第36話 岩盤に潜む小さな亀裂
「
煌びやかなネオン街を背に、一人
身に
しかしながら、そのシルエットは
「すっ、すごく……すごくお綺麗です」
「えぇぇ、それだけぇ……?」
僕の賛辞がお気に召さなかったのだろうか。
彼女は小悪魔的な笑みを浮かべながらも、今度は無操作に髪をかき上げて見せて来る。
その仕草たるや、ただでさえ低い僕の
「えっ……えっとぉ……」
「もぉぉ、
いつの間にか僕の肩にその小さな顎を乗せ、耳元に向かって息を吹きかけて来る彼女。
――ふぅぅ……
はうはうはう!
やめて、もぉやめてぇぇ。
理性が、理性がふっとんじゃうぅぅぅ!
そんな僕の
「はいはいはい、
ラブラブな二人の時間をぶち壊すのは、これでもかと眉間に皺を寄せた
よっぽど二人のやり取りが気に入らなかったんだろうな。
先輩と僕の間にグリグリと割り込んできたかと思うと、
って言うか
なんだよ、なんだよ。
『ほらほら騒ぐな騒ぐな、落着きのない。
ちぇっ! クロにまで叱られちゃったよっ。
僕はいまだ
「という事で、もう一回おさらいしますね。いいですか、良く聞いてくださいよ」
僕のその真剣な眼差しに、キャイキャイと
「まず、このビルの地下にあるBARに、例の教団関係者と思われる男が入りました」
場所は新橋。
有楽町寄りのこの場所は、オヤジども行きつけの激安店と、銀座にほど近い立地を武器とした準高級店が立ち並ぶ不思議なエリアだ。
と言うのは、この歳で大学内でも『うわばみ』と恐れられている
実のところ、新橋に来たのはこれが生まれて初めてなんだよな。
うぅぅん。少なくとも高校生が気軽に来る町では無いな。
「そして、この男から情報を引き出す女スパイ役を、
正直な話、尾行している男が新橋の焼き鳥屋で一人酒を始めた頃には、もう尾行はやめて撤収するつもりだったんだ。
だけど、その話を電話で
『四十分待って、四十分っ! いいえ、三十分で行くからっ!』
と言う会話をしてから、早二時間。……ふぅぅ。結構待たされたな。
男も二件目となるBARに移動したところで、肝心の女スパイ役である
女スパイって言うか、完全に高級クラブのチーママだな。
まぁ、高級クラブなんてテレビの世界でしか見た事無いけどね。
「相手はかなり酒に酔っている様なので、上手く仲良くなって情報を聞き出して下さい」
そんな僕の言葉に、真剣な表情で
「それで、私との連絡はコレでって事よね?」
栗色でウェーブがかった
それを静かにかき上げると、彼女の耳元に黒く小さな物体が見え隠れする。
「骨伝導タイプのイヤホンよ。通話も出来るし、なにより目立たないのよね」
何気にちょっと鼻高々な
元々はスポーツジムかなんかで使う為に購入した物らしい。
これで、僕たち二人は店の外から
まさにスパイ映画さながらの仕掛けだ。
早速ハンズフリー状態のスマホから
「もしもぉし。聞こえますかぁ?」
「はぁぁい。乾度良好よっ!」
良し、大丈夫そうだ。
「それでは
「えぇ、わかったわ。私に任せておいてっ。それじゃ、行って来るわね」
彼女はもう一度服装の乱れが無いかを確認すると、何食わぬ顔つきで地下への階段を下りて行ったんだ。
「よし、僕たちも配置に付こう」
「えぇ、そうね」
僕と
ここで店の出入口を監視しながら、スマホで
――キィィ、カロンカロン。
スマホから軽やかな鐘の音が聞こえて来る。
恐らく、玄関口に取り付けられたドアベルの音だろう。
地下のお店と言う事で電波が届くかどうか心配したけど、どうやらとり越し苦労だったようだな。
今の所、音声はクリアな状態だ。
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」
「えぇ……」
「もし宜しければ、こちらのカウンター席へどうぞ」
――ガサガサ、ゴソ……
――ピコン!
短い雑音の後、チャットが届いた。
なになに?
《テーブル席に二組のカップル》
《カウンターには二人》
《一人は結構年配》
《もう一人は三十代ぐらい》
《聞いてた服装と同じ》
《無事ターゲットの隣確保!》
ビンゴ。
無事男を見つけたらしい。
流石に顔写真は撮れなかったけど、事前に身体的な特徴は
にしてもターゲットって。
「ご注文は?」
「そうね……彼と同じ物を」
「かしこまりました」
「……」
はうはう。
無言の時間があるとドキドキするね。
どうなってるのかな?
音声だけだと、状況がさっぱり分からない。
すると。
「ねぇ……やけにシケた顔してるわねぇ。何かあったの?」
「……」
「あら、こんな美人が話し掛けてるって言うのに、つれないのねぇ」
「……」
おぉぉ!
でも相手も警戒している様だな。
全く反応なしだ。
どうする? どうする、
「この店は良く来るの? あまりみない顔だけど。それに……」
「なっ、何かの勧誘なら……間に合ってる」
おぉっ! 始めての返答。
「勧誘? へぇぇ。アナタ、BARで勧誘なんてされた事があるんだぁ? うふふっ。おもしろぉい。その話聞かせて欲しいわぁ」
「いや、そうじゃなくて……」
「そうじゃなくて……なに? 悪い女にでも騙されそうになったぁ?」
「いや……」
「だあってさぁ。アナタってモテるんでしょぉ。結構良い体してるものねぇ」
「あの……」
「あぁ、分かった。この腕の太さからしてぇ……警察官でしょ! ほら、ピンポーン図星ねっ! だからこんなに鍛えた体……」
「いっ、いい加減にしてくれっ!」
うわうわっ!
男が突然キレちゃった。
相手を怒らせちゃ駄目だってぇ。
「金づるを探してるんなら、他をあたってくれ、俺ぁいま
吐き捨てる様にそう
そして、長い沈黙の時が流れる……。
「ふうぅぅ……」
ため息? 誰?
「私も水商売やって結構経つけど……そんな言われ方したのは初めてよ」
え!?
嘘ウソ。普通の大学生だよね。違うの? え? 違ってるの?
「あぁ、いや……」
「でも、そう言う事でしょ。私達の事勝手に見下してさ」
「いや、そんな……見下したとか……そう言う事じゃ」
「私がお店に入って来たらさ、なんだか悲しそうにしてる人が居るからさっ、私がせっかく元気付けてあげようとしただけなのにさっ……それなのに……それなのに……ひぐっ」
「あぁ、ごっ、ごめんなさい。決してそんなつもりじゃ……」
「所詮さっ、私みたいな水商売の女の言う事なんてさっ……誰も……誰も聞いてくれないって言うか……そうよねっ、世間なんてそう言うものよね」
小さく
あぁぁ、完全に泣いてるっ!
なんてヤツだ。
コイツ一発ぶん殴ってやるっ!
僕は無言で立ち上がると、そのままカフェの外に向かって走り出そうとしたんだ。
だけど……。
――ゴッ!
「あ
後頭部に走る激痛!
振り返れば
いやいやいや。駄目ダメ。
絶対にダメ。
スマホで人の後頭部殴っちゃ駄目。
しかも、角だよ。角のトコ。
めっちゃ痛いもの、めちゃめちゃ痛かったもの。
しかも、結構な力入ってたよね。
場合によっちゃスマホの画面割れてるんじゃないの?
大丈夫? スマホ大丈夫なの? それ僕のスマホでしょ?
って言うかスマホも心配だけど、それ以上に僕の後頭部がもっと心配だわっ!
「何するんだよぉ
「何するんだよぉ……じゃないわよ。アンタどこに行く気よ。まさか店に行こうなんて思って無いわよね?」
「いやいやいや、店に行くに決まってんじゃん。
「何言ってるのよ。
うわぁ。
困惑を通り越して、軽蔑と哀れみを足して二で割った様な表情の
「えぇぇ? どう言う事だよ?」
「どうもこうも無いわよ。ここは
チェッ、なんだよぉ。
良く落ち着いて居られるなぁ。
すると、スマホからは何やら親し気に会話する声が聞こえて来る。
「もぉ良いわよ。気にして無いから。それじゃあ、私があなたの悩みを聞いてあげるから、この一杯はアナタの
「はい、分りました。と言うか、是非奢らせて下さい」
なんだ、なんだ?
どう言う事だ?
いつのまにやら、話の主導権は
はた、と目の前を見れば、ドヤ顔の
「ほら見なさい。あの程度の男なんて、
えぇぇ……。
誰目線? それって、誰目線の言い草なの?
まぁ、百歩譲って
それより、いつの間に女優になってたの?
どこの時点でそんな設定になったの?
ちょっと前まで、女スパイじゃなかったっけ?
それに、水商売なんてやってないし、元々は単なる女子大生でしょ?
って言うか、言うに事欠いてちゃっかり自分も女優の仲間入りしてない?
アンタ誰? アンタも普通の女子高生でしょ!?
依然ドヤ顔継続中の
僕は再びスマホの音声に耳を傾ける事に。
どうやら、この男の名前は近藤と言うらしい。
最近結婚したばかりで、ついに子供まで授かったそうだ。
しかし、先日とある事故が切っ掛けで身重の妻と死別。
その影響で、今は何もやる気が起きないらしい。
男の身の上話はおおよそ分かった。
しかし核心となる教団の事については、なぜか一言も喋ろうとしない。
何しろ、職業の事を聞いても「ウチの
どうやら、近藤は意図的に教団の事を隠そうとしている様に見える。
そう言う風に指示されているのか、それとも何らかの訓練でも受けているのか……。
「すぅぅ……すぅぅ……」
やがて、スマホから男の寝息が聞こえ始めた。
どうやら男の方が先に酔いつぶれた様だ。
まぁ
「マスター、お会計お願いします」
「あぁ、結構です。先ほど近藤さんからお二人の分は既に頂いておりますので」
おぉ、ヤルな近藤。
なかなか大人な対応じゃないか、近藤。
って言うか、近藤
今思えば、近藤さんを『見かけない顔』だなんて言ってた
まぁ、お店の方もその辺りは商売だろうから、あまり細かい事は言わないだろうけど。
「マスターありがとっ! また寄らせてもらうわね」
どうやら
「僕たちも移動する事にしよう」
「えぇ、そうしましょ」
僕と
しかし、あまり有益な情報は得られなかったな。
どうする、これ以上の情報収集は無理か?
『いや、タケシ。まだ方法はある』
あぁクロ。それってどう言う方法?
久しぶりのクロからの思念。
流石にカフェの中で
さぞ
『アイツの事を奴隷に落とし、ヤツの
なるほど。その手があったか。
でも近藤さんを
『どうやら既に前後不覚の状態らしいでは無いか。適当な所で闇の洗礼を施し、
どうやらそれしか方法は無さそうだな。
これ以上やっても口は割りそうにない。
そればかりか、あまり親密になると、こちらの情報が漏れる可能性だってある。
ここが潮時か。
僕は近藤さんを奴隷落ちさせる決心をすると、
すると、地下へと続く階段を、よろよろとした足取りで上って来る一組のカップルに出くわした。
どうやら近藤さんは完全に酔い潰れている様で、先輩が肩を貸して、ようやく歩けると言うレベルの様だ。
一瞬手を貸そうか? とも思ったが、泥酔状態とは言え後で思い出す事があるかもしれない。
僕は階段を上って来る先輩に目配せすると、少し離れた所から
『先輩っ、先輩聞こえますか?』
『えぇ、大丈夫、この距離であれば
僕と先輩は主従関係にある。
クロと同様、少しずつではあるが、思念による意思疎通も図れる様になって来た。
まだクロとの様に遠く離れた距離での会話は無理だが、見通しの良い数メートル程度の距離であれば、十分会話は成立する。
『この後、近藤さんに闇の洗礼を施してから
『えぇ、分かったわ』
思念の良い所は、細かいニュアンスや言語外の想いなど、ある程度の範囲で相手と瞬時に共有化する事が出来る点だろう。
普通、いきなり見ず知らずの男をホテルに連れて行けと言われれば、何かと疑問に思う所も多いはずだ。
それなのに、先輩から返されたのは二つ返事。
もちろん僕との信頼関係が根底にあるから……と言う点も一因だとは思うのだが。
ビジネスホテルに到着すると、僕たちはそれぞれ別の部屋へと移動する。
近藤さんと先輩は
僕と
「って言うか、どうしてアタシとアンタが
いやいや、そうだよね。
そう言うと思ったよ。
エレベータの中で二人きりになった途端、
「アンタ何考えてるの? こんな緊急事態に一体何考えて部屋予約してんの? ホントバカなの? アンタの頭ん中はチ〇コで出来てるの? ねぇそうなの? そうなんでしょ!?」
とにかく
って言うか、女子高生が堂々とチ〇コって言うなよぉ。
イメージメチャメチャ崩れるじゃんよぉ。
「ちょっと待って、良く聞いて。部屋が空いて無かったの。ホント、マジで。ツインの部屋が空いて無かっただけなの。ホント他意は無いのよ。マジ、本当なの」
散々言い訳を重ねてみるけど、彼女の疑いの眼差しは一向に変わらない。
それどころか。
「わかったわ。百歩譲って部屋が空いて無かったとしましょうよ。でもそれならそれで、どうしてそんな事言うのよ。そこは美しい君と一緒に短い時間だけでも恋人気分に浸りたかったから、思わずダブルを選択しちゃいましたって、どうして言えないのよっ、ホントデリカシーの無い人よねっ!」
なんだよぉ、それぇ。
それじゃあ、何の為に僕は言い訳したんだよぉ!
もぉ、分んねぇよぉ、
結局僕は最後までプリプリした状態の
――ピコン!
ちょうどそこでチャットの着信音が。
《部屋に到着 413号室》
《近くに来たらチャットか思念で》
先輩の方も部屋に到着した様だ。
「先輩が部屋に到着したみたいだ。早速行って来るよ。
「えぇ、分かったわ」
先程までのお怒りモードも何処へやら。
先輩の事となると、急に真顔になる
「とりあえず、
いやいや、それ必要?
それ、本当に今必要?
って言うか、それ、僕に言う必要ある?
各種疑問が僕の頭の中で某動画サイトの様に大量に流れては消えて行くが、一旦全て無視。
「まっ、まぁ程々にね。先輩が来た時、ちゃんとドアを開けてあげてよね」
「えぇ、分ったわ。任せておいて」
チェッ、こう言う時だけは素直だな。
色々と納得できない部分も多くはあるけど、ここでいちいち突っ込んでる暇は無い。
僕は
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます