第34話 絶望に彩られた背信

『それで、ここがその教団の本部と言う訳か?』


「あぁ、……間違い無い」


 目の前に見えるのは、南青山の一角に建つオフィスビル。

 最寄りの駅からは多少歩くけど、さして不便を感じる程でも無い。


 如月きさらぎさんから教えてもらった教団の名前。

 ネットで検索すれば、本部の住所なんて簡単に判明しワレた。


 それはそうか。

 ヤツらは宗教団体として広報活動までやってるぐらいだからな。


 新興宗教と言うには意外と老舗で、信者数は公称十万人。

 まぁ、実際にはその半分なのか、十分の一なのか……正確な所は分からない。


 ただ、先程から見ている限り、かなりの人数が出入りしている様には見える。


『で? タケシ。この後どう動く?』


 確かにクロの言う通りだ。

 勢いでここまで来てはみたものの、どうやって接触すれば良いのか皆目見当も付かない。


 相手が公的な宗教団体なんだから、まずは定期的に開催される一般を対象としたミサや礼拝なんかに参加するのが順当だとは思う。

 しかし、それは自分がであれば……と言う前提が必要だ。


 残念ながら自分達は教団側から追われ、命を狙われている立場。

 しかも、司教クラスともなれば接触……いや、場合によっては近付いただけで、身元がバレる恐れがあるらしい。


 確かにあの時。

 僕の体から魔力が漏れ出していた状態だったとは言え、駅を歩いていただけで、いきなり声を掛けられたのには驚いた。


 となれば、むやみに教団の人間と接触するのは危険だ。危険すぎる。


 では、どうする?


「クロ……残念だけど、今日の所は引き上げよう。とりあえず教団本部の場所も分かった事だし」


『うむ、そうだな。仕方あるまい。それが正解だろう』


 そんなクロはと言うと、彼女が着ていた衣装一式と一緒に僕のリュックの中で丸まっている。

 渋谷や原宿ならいざ知らず、閑静な住宅街も近い南青山では、猫耳に尻尾を付けた派手なスカジャン娘は悪目立ち過ぎる。


 僕は少し重めのリュックを背負い直すと、やおら大通りの方へと向かって歩き始めたんだ。


 そして、歩き始めてわずか数歩。


「キミ、ちょっと話を聞かせてもらっても良いかな」


 突然、誰かが僕の肩を掴んだ。


 えっ!?



 ◆◇◆◇◆◇



加茂坂かもさかさん、加茂坂かもさかさんっ!」


 俺はその声を無視してエントランスホールを歩き続ける。


加茂坂かもさかさん、ちょっと待って下さいよ。加茂坂かもさかさんっ!」


 すれ違う職員連中が、不思議そうに俺の顔を覗き込んで行く。

 ここまで大声で呼ばれてるのに、どうして振り向かないのか? って事だよな。

 分かってるさ。あぁ、分かってる。

 そんな事は重々分かってるよ。

 だが、俺にはヤツと顔を合わせたく無い理由ワケがあるんだ。


 やがて、小走りに駆け寄って来たヤツは、俺の袖を掴んで来た。


加茂坂かもさかさん、お願いします。話を聞いて下さい!」


 仕方ねぇな……ここまでか。


 俺は自分の耳からイヤホンを取り外すと、ゆっくりと振り返ってみせた。


「おぉ加藤か。悪ィな。競馬中継に集中してたら気付かなかったわ」


「あぁ、いいえ。僕の方こそ突然声を掛けてしまって申し訳ありません。少しだけ、お時間良いでしょうか?」


「あぁ……」


 俺は軽く思案した後、通用口の方へと向かってあごをしゃくってみせる。

 加藤もその意味を理解したんだろう。

 軽く頷いてから、既に歩き始めていた俺の後に付いて来ている様だ。


 通用口を出て、小さな通りを挟んだすぐ向かい側。

 真新しい外装の大手コンビニチェーン店が見える。

 その店先に設置された喫煙場所には自販機もあり、日差し避けのターフも設置されていて意外と居心地が良い。


 教団のビルが完全禁煙化されて早や三年。

 喫煙者はついにビルの外へと追い出されてしまった格好だ。


 ――シュボッ


 早速胸ポケットから取り出したタバコに、飲み屋でもらった百円ライターで火を付ける。


「ふうぅぅ……」


 切れかけていたニコチンが、再び体中に充填じゅうてんされて行くのが良く分かる。

 最近では低タールをうたい文句に、電子タバコってヤツが流行りらしいが、俺に言わせりゃあんなモノは子供の玩具オモチャだ。

 まぁ……子供はタバコ吸っちゃいけねぇけどな。


「で? 俺に話ってのは? だいたいお前はまだ忌引き中で、色々とヤル事があるだろ? わざわざ本部に出て来なくても良いんだぞ」


「あぁ、えぇっと。葬儀の方は加茂坂かもさかさんに色々とご手配頂きまして、無事終える事が出来ました。本当にありがとうございました」


「おっ、おぉ……そうか」


 なんだ、加藤のヤツ。そんな事を言う為にわざわざ出て来たのか?


 しかし、その後は一言も喋らず、俺の目の前で項垂うなだれた格好のまま立ち尽くすだけ。


「話はそれだけか? だったらこんな所に居ないで、早く帰って嫁さんと……あぁ、えっと……とにかく安らかな眠りにつけるよう祈る事だな。その方がお前の嫁さんにも、そしてお前自身にとっても良いはずだ」


 思わずと言いかけたが、何とか言い留める事が出来た。

 嫁の件だけでも受け入れがたいだろうに、ましてや……。


加茂坂かもさかさん……俺……見たんっスよ」


「なっ、何だよ、やぶからぼうに」


「俺、言わなかったっスけど、、近くにまで来てたんス」


「……」


「確かに良く見えなかったのは事実っス。でも、加茂坂かもさかさんがあのアイスキュロスの後ろで何か叫ぼうとしてたとこ……見てたっス」


 おいおいおい。

 見られてたのかよぉ……。


「でも、確信が持てなくて……。でも、後からアイスキュロスと加茂坂かもさかさんが書かれた報告書を見せてもらって……」


「いっ、いや、あれはだなぁ……」


「いいえ。良いんっス。確かにあの場所に例の召喚者の女が居たんスよね。それはそうなんだと思ってます。確かに跡形もなく消えてしまったとの事ですが、それは例の列車事件の時と同様。恐らく何らかのを使ったんだと思ってるっス……ただ」


 加藤の表情が思いつめたモノから、突然、果てしない憎悪へと変化する様子が手に取る様に分かった。


「納得行かないのはアイスキュロスの報告書っス。報告書には、召喚された魔獣によって嫁が殺されたって書いてありました」


 確かに。

 俺もあの若造アイスキュロスの書いた報告書を読んだ。

 そこには、追い詰められた召喚者がグレーハウンドを召喚。その牙により加藤女史が殺害されたと書かれていたのだ。


「しかしっスよ加茂坂かもさかさん。俺、あの場に駆けつけた時に見てるんスよ。粉々に砕け散った墓石に、凍てついた血だまり。えぇ確かに報告書にはアイスキュロスが氷の槍アイスランスを使ったって書いてありました。でも……でもおかしいじゃ無いっスか。魔獣が俺の嫁を嚙み殺したんだったら、複数の傷跡が残るもんでしょ? でも……でも、俺の嫁の体には背中から胸へと貫かれた大きな穴が一つあるだけで、魔獣の爪痕一つ残っちゃいなかった。いや、それどころか嫁の傷跡はまるで氷の槍アイスランスに貫かれたかの様に凍っていて……」


 もはや何の言い訳も思いつかん。

 今ここで洗いざらい話しちまうか?

 それは……教団の為になる事か? いや、それ以上にコイツの為になるのだろうか?


加茂坂かもさかさん、お願いしますっ。本当の事を教えて下さい。俺、その後加茂坂かもさかさんの報告書も見たんス。そしたら、ちょうとその部分が記載されているはずのページだけが欠落してたんっスよ。どうして、どうしてそんな途中の一ページだけ欠落するんっスか。えぇ、僕は聞きましたよ。加茂坂かもさかさんの書かれた報告書の元データを見せてくれって。そしたら、元データは既に消去された……って」


「あっ、あのなぁ……加藤。良く聞け。あれは事故だ。偶々たまたま、本当に偶然あの場所で例の召喚者と会った。それは間違い無い。俺も宝具で確認している。そして戦闘になった。アイスキュロスが応戦し、結果ヤツを殺した。そう、ヤツの息の根が停まった事も俺は確認している。そして……」


「俺の嫁が巻き添えを食って、……。って事っスよね」


「……」


 この場で何を言っても無駄だ。

 加藤の中では既にヤツのが出来上がっちまっている。

 まぁ、誤った真実だとは言え、アイスキュロスの書いた報告書よりは、よほど真実に近いがなぁ……。


加茂坂かもさかさん、ありがとうございました。直接お言葉を聞かせて頂けなかったのは少し残念ですが、加茂坂かもさかさんにもお立場がある事は十分理解してます。その上での沈黙。えぇ、僕には十分に伝わりました」


「いっ、いや。あのな加藤……」


「お時間取らせて申し訳ありませんでした。それじゃあ俺、これで失礼します」


 急に笑顔を取り戻した加藤。

 もちろん、その笑顔は小学生がノートの端に描いた様なつたないものでしかない。

 そのままヤツは、一度だけ深々とお辞儀をすると、まるで俺から逃げる様にその場を走り去ってしまったんだ。


 ――チリッ、チリチリッ……


「熱っ!」


 いつの間にか手に持っていたタバコが指の近くまで燃え進んでいた様だ。

 俺は急いで吸い殻を灰皿に投げ捨てると、やおら胸ポケットから新しいタバコを取り出して火を付けた。


 加藤のヤツ……変な気を起こさなきゃ良いが……。

 気さくで人あたりの良い男ではある。

 しかし、根は真面目で実直な性格。

 思い込みの激しい所も無いとは言い切れない。


「ふうぅぅ……」


 大きく揺らぐ紫煙が目の前をただよう。


 折角教団に所属しているんだ。

 こう言う時にこそ心静かに、己の信じる神に対して祈りを捧げれば良いのに。


 ふと、そんな風にも思う。


 しかしまぁ、その信じる神のしもべとなる司教が、最愛の妻と子を殺したとあっちゃあ、信じたくても……信じられねぇわなぁ。


「ふうぅぅ……」


 ある意味の自分にしてみれば、その辺の心の機微きびってヤツは最も不得意とする科目の一つだ。


 そうだよなぁ。

 それが分かるぐらいだったら、俺も嫁と娘に逃げられたりしてねぇんだよなぁ。

 などと不謹慎に思ったりしてみるが……。


 ――プルルルル、プルルルル……


 その時、突然胸元の携帯が鳴動を始めた。


「はい。加茂坂かもさかです」


「あぁ、すみません、守衛の山本です。お疲れ様です」


「はいはい。山本さん、ご苦労様です。どうしました?」


「えっと加茂坂かもさかさんは、まだビルの中に居られますかね? 実はビルの正面にずっと居座ってる少年が居ましてね。ちょっと様子がおかしいんで声を掛けようと思うんですが、何かあったらマズいんで一応ご報告と言う事で」


 政治部特務課ウチのチームは仕事柄、警備課のチームとも繋がりが深い。

 お互いに協力し合う関係と言って良いだろう。

 近頃危ないヤツも増えているから、不審なヤツを見つけた時は、俺の方へ連絡する様にと周知しているのだ。

 流石に警備課の連中はGlockで武装なんてしちゃいないからな。

 せいぜい持っていても警棒程度だ。


「あぁ、分かりましたよ。私いま横のコンビニでタバコ吸ってる所なんで、そのままビルの正面に向かいますよ。えぇ、大丈夫です。はい、はい。任せて下さい」


 ――ピッ


 俺は携帯を切ると、既に短くなったタバコにもう一度だけ口を付けた。


「ふぅぅぅぅ……」


 さて、ニコチンの補充も終わったし。仕事をしますか。


 俺は一度だけ左胸に吊るしたホルスターの重みを確かめてから、ゆっくりとビルの正面に向かって歩き出したんだ。


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