第86話 金髪碧眼に銀髪赤眼の少女

司祭枢機卿猊下しさいすうききょうげいか、お連れ様がお見えになりました」


「あぁ、分かった。ありがとう」


 金髪碧眼へきがん

 絵に描いた様な西洋風の顔立ちを持つこの美少女は、日本生まれネイティブと言っても良いほどの流暢りゅうちょうな日本語で俺に話しかけて来る。


 言葉では上手く言い表せない違和感。

 俺はそんな複雑な気持ちを、ティーカップに残された紅茶と一緒に喉の奥へと、一気に流し込んでしまう事にしたんだ。


「これだからエルフってヤツぁ……」


 南青山の一角に建つオフィスビル。

 最寄りの駅からは多少歩くが、さして不便を感じる程でも無い。

 蓮爾 れんじ司教枢機卿の執務室は、そんなビルの最上階に位置していた。


 俺は都心の一等地に建つこの小洒落こじゃれたビルが苦手だ。

 しかも蓮爾 れんじ様の趣味センスか? それとも侍女たちの配慮なのか? シンプルかつ高級な調度品に彩られたこの部屋自体も少し落ち着かない。

 こんな中年のおっさんからすれば、アウェー感が半端ないのだ。


「紅茶のお代わりはいかがでしょうか?」


「いや、もう結構。十分堪能たんのうさせてもらったよ」


 まさに至れり尽くせり。

 蓮爾 れんじ司教枢機卿の侍女による接待攻撃は、俺にまんじりとするいとますら与えてくれない。


 ――ガチャッ


「お待たせしました」


 ようやく来やがったか。


「遅かったな。蓮爾 れんじ様がお待ちだ。早く座れ」


「申し訳ございません」


 遅かった……と言ってはみたが、いま現在、約束の時間まで、まだ五分ほどある。

 社会人としては全く問題無いレベルだ。


 逆に十分以上前に部屋の前に到着してしまったが為に、蓮爾 れんじ様の侍女に見つかってしまい、彼女達にうながされるまま、部屋の中で接待攻撃を受けている俺の方こそ、社会人としてはチョット如何なものなんだろうか? と思わないでもない。


「それでは、蓮爾 れんじ様をお呼びして参ります」


 先程とは異なる銀髪赤眼の少女。

 彼女は俺にそう告げた後、音も無く続き間となっている隣の執務部屋へと入って行く。


 ふぅ、これでようやく緊張の時間とはオサラバだ。

 大体、ジェットコースターなんかで一番緊張するのはスタート前って相場が決まっている。

 一度物事がスタートしちまえば、後は野となれ山となれ……。


「って言うかオイ、片岡。お前のそのソレ……一体どうなってるんだ?」


「どうなっている……と申しますと」


「いや、それはどう見ても『どうなってる?』が正解だろ? いったいなんなんだよソレ?」


「いや、スーツケースです」


「スーツケースです……じゃねぇよ。なんで二個もあるんだよ」


「いいえ」


「いいえ……じゃねぇよ。現にお前の隣に二個あるじゃねぇかよ」


「いいえ、後ろにもう一つありますので、全部で三個です」


 うそ、マジか!


 急いで振り返ってみれば、確かにスーツケースがもう一つ。

 しかも、手前のスーツケースよりさらに大ぶりなヤツと来た。

 更にその隣には、大きめのボストンバックまでが鎮座ちんざしてやがる。


「片岡ぁ。俺ぁ言ったよな。基本現地で全てモノが揃うから、持って行く荷物は最低限にしろってよぉ」


「はぁ……」


 何だよ。

 何か言いてぇ事があるのかよ。

 って言うか、お前さぁ。

 基本的に言葉数が少なすぎんだよ。

 ホントお前って、何考えてるかつかづれぇんだよなぁ。


「どうした? 何か不満か?」


「いいえ」


「ったくよぉ、遠足じゃねぇんだぞ。お菓子は三百円以内にしたんだろうなぁ」


「え!?」


 なんだよ、その驚きの表情はよぉ。

 私、聞いてませんけどっ!

 的なその表情は一体なんなんだよっ! ってな話だよ。


「言っておくが、バナナはお菓子に含めるからな」


「ふぇぇ……」


 だから何だよぉ! その申し訳無さそうな顔はよぉ!

 って言うか、どんだけお菓子持って来たんだよお前はよぉ!


 ――ガチャッ


「揃った様だな」


「お疲れ様です。蓮爾 れんじ様」


 俺は間髪入れずその場で立ち上がると、ホテルマンもかくや、と言う美しいお辞儀を披露ひろうして見せる。


 とりあえず、片岡のバカの事は後回しだ。


「うむ。加茂坂かもさかに、片岡。大義だがよろしく頼む」


「はい、お任せ下さい」


 そうは言ってみたものの。

 本当に俺で務まるものか……。


 今回の目的は大きく二つある。


 一つ目は、蓮爾 れんじ様の身辺警護。

 まぁ蓮爾 れんじ様ほどの能力者であれば、暴漢に襲われたとしても遅れを取るなんて事はまず無いと言って良い。

 そうは言っても蓮爾 れんじ様だって人間だ。

 至近距離から一発ズドンとヤラれりゃあ、さすがにそれっきり。

 つまり、俺達の役目は敵からの初撃に対して、身をもってそれを防ぐ事。

 ただそれだけ。

 追撃や暴漢の退治は侍女たちに任せておけばそれで良い。

 彼女達も蓮爾 れんじ様に負けず劣らずの能力者たちらしいからな。

 まぁ、負けず劣らずは少々言い過ぎか……。

 

 二つ目は、本国にある首席大司教からの呼び出しだ。

 こう見えても俺は、司祭枢機卿と言う肩書を持っている。

 この枢機卿だが、首席大司教の活動を助ける、特別顧問だと考えればわかりやすいだろう。


 まぁ、言ってみりゃあ、特命課長ってヤツと一緒だ、一緒。

 あぁ、余計に分かり辛いか……。


 つまり俺は東京教区を統括する大司教に仕える身でありながら、本国のメルフィ教区を統括する首席大司教より、特別に顧問として指名されていると言う訳だ。

 ちなみに、各教区は基本的に1名以上の大司教が統治、管理を行っている。

 これら大司教の中で最も権威あるのが、本国のメルフィ教区を統括する首席大司教だ。


 俺が枢機卿に任命されて約半年。

 都度送られて来る首席大司教からの指令を着実にこなしては来たものの、実際問題、任命者である首席大司教にお目にかかった事など一度も無い。

 なんと、今回初めてお目通りいただける事になったばかりか、初の本国渡航のおまけ付き。

 ついにこの時がやって来たのかと思うと、感慨深いものが確かにある。


「申し訳ないが私はまだ仕事があってな。少し遅れて現地に向かうから、お前達は先に行って向こうで待っていてくれ」


「承知いたしました」


加茂坂かもさか、お前は今回が初の本国だな」


「はい、その通りでございます」


「案内役として私の侍女をひとり付けるとしよう。紅麗ホンリー、この二人を案内してやってくれ。入国には色々としきたりやルールがあるからな。お前達も分からない事があったら、都度この紅麗ホンリーに聞けば良い」


「ありがとうございます。承知致しました」


「では、後ほど」


 蓮爾 れんじ様はそれだけを言い残すと、元いた執務室の方へと戻って行ってしまった。

 残されたのは、銀髪赤眼の少女と、俺と、手荷物山盛りのバカを含む三人だけ。


「それでは司祭枢機卿しさいすうききょう猊下げいか、ご案内致しますので、どうぞこちらへ」


 銀髪赤眼の少女が音も無くドアの前へと移動して行く。


「あぁ、悪いな。それから紅麗ホンリーちゃんよ。俺の名前はもうちょっと気軽に呼んでもらえねぇかなぁ。加茂坂かもさかさんとか、おじさんとかよぉ。なんか長ったらしくていけねぇや」


「承知いたしました。それでは枢機卿すうききょう猊下げいかとお呼び申し上げます。何卒ご容赦願います」


「あっ……あぁ、そう。そうね」


 とここで、片岡が俺の耳元に顔を寄せて来た。


加茂坂かもさかさん。あの娘、バカなんですかね? それともやっぱり外人だから、日本語が通じないんでしょうか?」


 チッ! バカは手前てめェだよっ! このおたんこなすっ!


ちげェよ。あれは、そうする様にと徹底的に仕込まれた結果なんだよ。かりそめにも俺は、この東京教区に三人しかいない枢機卿の一人なんだぜ。いくら司教位の侍女とは言え、位は俺の方が断然上って事さ」


「はぁ、そういうものですか」


「そう言うものに決まってんだろぉ! って言うか、おェが上下関係ってヤツを気にしなさすぎなんだよっ!」


「なるほど。でも加茂坂かもさかさん。そんなに偉い枢機卿だったら、他の司教連中にだって、そんなペコペコしなくても良いのではないでしょうか?」


「くっ! 痛ェとこ突いて来やがるなぁ。しょうがねぇな。細けぇ所は歩きながら説明してやるよ。って言うか、お前よく一人でそれだけの荷物持って来られたなぁ」


「はい、スーツケースに自動追尾式の誘導装置を取り付けてありますので」


「おぉそうか。そいつぁスゲェな。やっぱ理系女子りけじょはヤル事が違うなぁ……って言うか、何だよコレ」


「は?」


「だから、は? じゃねぇよ。コレだよ、コレ」


「はい、それが自動追尾式の誘導装置ですが」


「これが誘導装置!? ただのひもじゃねぇかよぉ! ヒモぉ!」


「いいえ、ただのひもではございません」

 

「どこが違うって言うんだよぉ。ただひもでスーツケースをつないだだけじゃねぇか」


「このひもは、自転車の荷台に使うゴム紐でして、最初から金具が取り付けられていると言うすぐれもので……」


「もう良いよ。細かい説明は、もう良い」


 ホント片岡コイツぁ、頭がキレるのか、ポンコツなのか、さっぱり判断が付かん。

 本来であれば阿久津あくつを連れて行きたい所だが、何しろ警護対象が女性だからな。

 野郎二人での警護では、どうしてもすきが出来ちまう。

 まぁ、いろいろとな。

 そんなこんなで、今回は片岡に出張でばってもらった訳だが、失敗だったかもしれんなぁ。


「承知しました。それでは話を元に戻しまして。どうして枢機卿の加茂坂かもさかさんが、他の司教連中にペコペコしているのかについて教えて下さい」


「ちくしょう。何かチクチクとイヤな言い方するんだよなぁ、お前ェはよぉ」


 俺は自分の手荷物を片手に、紅麗ホンリーちゃんの後へと付いて行く。


「まず基本として、俺ぁ司祭だ。単純に司教よりも下の位って事ぐらいは分かってるよなぁ」


「はい、それは知ってます」


「次に枢機卿だが、コイツは特別職って言うか、名誉職みてぇなモンでな。教団内での位を表している訳じゃねぇんだ。あくまでも主席大司教が指名した手駒みてぇなもんかなぁ」


「それじゃあ、全然偉く無いって事ですね」


「いやいや、そうとも限らねぇぞ。この枢機卿だが、本国の首席大司教を決める選挙では投票する権利を持ってるんだ」


「おぉ、これはまた、重要な任務ですね」


 ――ポーン


「エレベータが参りました。お乗りください」


 俺と理系バカの二人は、銀髪赤眼少女にうながされるまま、エレベータへと乗り込んで行く。


「あぁ、加茂坂かもさかさん。話の腰を折って申し訳ありませんが、本国に行く時ってどうやって行くかご存じですか?」


「いや、知らねぇな」


「でもこの娘の押した、エレベータのボタンって、地下二階なんですけど」


「地下二階にあるのは、駐車場に機械室ぐらいか。だったら、車で移動するんじゃねぇのか?」


「車ですかぁ……乗るかなぁ。私のスーツケースぅ」


「だから言ったろぉ。手荷物は少なくしろって! もし乗らなかったら、デカいヤツから順番に置いて行くからな」


加茂坂かもさかさん、それはダメっす。一番デカいスーツケースに、一番大切な物が入ってるんで」


「何だよ、その一番大切な物ってのはよぉ」


「言いたくありません。それより、さっきの話の続きですが、首席大司教を決める権利があるのであれば、その辺の司教連中より、偉そうにしててもバチは当たらないのではないでしょうか?」


「そう言う所が、お前の浅はかな所なんだよなぁ」


 ――ポーン


 おっ、到着したみたいだな。


「地下二階に到着致しました。エレベータを下りられましたら、そのまま左方向へとお進み下さい」


「あれ、紅麗ホンリーちゃんよぉ。駐車場は右だけど」


「はい、枢機卿すうききょう猊下げいか。車には乗りませんので、こちらで問題ございません」


 俺の肩ほどぐらいの身長しか無い、紅麗ホンリーちゃん。

 そんな少女が、時折振り返りながら俺達二人を先導して行く。


 ――コツコツ、コツコツ……


 無機質な廊下に響くのは、三人の靴音だけ。

 やがて、第三機械室と書かれた扉の前で、彼女が突然立ち止まった。


 ―ピッ……ピピッ……ピー。


「なんだ、ありゃあ?」


「あれは虹彩こうさい認証に顔認証、更には静脈認証なんかを組み合わせた、複合生体認証機能ですね」


「ほほぉ、複合生体認証ねぇ……」


 なんだ、やっぱりガチガチの科学じゃねぇか。


 実は今回、片岡を連れて来た理由はもう一つある。

 それは、科学的な観点から、本国への移動方法を把握する事……だ。


 残念ながら俺にはITリテラシってヤツが欠乏している。

 ここは、物理学専攻で、根っからの理系女子リケジョである片岡の出番だ。

 残念ながら、ほぼ筋肉で脳みそが構成されている阿久津あくつでは、この芸当は絶対に無理だからな。


 しかし、なんだなぁ。

 魔術だ、魔導だぁ?

 正直な所、なんだそりゃ? ……だ。


 ヤツら司教連中は偉そうにかたっちゃあいるが、結局のところ科学で解明できない事なんてねぇ。きっと何かタネや仕掛けがあるはずだ。

 まぁ、文系の俺が言うのもおかしな話だがな。


 と言う事で、今回の俺の真の目的は、魔法や魔術のタネを見つける事。

 この話はもちろん、片岡にはしちゃいねぇが、ヤツは根っからの科学大好き人間だ。放っておいても、そのタネってヤツを見つけてくれる事だろうよ。


 ――フィーン


 軽い機械音を残し、厚み三十センチはあろうかと言う金属の扉が、ストレスなく横方向へとスライドして行く。


「ほほぉ……コイツぁ……」

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