第88話 王都を見下ろすガゼボ

「あぁ……えぇっと、なんだかなぁ……」


 一体全体どうなってやがるんだ?

 訳が分からない。


 そう言えば、今回の仕事ヤマを始めてからは、常に驚きの連続だった。


 そうだなぁ……。

 まず最初に驚いたのは、司教連中のヘンチクリンな能力。


 まぁ、俺ぁいまだに大がかりな手品だと思っちゃいるが。

 ただなぁ、蓮爾 れんじ様のあの能力だけは別格だ。

 全然意味がわかんねぇ……。


 次に突如とつじょとして現れる魔獣と呼ばれる怪異バケモンの数々。

 教団に保管されている聖典とか言う書物の中には、挿絵さしえ付きで解説もされてるんだが。

 絵空事フィクションだと思ってたヤツらが、初めて現実の世界で動き回ってるのを見た時にゃ、流石にキモを冷やしたもんだな。


 最近じゃ、それにも慣れて来たとは思っていたんだが……そこに来て、これだ。


「うわぁ、加茂坂かもさかさん、見て下さいよ! ほらほら、半島ですよ、半島! 綺麗ですねぇ!」


「そんな事ぁ言われなくたって分かってるよ。だいたい東京から見える半島って言ゃあ、房総半島か三浦半島って相場が決まってんだろっ」


 でも、違うなぁ……。


 残念ながら、そのどちらでもなさそうだ。

 澄んだ青い空に、紺碧こんぺきの海。

 東京湾の持つ深い青とは根本的に違う。

 どちらかと言えば、グレートバリアリーフかなんかを思い起こさせる青だ。


 行った事ぁないけどな……。

 

「って言うか、片岡。俺より先に外に出んなよ」


「すみません。……つい」


「なんだよ、つい……って」


 そう言えば、ついさっき……。

 たぶん、ついさっきだ。

 俺達は特異門ゲートと呼ばれる場所を通ってココへ来た。

 確かに通った。これは間違いない。


 だが、別に何か特別な仕掛けがある訳でもなんでもなく。

 ごくごく普通の通路と言うか、扉と言うか。

 歩数にしてわずか二、三歩。


 その先には薄暗い部屋があって。

 天井や床、その全てが大理石で造られた、小規模な聖堂の様な所だったな。

 灯りは部屋の壁に掲げられている蝋燭ろうそくのみ。

 黒魔術か何かのミサを執り行うには、うってつけの場所って感じだったっけ……。



 部屋の周囲に目を凝らしてみれば、左右にそれぞれ十名ほど。

 白いドレスを着た女官たちが平伏ひれふしたまま整列している。


枢機卿すうききょう猊下げいか、どうぞこちらへ」


 俺と片岡は紅麗ホンリーちゃんにうながされるまま、この女官たちの居並ぶ間を通り抜けて行く訳だ。


 うん、まぁ……悪い気はしねぇやな。


 なんだか超高級なソープにでも来た様な感じだが……流石にそれを言っちゃあマズいだろう。

 ちなみに、そんな店に行った事がある訳じゃあねぇぞ。

 だいたい、俺ぐらいの安月給で、そんな超高級ソープに行ける訳ねぇだろ。

 娘の養育費を払うので精一杯だぜ。

 ほんと、父親ってぇのは辛ぇよなぁ。


 やがて、聖堂の入り口と思われる大きな扉が、音も無く開かれて行く。


 あぁ、ここも人力なんだな。

 まぁ、自動ドアに慣れた現代人からすりゃあ、面倒なひと手間とも思えるが。

 実際問題、どちらの方が金がかかるかと問われれば、断然人手の方が高額になるはずだ。


 仮に時給八百円で八時間のパートを探して……。

 いやいや、この女官たちの美貌を考えれば、完全にタレント事務所と契約してやがるに違いねぇ。タレント事務所からのイベントキャスティングだとすると、時給八千円、いやコイツらだったら一万円オーバーかもしれねぇな。となると、この部屋に居るヤツらだけで、一日、百万円近い持ち出しだ。


 はは、一日のコンパニオン代金で、自動ドアが買えちまわぁ。


 なんて、くだらねぇ事考えてるウチに、開け放たれた扉を通って外へ。

 まぁ、外と言ってもそこから先には、更に回廊の様な通路が伸びていたんだが。


 この回廊みたいな廊下も、必要以上にゴージャスなんだよなぁ。


 天井は吹き抜け。

 って言うか、天井マジ高ぇな、おい。

 なんだ、この建物は。


 超極太の大理石の柱で支えられた回廊は、さながらギリシャ神殿を彷彿ほうふつとさせる。

 違いと言えば、現代のギリシャ遺跡には天井も壁も存在しないが、この建物には、しっかりとした天井と壁が実在する点だ。


 しかも、遺跡の様に風化している訳じゃねぇ。

 新品同様……まさに昨日今日建てられたみたいに光り輝いてやがる。


 いつの間にこんなもん作ってやがったんだ?

 東京のド真ん中だぞ、ここは。


 俺と片岡は二十名近い女官たちをゾロゾロと後ろに引き連れ、長い回廊を悠然ゆうぜんと押し渡って行ったんだ。


 やがて俺達の正面に、回廊の出口らしい明かりが見えて来た。


 って言うか、ちょっと待て。

 俺たちが居たのは、東京の南青山。

 教団の保有するビルの地下二階だ。


 そこから徒歩で真っ直ぐ歩いて外に出るって、一体どうなってやがるんだ?

 南青山に、こんな標高差がある丘や谷なんてあったっけか?


 頭の中に保存してある教団付近の住宅地図。

 それを、何をどうひっくり返してみても、自分の今いる位置を特定する事ができない。


 そして、俺達は陽光差す光の中へと足を踏み出した……って訳さ。



加茂坂かもさか枢機卿すうききょう猊下げいか蓮爾 れんじ司教しきょう枢機卿すうききょうがお越しになるまで、お部屋の方でお休みいただければと存じますが」


 紅麗ホンリーちゃんがやたら手慣れた様子のカーテシーを披露してくれる。


「おぉ、そうだな。だが、我々が先に休んでいると言うのも如何なものか……だなぁ。蓮爾卿れんじきょうも、さほど遅くはなられまい。どうだろう、蓮爾卿れんじきょうがお越しになるまで、このあたりを散策させてもらっても構わないか?」


 俺の言葉に、軽く困惑こんわくの表情を浮かべる少女。

 だが、そんな小さなかげりも、瞬く間に彼女の愛らしい笑顔へと置き換えられてしまった。


「承知いたしました。もしよろしければ、私がこの辺りの庭園をご案内させていただきます」


 そう言うなり、彼女は後ろに付き従っていた女官に対して二言三言指示を出すと、優雅な足取りで再び俺の前へと戻って来た。


「それでは、猊下げいか、参りましょう」


「あぁ、よろしく頼む」


 建物の外には大小様々な花々な咲き乱れる、美しい庭園が広がっていた。


 気付けば、俺達に付き従う女官は二人だけに減ってしまった様だが。

 まぁそれは仕方がない。

 ちょっと寂しい気もするが、他にも仕事があるんだろう。

 って言うか、良く考えたら俺達が女官を連れて歩いてる事自体、分不相応もはなはだしいしな。


 とここで、紅麗ホンリーちゃんが立ち止まった。


猊下げいか、御覧いただけますでしょうか?」


 俺達が案内されたのは、小高い丘の上に造られた屋外テラス、といった風情の場所だ。


「あぁ、見晴らしの良い場所だな」


「はい。こちらからは、メルフィの北部半島を望む事が出来ます。残念ながらここからは見えませんが、その海の先には帝国のディスプロティア領、更にその東には太陽神殿のあるエレトリアがございます」


 エレトリアか。

 聞いた事がある。

 全ての神々を束ねる全能神。

 その神殿がエレトリアにはあるらしい。


 ここ、メルフィには海や水の神であるパルテニオス神の神殿がある。

 もともと、ウチの教団はこのパルテニオス神を信仰している連中の集まりって事だが。


「向こうの街並みは?」


 俺は東側の海岸線にそって広がる建物群を指さした。


「はい、メルフィ王国の王都でございます。メルフィは海洋国家ですので、港湾を中心として街が発展しております。


「へぇぇ……そうかぁ」


 やっぱ、木更津じゃないんだ。

 って事は、ここが房総半島だって線は消えたな。


 こうみえても俺だって司祭の位を持っている。

 本国の情報は最重要機密事項だが、ある程度の事は知らされていると言って良い。


 紅麗ホンリーちゃんは海洋国家と言ったが、まさにその通り。

 メルフィは島国のはずだ。

 その経済的基盤は、北方大陸と南方大陸の貿易によって支えられている。


 この国……いや、では、外洋を航海するための技術や船があまり普及していないと言う話だ。

 そうなると、どうしても船での移動は、沿岸や近海を航行する事が多くなり、その際の補給も兼ねて、中継地点となる港湾が栄える。

 つまりは、そう言う事なんだろう。


 って言うか、マジか。

 俺、東京からここへ歩いて来たんだよな。

 いつ出国したんだ? しかも、いつ入国した?


 遠目に見ても分かる。

 確かにあの街並みは、日本のそれとは似ても似つかない。

 完全にココは異国だ。


 例えば、こう言う風に考えたらどうだ?

 俺たちは青山の地下で薬か何かで眠らされた。

 それからそのまま運ばれて、空路か海路か知らねぇが、どこか遠くの異国……この様子だと、太平洋のどこかの島国って感じだな……に送られたって事なんじゃ。


 そう言いながら、俺は自分のあごを撫でつけてみる。


 いや、そんな事はねぇ。

 大体、俺のヒゲが伸びてねぇ。

 仮に眠らされたとして、丸一日ほど移動していたんだとしたら、絶対に俺のヒゲが伸びているはずだ。


 それじゃあ、起こされる前にヒゲが剃られた可能性は?

 いや、それもねぇ。

 今朝の剃り残しがきっちりとある。

 流石にソコまで手が込んでいるとは思えねぇし、思いたくもない。


 ちっ! 俺の脳みそじゃ理解不能だ。

 こう言う時に役に立つのが理系の片岡だ。

 まずはコイツに確認すべきだな。


「なぁ、片岡ぁ。お前、これってどう思……」


「時空転移ですね。技術的な根拠はまるでありませんが」


 即答かよ。

 しかも、かなり食い気味だなっ!

 って言うか、俺の心が良く分かったな。

 普段、ぜんぜん空気が読めないクセに、ホントめずらしい。


「ほほっ、よく俺の質問が分かったな」


「はい、私こう見えても加茂坂かもさかさんの事をいつも考えておりますので」


 キモイよ、片岡。

 それ、真顔で言う事じゃねぇよ、片岡。

 って言うかもうそれ、ストーカーじゃねぇかよ、片岡ぁ。


「そっ、そうか。そりゃありがとよ。ま、まぁ俺の事より、もっと仕事の事を考えて欲しいもんだがなぁ」


「はい、わかりました」


 まぁな。

 もともと表情が乏しいから、何考えてるのかサッパリ分からねぇヤツなんだが、総じて素直な良い娘なんだよなぁ。


「ところで枢機卿すうききょう猊下げいか、こんな所で立ち話も如何でございましょう。もし宜しければ、この先の海岸線を見下ろせる場所に東屋ガゼボがございます。そちらの方にお茶の用意をさせますので。子細なお話しはそちらの方でなされてはいかがでしょうか」


 そんな紅麗ホンリーちゃんからの提案には、彼女の愛らしいウィンクが添えられていた。


「あぁ、そうだな、そうしてもらえるか」


 おっと、なるほど。

 この話は女官たちには聞かせなく無ぇって訳だな。しかも、どこから誰が聞いてるかも分からねぇ。

 さすがは紅麗ホンリーちゃん。気が利いている。


 そして、女官の二人は俺たちに優雅なカーテシーで挨拶を済ませると、そのまま花壇の奥へと姿を消してしまった。

 恐らくお茶の準備に向かったのだろう。


「ふぅ、申し訳無かったな紅麗ホンリーちゃん。気を使わせちまってよ」


「いいえ、とんでも御座いません。神殿に仕える女官たちは機密保持については十分な教育を施されておりますので、基本的に問題になるとは思いませんが、流石にどこでどのように情報が伝わるかは分かりかねます。用心に越した事はございませんので」


「あぁ、そうだな」


「この先にある東屋ガゼボの周囲には物陰もなく、話声が外へ漏れ聞こえる事も少ないものと思います。司教位の方々も内密なお話しをされる場合にお使いになる場所でございますので」


 なるほど、そんな場所があるのか。

 まぁ、密談を行う時には、確かに開けた場所の方が良いのかもしれない。


 そこから歩く事、わずか数分。

 先程まで居た海岸線を見下ろすテラスよりさらに東の方へ。

 半島を望むと言うより、今度はメルフィ王国の王都側に近いその場所に、目的の東屋ガゼボは建てられていた。


猊下げいか、あちらに見えますのがその東屋ガゼボで……くっ!」


 と、ここで、突然言葉を詰まらせる紅麗ホンリーちゃん。

 

「ん? どうした? 紅麗ホンリーちゃん?」


 そんな彼女の様子を見ると、なぜか眉間にシワを寄せた怪訝けげんな表情。


 おいおい、折角の美人さんが台無しだぞ?


「なぁ片岡。紅麗ホンリーちゃんの様子が少し変じゃないか?」


 と言いながら振り向いてみれば、いつも無表情な片岡の目が更に死んでいて。


「おっ、おい、どうした片岡? おっ、目がっ、目が死んでるぞ?」


「……加茂坂かもさかさぁん」


「なっ、何だよ急に?」


 お前ぇ、なに、急にやさぐれてんだよ?


「ヤッてますね。……アレ」


「ヤッてる? なんだそりゃ、ヤッてるって?」


「いや、別に良いんスけど……」


 いやいやいや、良かぁねぇよ。

 お前ぇ、なんで拳銃Glock抜いてんだよ。

 って言うか、なんで残弾確かめてんだよっ!


 そんな事より、紅麗ホンリーちゃん?

 紅麗ホンリーちゃんは、紅麗ホンリーちゃんで、なんだかプルプルしているぞ!? どうした紅麗ホンリーちゃん! 何があったんだ紅麗ホンリーちゃん!


 ちょうどその時。

 風向きの関係か、それとも偶然だったのか。

 遠くの方から微かに聞こえるアノ声。


「……あっ……アンッ……アンッ……」


 おぉ!? この声は……。


 俺ぁ未だに運転免許証は裸眼で通しているんだが、それでも視力検査の結果は0.6が良い所。恐らく次回の更新時にはメガネが必要になるだろう。

 寄る年波には勝てねぇって事だな。まったくよぉ。

 そんな、老眼が少し入った近眼の目を、これでもかと細めて見てみれば。


「あぁ……ヤッてるなぁ。確かに……」


 神殿の庭園内に設営されている豪奢な東屋ガゼボ

 そんな神聖なる場所で、ひる日中ひなかにバックから攻め倒す中年の姿が見える。


「これはまた、お盛んなこって」


 俺は目を細めたまま、その様子をつぶさに観察し続ける事にしたのさ。


 だってなぁ。

 ソレを見て逃げ出すほど、俺ぁ初心うぶじゃねぇしよぉ。

 かと言って、途中で割って入るほど野暮やぼでもねぇと来たもんだ。


 だとすりゃあ、収まる所に納まるまでは、あたたかく見守ってやるって言うのが、大人の作法っちゅうモンだろう? ……なぁ。


 って事で、そこから更に数分。


「んだよぉ、結構長ぇな。って言うか、相手さんの方がもう息も絶えだえじゃねぇか。いい加減開放してやれよ」


 と、思わず心の声がそのまま漏れてしまった。

 流石に、ここで見てるのも少々飽きて来たしな。


 だいたい、俺がこの場を動かないもんだから、紅麗ホンリーちゃんも動くに動けず、片岡に至っては、何だか独りでブツブツ言いながらヤツに向かって拳銃Glockを構え、狙いを定めはじめる始末。


 おいおい、撃つなよ。

 ここからじゃ、流石に当たらんぞ。

 って言うか、逆に当ててくれるなよ。


「……あぁっ! あぁぁ!」


 おっ!

 ひと際大きな絶叫が聞こえて来た。

 やれやれ、終わったかな。


 と思って歩き出し始めたのも束の間。

 なんと、男性の方は一向に衰える様子も見せず。

 って、おいおいおい。

 相手の御婦人はこれで何度目だ?

 流石にこれ以上は可哀そうだろう?

 って言うかさぁ……。


 俺がそう思ったそばから、お相手の御婦人がテーブルの上から床へと崩れ落ちてしまったではないか。


 あぁぁあ……。

 ほら、言わんこっちゃない。

 仕方が無いなぁ。

 ここは俺が助け舟を出すかぁ。


「おほんっ! うおほんっ!」


 これみよがしの咳払い。

 流石のアイツも、ここに人が居ると分かればヤメてくれる事だろう。


 なんて、思ったのが甘かった。

 

「お前達ッ、そこを動くなっ!」


 そう叫ぶなり、突然俺の目の前に現れ出でたのは、身のたけ二メートルはあろうかと言う大男。


「はぁっ!?」


「無礼者っ!」


 こちらも負けじと紅麗ホンリーちゃんが俺と大男の間に割って入る。

 更に、俺の肩越し。

 片岡の狙い定める銃口は、確実に大男の眉間みけんとらえていた。


「まっ、待て待てまて。みんな落ち着けっ! 片岡っ、お前ェ絶対に撃つんじゃねぇぞ! 絶対に撃っちゃダメだからなっ!」

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