に号泣し始める若頭

 部屋中に響き渡るのは、四十を過ぎた男の咆吼ほうこうに他ならない。


 僕は若頭の頭を優しく抱き寄せ、静かに包み込んであげる。

 すると男はなすすべも無く、僕の腕の中で泣き崩れて行ったんだ。


「良いよ、泣いて良いんだよ、もう大丈夫さ、僕が付いてる……安心して……真衣まい

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