第97話 獣人の価値観

「それにしては、随分ずいぶんとお楽しみだったご様子じゃねぇか?」


 振り向きざまに彼が手渡してきたのは、れたばかりのコーヒー。

 それは、紙コップに入れておくには惜しいぐらいの芳醇ほうじゅんな香りをただよわせていた。


「まっ、まぁそうですね。ちょっと色々とありまして……えへへへ」


 確かに、そう言われても仕方が無い。

 今回の目的は若頭カシラCOREを入手する事。

 ただそれだけだったのだから。

 それさえ達成できれば、後は若頭カシラ身柄みがらなんて、レッサーウルフのえさにすれば良いだけの話だった訳で。

 つまるところ、真衣まいとしたエッチした分の時間が余計だったと言う事に他ならない。


「で? 若頭カシラCOREは手に入れたのか?」


「えぇ、無事入手出来ました。本来は真衣まいにヤッてもらうつもりだったんですけど、まぁ、ホントに色々とありまして、結局僕が手に入れる事にしたんですよ」


「ふぅん、そうか。どちらにせよ、手に入ったのならそれで良い」


 あまり興味なさげに、自分用のコーヒーをれ始める来栖くるすさん。

 彼的には、誰がどのように入手しようと、特に興味は無い様だ。


「しかし、こんなに上手くコトが運ぶとは思ってもみなかったな」


「そうですね。やっぱりヤクザ屋さんって腕っぷしが強いから、まさか自分が襲われるなんて、はなから思ってもみないものなんですかねぇ」


「いやぁ、そんな事は無いと思うぜ。確かにウチみたいな弱小所帯は上からの圧力があるから簡単に抗争こうそうなんて出来やしねぇが。それでも、年に何度かは近隣の組とのイザコザだって起こる。そん時ゃ、鉄砲玉の一つや二つ、覚悟が必要になるからよぉ」


 おぉ、鉄砲玉と来たかぁ。

 そう言えば、初めて組事務所に行った時も、すごい重装備の人たちに出迎えられた事があったっけ。


若頭カシラはああ見えて、かなり用心深い人だからな。いつも盾となる取り巻きを数人引き連れてて、一人にするのはなかなか難しいんだが……。それもこれも、お前が真衣まいの記憶を読んでくれたおかげって事になるな」


 その通り。

 今回の作戦は、真衣まいの記憶をのぞき見た事が切っ掛けだった。

 なんと、真衣まいの母親は、若頭カシラの情婦で、今も繋がりがあったのだ。

 来栖くるすさんも真衣まいの母親の方は知っていた様だが、こんなに大きな義理の娘がいるとまでは、聞いていなかったらしい。

 今回のゲームに参加させたのも、組の関連企業である闇金から金を借りていて、かつ風俗経験のある若い女……と言う事で、リストアップしたに過ぎない。

 しかも、本人説得に向かったその日、偶然にも夜逃げをしようとしていたらしく、あとくされの無い、まさにデスゲームにうってつけの人材であったと言う訳だ。


 そんな真衣まい情報記憶を元に、考えた作戦はこうだ。


 まず手始めに、真衣まいの母親を篭絡ろうらくする。

 将を射んとする者はまず馬を射よ……と言うヤツだ。


 とは言え、その真の目的は真衣まいの母親のCOREを入手する事にある。

 つまり、長い時間をかけて恋仲になる必要性は無く、行きずりの恋、一夜限りの情事で十分と言う訳だ。

 来栖くるすさんの話によると、最近はもっぱら、自分の店に出る事もなく、夜の街に繰り出しては、男漁おとこあさりを続けているとの事だったし。

 これならば、何とかなるだろう。


 そこで、真衣まいの母親が住むマンション近くを、竹内に見張せる事にしたんだ。

 本人は、ぜんぜん暇じゃありませんよ! とかなんとか、最後まで言い張ってたんだけど。 

 結局、日給一万円であっさりと手を打ってくれた所を見ると、流石は金の亡者としての面目躍如めんもくやくじょと言ったところだ。


 そして、実際に彼女を篭絡ろうらくするのは、外科医の針原に成りすました僕だ。

 いかにもな肩書に、程よいルックス。

 アラフォーの熟女を落とすには申し分がない。

 しかも、何か問題が起きたとしても、最悪はCOREを消し去ってしまえば、あとは知らぬ存ぜぬ。


 最終的に、母親のCOREを入手さえしてしまえば、僕が彼女になりすまし、後は若頭カシラが通って来るのを待って拉致らちするって言う、わらしべ長者的な作戦を考えてたんだけど……しかし、そうは問屋が卸さない。


 当初の計画通り、手に入れた母親のCOREを早速のぞいてみれば、若頭カシラが最後に母親の家を訪れたのは今年の一月頃。

 なんと、三か月以上もの間、彼女の家に立ち寄っていない事が判明したのだ。


 マズい、非常にまずい……。


 このまま真衣まいの母親に成りすまし、さらに数か月をこのマンションで過ごす事など出来るはずも無い。

 急ぎ、その状況を来栖くるすさんに連絡。

 すると、来栖くるすさんから驚きの回答が。


『今すぐ若頭カシラを連れてマンションに乗り込むから、そのまま寝たふりするなり、なんなりして時間を稼げっ!』


 流石にこれには僕も驚いた。

 そんな事をしようものなら、いきなりの修羅場だ。

 真衣まいの母親に対する愛情はすっかり冷めていたとしても。

 自分の情婦に、他の男が手を出したともなれば、ヤクザ者の沽券こけんにかかわる大問題に違いない。


 案の定……と言うべきか、それとも来栖くるすさんの思惑通りと言うべきか。

 なんと、激怒した若頭カシラ供周ともまわりの舎弟を一人も連れず、単身マンションへと乗り込んで来たのである。

 来栖くるすさんが事前にリークした、相手の間男まおとこが単なる堅気かたぎの男だと言う情報も、若頭カシラを油断させるに十分だったのかもしれない。


 こうして、僕たちはまんまと若頭カシラ一人を連れて、山奥のアジトへと招き入れる事に成功したと言う訳だ。


「いえいえ、最後は来栖くるすさんの機転に助けていただきましたし。なにしろあのままだと、僕は何カ月もあの場所で真衣まいの母親役を演じる事になる所だった訳ですからね」


「あははは。違ェねぇや。で、これからどうする?」


「そうですね。まず、若頭カシラには死んでいただきます」


 来栖くるすさんのコーヒーをれる手が一瞬だけ止まった。


「ほほぉ、そうかい。犾守いずもりはまだ高校生のくせにきもわってやがんなぁ。わかった。流石にコロシを高校生にさせる訳には行かねェ。俺が後で始末しておくよ」


「はい、お願い致します……と言いたいところなのですが」


 とここで、来栖くるすさんが自分のコーヒーを手に持ったまま、僕の前のソファーへと腰を下ろした。


「なんだ? 何か問題でもあるのか?」


「いえ、問題と言うほどの事では無いんですけど、真衣まいが……」


「ん? 真衣まいが? どうしたって?」


「どうやら、真衣まい若頭カシラに対して、かなりの恨みを持っているみたいでして」


「ほほぉ、恨みねぇ……」


 何か思い当たる節でもあるのだろうか?

 来栖くるすさんの視線がわずかに宙をさまよう。


「例えばどんな?」


「そうですね。彼女の記憶を見る限り、中学生の彼女をレイプしたのは若頭カシラですし、それ以降も数々のひどい仕打ちを……」


「なるほどなぁ……そう言う事か。つまり、殺したいぐらい憎い相手……って事だな」


「そうですね。そう言う事になりますね」


「で? 犾守いずもりは彼女に若頭カシラの処遇をゆだねようって思ってんのか?」


「……はい。そう……考えています」


 僕の躊躇ためらいぎみの返答に、来栖くるすさんがなにやら思案顔のまま、手元のコーヒーを軽くすすってみせる。


「ふぅぅん。そうか……だがな、犾守いずもり


「……はい」


「誰しもが、お前の様に強い訳じゃないぞ。あぁ、もちろん、精神的にと言う意味だ。少なくとも彼女は堅気かたぎの人間だ。それが、いくら自分の復讐心が強いからって、人を殺せるとは限らねぇ。もし、自分の中に人殺しになる事について、何らかの抵抗があったとしたら、まずはそれを壊さねぇ事には、とても人をあやめるなんて出来やしねぇもんだ」


「……」


「その壊れた部分。それが、お前みたいに、もともとどうでも良いと思える様な部位であれば問題はねぇ。だけどな。もし、その壊そうとする部分が、自分の人格を形成する一部だったとしたら……」


「だと……したら?」


「彼女の人格が破綻はたんする事になるな。もしそうなった時、お前は彼女を受け入れてやる事が出来るのか?」


「受け入れるって……僕が……ですか?」


「そりゃそうだろう。もし彼女の人格がぶっ壊れた時、それを後押ししたのは少なくともお前ェだ。責任の一つも取らねェでどうするよ?」


「はぁ……そう言う事ですか」


 とここで、来栖くるすさんが僕の顔をのぞき込んで来た。


「でもまぁ、分かるぜ、お前の気持ち」


「え? 僕の気持ち……ですか?」


「そうだよ、お前の気持ちさぁ。偽善者ぎぜんしゃ犾守いずもり君の本当の気持ちってか?」


「なんですか、それって。僕は別に偽善者ぎぜんしゃな訳じゃないですよ」


「いやいやいや。彼女には優しくしたい。望みを叶えてやりたいなんて言いつつ、もしそれで心を壊したとしても、それは本人の勝手でしょ。僕の知った事じゃありませんよっ! って顔に書いてあるぜ。あはははっ」


「やっ、ヤメて下さいよ」


「でもまぁ、それで良い。人間なんて所詮しょせんそんなもんだ。全ての事柄ことがら他人事ひとごと。俺達に出来る事なんて高ぁ知れてる。彼女がつぶれようが、どうしようが、俺達にゃ関係ねぇ話だからな。そう思わねぇとやってられねぇぜ」


「いっ、いいえ。僕はそんな風には思いませんよっ! もし彼女がそんな事になったとしたなら……」


「おぉっと、犾守いずもりぃ、勘違いすんなよ」


 来栖くるすさんは人差し指を立て、僕の口から出かかった次の言葉を押しとどめるようとする。


「もう一度言うぜ、それで良い。それで良いんだよ。そうしねぇと、今度はお前が全ての責任をしょい込む事になっちまって、お前自身がつぶれちまう事になるんだぞ」


「でっ……でも」


「ほっとけ、放っておけって。女なんて、ごまんと居るんだ。お前だって、ホンキで真衣まいを守りてぇ訳じゃねぇんだろ。だったら、自分の心の中で、しっかりと線引きしておくこったな。そして、それは悪い事じゃねぇ。人間として、いや、生きとし生けるモノ、全てが持つ自己防衛本能ってヤツさ。自然な流れなんだよ」


「……」


「さて、若人わこうどに対する説教もこのぐらいにしておくかな。それじゃあ、真衣まいの様子でも見て来るか。案外平気な顔して殺しちまってるかもしれねぇし。普通の女子供みてぇに、ビビッちまって、何も出来ずに、そのままになってるかもしれねぇ。そしたら、後は大人の俺に任せときな。悪い様にはしねぇからさ」


 両手を広げ、軽くおどけてみせる来栖くるすさん。

 そんな彼を見て、なんだか少しだけ心が軽くなった様な気がして。


来栖くるすさん、悪い様にはしないって言ってますけど、結局はペットレッサーウルフ達のえさにするだけなんでしょ?」


「当たり前ェだろぉが! あいつら大食いなんだからさぁ。生活習慣病を抱えた中年オヤジの肉って言うのは、アイツらにゃ少し申し訳ねぇが。まぁ、背に腹は替えられねぇからなぁ」


「自分の若頭カシラ捕まえて、それってどうなんですかね?」


「あはははっ、元々俺は獣人だからな。人間の事なんざ知った事か」


 確かに来栖くるすさんの言う通りだ。

 僕は少し甘かったのかもしれない。

 いくら相手を憎んでいるとは言え、最終的に手を下す事が出来るかどうか? とは別の話なのだ。

 それなのに、僕は何の覚悟も無いまま、真衣まいにその行為を丸投げしようとしてしまった。

 そう、それは単なる責任の放棄に過ぎない。

 本当に真衣まいの事を思うのであれば、僕がその因果も含めて、背負ってやるべきだったんだ。


 蹴っても良い、殴っても良い。

 ヤツが死にそうになるぐらい、痛めつけてやれば良い。

 だけど……だけど彼女に最後の一線を越えさせてはいけなかったんだ。


「ふぅ……」


 来栖くるすさんから冗談交じりにさとされる事で、逆に胸のつかえが取れた様な気がする。 


 クロと同じだ。同じ匂いがする。

 外見上、全く見分けは付かないけれど、この人は間違い無く獣人なんだ。

 人間とはぜんぜん違う、そんな価値観の中で生きている。


 となると、僕は一体何なんだろうか?

 人間か? 獣人なのか? その定義って一体……。

 ほんのわずかな時間の中で、数々の疑問が僕の頭の中を駆け巡り始めた。


「……」


 まぁ、いまそれを考えていても始まらない。

 まずは真衣まい……か。


 無言のまま、一人先に部屋を出て行こうとする来栖くるすさん。

 僕は少し重い足取りで、そんな彼の背中を追いかけて行く事にしたのさ。

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