第30話 ファイナルラウンド《前編》

「やれぇぇぇぇ!」「殺せぇぇ!」


 いやが上にも高まる観衆の熱狂ボルテージ

 男も女も。

 リングの中で繰り広げられる死闘に、己が興奮を更に上乗せして行く。


真塚まづかさん、これ……ガチなヤツですね」


 リング周辺に飛び散る血と汗。

 そんな事はとうにり込み済みと言う事なのだろう。

 最前列の観客達は店側が用意した透明のビニールシートを大きく広げ、闘士ファイター達の血飛沫ちしぶきを受け止める度に黄色い歓声を上げる始末。


「そうだね、ファイナルラウンドは遊び無しだから……」


 ファイナルラウンド……。

 それは、血と酒、熱狂と興奮。そして金に官能。

 民衆が求める物は、数千年前と何ら変わらない。

 人間の本能がそれを常に欲すると言う事なのだろうか。


 結局、オープンラウンドで陰真いんさなこと真瀬美里さなせみさと先生と戦う事になったボクは、真塚まづかさんの指示に従い早々に『棄権』を選択。

 実はそれが様式美と言うか、出来レースと言うか……。

 オープンラウンドに参加していた参加者全員が彼女との試合を棄権すると言う事態に。その結果、彼女はオープンラウンド全勝でファイナルラウンド進出を決定した様だ。


 ただ、同様に古参の闘士ファイター数人も対戦相手全員が棄権でオープンラウンドを通過している事を考えると、真塚まづかさんの言う通りオープンラウンドはあくまでもファイナルラウンド参加者の顔見せと、一般参加者による前座余興……と言う流れが既に浸透していると言う事なのだろう。


 そして、オープンラウンド終了後、約三十分の休憩を挟んで開始されたファイナルラウンド。


 聞いての通り、ファイナルラウンドは勝ち数の少ない者から順番にマッチメイクされて行くらしい。

 ただし、同じ勝ち星の場合は順不同。

 抽選による決定だと言う話だが……本当の所はどうだろうな。


 ファイナルラウンドの第一試合から見ている限り、ある程度面白い試合運びとなる様、実力者は後半に温存されている様にも見える。

 まぁ、そこは主催者側のご都合と言うものだろう。


『タケシ。どうだ様子は』


 聞き感じなれた思念が脳内に響く。


 あぁクロか。

 大丈夫だよ、何とかやれてる。それよりクロの方こそ大丈夫なの? だからお酒はダメだって言ったのにぃ。


『いや、スマンな。どうしても香丸こうまるが飲めと言って聞かんものでなぁ。少し眠ったら元気になった』


 いま僕が居るのはリングサイド脇に設けられた参加者専用のブース。

 恐らくクロはVIPルームの方にまだ居るはずだから、結構距離はある。

 しかし、クロとの思念のやり取りもかなり慣れて来て、この程度の距離であれば十分に意思疎通が可能だ。


『この部屋からはお前の事が良く見えるぞ。私がそこに行くよりは、ここに居た方が全体を俯瞰できると言う意味でも有効だろう。タケシ、それで問題無いな』


 あぁ、それで良いよ。


 下手にリングサイドに来られても、色々と面倒事が起こりそうだし。

 それに、クロに全体を見渡してもらっておけば、もし教団連中が近づいて来たとしても事前に察知してくれる事だろう。


『タケシ、お前の出番はまだか?』


 えぇっと、この次……かな。


 既に一勝、二勝メンバーによる試合は終了しており、壮絶な潰し合いの末、全員が敗退。

 ちょうど目の前で死闘を繰り広げているヤツらは自分も含めて、オープンラウンドで三勝したメンバー達だ。


 更に僕の後には四勝したヤツらが二人控えている。

 なんとそのウチの一人は例の佐竹だ。

 恐らく僕たちが会場入りする前に勝ち抜けていたんだろう。

 この後、僕が優勝を狙うのであれば、ヤツとの対戦は避けられない。


 まぁ、オープンラウンドをマジで戦ったメンバーはここまでで、これより後は、オープンラウンドを全勝した三名。

 全員が登場曲を持つ古参だ。

 当然その中には例の陰真いんさな先生も含まれている。


『しかし、この世界でもやはり闘技会は人気なんだな。まるで帝都にある闘技場コロッセウムの様では無いか』


 へぇぇ。クロ達の世界にも闘技場コロッセウムがあるの?


『あぁ、ある。まぁ、私は一度も帝都に行った事は無いが、吟遊詩人の話では数万の人々がその試合を見に来るらしい。まぁ、吟遊詩人の言う事だ。どの程度信用できる話なのかは分からんがな。だいたい数万の人々が入れる建物など想像もできん』


 なるほど。闘技場コロッセウムね。

 まさにその通りだ。

 現代人の欲望を満たす為だけに創られた、新たな大人の社交場と言う訳か。


 ――ウォォォォ!


 そんな中、ひと際大きな歓声が聞こえて来た。

 どうやら前の試合が終了した様だ。


勝者ウィナーぁぁ! 『爆裂豚魔人』っ! 皆様、勝者ウィナーに温かい拍手をぉぉぉぉっ!」


 おぉ、『爆裂豚魔人』が勝ったか。

 アイツ確か、僕との対戦を棄権したヤツだよな。

 結局ちゃっかり三勝してファイナル進出しやがって。

 まぁ、あの時は体力温存するつもりだったんだろうけど、今度は本気で来るだろうし、気合入れて掛からないとマズいな。


 そう思いつつ、自分のコールを待っていると。


「皆さまにご連絡申し上げます。ただ今の勝者『爆裂豚魔人』ですが、本人に継戦の意思はあるものの、まぶた部分、切創からの出血がはなはだしく、ドクターストップとなった模様です。よって『爆裂豚魔人』対『ミスターT』の試合は『ミスターT』の不戦勝となります。あらかじめご了承下さい」


 そんなアナウンスの声に会場内からは『爆裂豚魔人』の健闘をたたえる拍手が沸き起こった。

 確かに多少のブーイングも聞こえては来るけど、大枠は好意的な反応の様だな。

 ふざけた名前の割には、まともな闘士ファイターだったと言う事だろう。


「よし、犾守いずもり君。次はキミの出番だ。オープンラウンドの時にも言った通り如月きさらぎさんの事は僕に任せて、無理をせず、危ないと思ったら棄権を選んでくれ」


「はい、ありがとうございます」


 僕は軽くステップを踏みながら、光り輝くリングの中央へ。

 上半身は全て脱ぎ捨て、下半身はジーンズ地のスリムパンツのみ。

 靴には特に取り決めが無いので、普通のジョギングシューズだ。


 ――ウォォォォ! ティティティ


 湧き起こるティコール。

 僕は軽く右手を上げる事でその声に応えてみせる。


 そして僕の目の前に現れたのは。


「よぉ、久しぶりだな。この日を待ち望んでたぜぇ」


 くっ、よりにもよってファイナルラウンド最初の相手がコイツかよ。

 余裕綽々よゆうしゃくしゃくのその表情。

 身長は優に百八十センチメートルを超えているだろうか。

 使い込まれた道着を身に着け、颯爽さっそうと登場したのは。


「チクショウ……佐竹めぇ……」


 コイツ、道着を着ての登場とは恐れ入ったな。

 当然と言えば当然だけど、腰に巻かれた帯の色は黒。

 間違いなく有段者だ。


「前回はお前の卑怯なやり口にヤラれはしたが、今度はそうは行かんぞ」


 そうだ。

 前回はBootした僕の分身を使って背後から絞め落としてヤッたんだ。

 ただ、この観衆の前でBootは使えない。

 技術力や攻撃力はどう考えても佐竹ヤツの方が断然上。 

 一体どうする? どうすれば良い?


 リングの中央ではレフェリーのルール説明が続いている。


 どうやら佐竹ヤツのリングネームは『金剛』と言うらしい。

 佐竹ヤツらしい名前だな。

 それにしても、意味分かって付けてんのか? いちど聞いてみたいもんだな。

 そんな佐竹ヤツは僕の顔を睨み付けたまま。

 僕もヤツから目を逸らさない。


 ヤル。ヤッてやる。

 ここで……この場で禍根かこんを絶つ。

 断ち切ってみせる。


 これ以上、僕の周りのみんなに迷惑を掛ける訳には行かない。

 その為には、絶対的な力が。

 そう、僕が絶対的な強者である事をこの場で証明する必要があるんだ。


「ルール説明は以上。両者リングサイドへ」


 レフェリーの言葉が途切れたタイミングで、僕は佐竹ヤツに向かって右手を差し出した。

 Fist Bumpフィストバンプは試合開始前の慣習なのだろう。

 他の参加者を見ても、必ず行う儀式らしい。

 しかし、佐竹ヤツはそんな事すらお構いなし。

 さっさと僕に背を向けて歩き去ろうとする。


 チェッ。どこまでも気に入らない野郎だ。


 僕はヤツの背中を一瞥いちべつすると、真塚まづかさんの待つリングサイドへ。


真塚まづかさん、僕、今回は本気で……」


犾守いずもり君! 後ろッ!」


「えっ?」


 真塚まづかさんの声に反応し、振り向いた時にはもう遅かった。


 ――カァァン!


 突然の試合開始ゴング


 ダメだ、間に合わん! 避けられないっ!

 迫り来る

 それに向かって両腕を掲げるのが精いっぱい。

 

 ――ドカッ、ミシッ!


「ウグッ!」


 僕はに弾き飛ばされ、思い切り床へと叩き付けられる。


「ガハッ!」


 突然の出来事に肺が押しつぶされ、上手く息が吸えない。

 しかも防御したはずの両手はしびれ、思う様に動かす事すら出来ない。


 ヤバい、このままだと追撃されるっ!

 とにかく起きなきゃ、起きろ、起きるんだっ!


 今にも折れそうな心を叱咤しったしつつ、何とか立ち上がろうともがいてみるが、肝心な両腕が全く言う事を聞かない。


 ダメだ立てない。

 どうする、第二撃が来るっ!


 とにかくこの場に留まるのは危険だ。

 僕は下半身の反動だけを使って、体を観衆の方へと転がり込ませた。

 その直後。


 ――ブオンッ!


 佐竹ヤツ渾身の蹴りが、僕の頭部のあった部分を物凄い勢いで通過する。


 うぉぉ! ヤベェ、危機一髪!

 今のを受けてたら、完全に死んでたっ!


「場外っ! 場外っ! 『金剛』はリングサイドへっ!」


 即座にレフェリーから中断の声が掛かった。


「『ミスターT』立てるか? 場外はワンペナルティだ。スリーペナルティで反則負けとなる。注意する様に」


 僕はレフェリーの指摘に頷きつつも、ゆっくりとその身を起こして行く。


 ちくしょう。まだ両腕がしびれてる。

 元通りになるまでまだ時間が掛かりそうだ。

 とりあえず出来るだけ時間を掛けて立ち上がらないと。


 僕は佐竹ヤツの事を睨み付けながら、ゆっくりと身を起こして行ったんだ。


 どうやら試合開始ゴングと同時に蹴り技を入れて来やがったらしい。


 チクショウ、失敗した。

 ゴングが鳴れば試合開始。それは当然だ。

 悠長ゆうちょうに後ろを向いていた自分にこそ非はある。


 レフェリーが継戦の意思を確認して来る。

 僕はファイティングポーズを取る事で、その意思を表明。


「両者、ファイツッ!」


 レフェリーの掛け声とともに、試合再開だ。


「へへへ。正面切っての喧嘩けんかだったら、俺ぁ強いぜぇ……卑怯者さんよぉ」


 チッ! 佐竹ッ、十分お前は卑怯だよ!


 腕のしびれは未だ取れない。

 だが、両足の方は健在だ。

 僕は左右にステップを踏みながらヤツの懐近くへと突き進んで行く。


 落ち着け。

 オープンラウンド同様、僕はいる。

 佐竹ヤツの動きは緩慢かんまんな亀と同じだ。

 視認無しノールックによる渾身こんしんの右ストレートを放てば、ヤツだって避ける事は出来ないはずさ。


 僕は身を低くして佐竹ヤツふところ深くへと入り込んで行く。

 ……しかし。


 ――ミシッ!


「ガハッ!」


 首筋から背中に掛けて、稲妻の様に走る激痛。

 僕は物凄い勢いで再び地面と接吻する羽目に。


 ――ダダァン! 


 なんだ? どうした? 何があった!

 グッ! 背中を殴られたっ。

 ダブルスレッジハンマーか? いや、そんな素振りは……。


 床に頬を付けたまま見上げてみれば、ほくそ笑む佐竹ヤツの顔と右ひじが見える。


 ひじ打ちかっ!

 それなら分かる。

 動きが短い分反応も早いし、攻撃力だって申し分ない。


犾守いずもりぃ。お前は意外と身体能力が高く、目が良いのは分ってる。だが、それで勝てるのは素人だけ……だっ!」


 ――ブオンッ!


 再び佐竹ヤツの蹴りが、僕の頭部のあった部分を通過する。


 何言ってやがるっ!

 お前は一回僕に負けてるだろ? って事はお前も素人かっちゅー話だ。

 しかも、セリフは全部言ってから攻撃しろよなっ!

 じゃないと、アニメ化した時に作画が面倒だろっ!


 腕立ての要領で佐竹ヤツの蹴りをかわすと、そのまま三メートル程後方へと飛び退いてみせる。


「はぁ、はぁ……っはぁ、はぁ」


 息が上がってる。

 ダメだ。既に二回、大きな攻撃を受けてしまった。

 腕のしびれはようやく収まりつつあるが、それでも完全じゃ無い。

 しかも、今のひじ打ちは……利いた。

 僧帽筋か、広背筋か……。かなりのダメージを負っている様に感じる。

 このままだと……マズいな。


「チッ!」


 一度バックアップにChangeするか?

 しかし、試合途中にChangeするのは危険だ。

 なにより、これだけの観衆がいる前で本当にヤッても良いのか?

 それぐらいなら、潔く負けを認めた方が……。


「なんだ、犾守いずもりぃ、もう心が折れたかぁ? どうした? 棄権するか?」


 佐竹ヤツのニヤけた顔。


「お前は所詮、負け組なんだよ。聞いてるぞぉ、お前、クラスでハブられてるらしいじゃねぇか?」


 その見下した態度。 


「そりゃそうだよなぁ。お前みたいな中身の無ぇ薄っぺらいヤツぁ、サッサと死んじまえば良いんだよ」


 その言い草たるや。


「あはは。安心しろよ。お前一人を三途の川の向こうへ追いやったりはしねぇよ。お前の仲良しグループ全員、仲良く地獄に送ってヤッかんよぉ!」


 コイツ……。

 僕の仲間にまで手を出す……だと……?


「ふぅぅぅ……」


 ……なぜだろう?


 先程まで肩に重くし掛かっていた気負いは雲散霧消うんさんむしょうし、心の表面はいだ湖面のごとく静まりかえって行くのが分かる。


 よし、決めた。

 そうしよう。


 コイツ……殺そう。


 人間、怒りが沸点を超えると、逆に落ち着く事が出来るもの……なのかもしれない。


 僕は静かに佐竹ヤツを見据えたまま身構え始めた。

 その姿勢や型は、まるで佐竹ヤツの事を鏡で映したかの様に……。


「ほほぉ、どうした? お前も空手をヤッてたのか? この前は俺をめる為に、ワザと不格好な構えをしてたって訳か。とことん卑怯なヤツだな」


「ふぅぅぅぅ……」


 佐竹ヤツの挑発には一切乗らない。

 僕は脳内にを、ただ単純にトレースするだけ。


「互いに有段者と言う事であれば、それ相応の対応が必要だな」


 同じく佐竹ヤツ自身も新たな構えへと移行し始める。

 わずか数メートルの距離をへだてて、互いに攻撃の型を披露する二人。


 最初ははやし立てていた観衆も、真剣な二人の表情を見るにつれ、だんだんと静まり返って行く。


 やがて、しびれを切らしたのは佐竹ヤツの方だった。


「うぉぉぉぉ!」


 正拳突きから始まり、中段への前蹴り、更には必殺の回し蹴りへと繋げる一連のコンボ技が炸裂。

 しかし、それら全ての技はことごとく僕の防御に阻まれ、決して有効打とはなり得ない。


 しかもその直後、返す刀で繰り出される僕の攻撃は、たった今佐竹ヤツが繰り出した技とうり二つ。

 その完璧な再現に、会場からもどよめきの声が湧き起こる。


「チッ! 少しはヤル様だが、所詮は俺の複製コピー。決して俺を超える事など出来んっ!」


 その瞬間。佐竹ヤツの方から、怒涛どとうの連続攻撃が始まったんだ。


 突き、打ち、蹴るっ!

 その紡ぎ出される攻撃は、とても高校生とは思えぬ程に的確でかつ重い。


「セイッ、セイッ……セイッ! 死ねっ、死ねえぇっ!」


 しかし……。


 佐竹ヤツをトレースする僕に、ヤツの繰り出す技を防げぬ訳が無い。

 矛盾とは良く言ったものだ。

 自身の得意とする技を極める者は、その技に対する防御方法を同時に想定するものらしい。

 佐竹ヤツの記憶の引き出しには、常にそのがしまい込まれていた。

 あとは単純作業。

 問い掛けられた問題攻撃に対して、答え防御を返すだけ。

 他人を凌駕りょうがする身体能力を持つ僕にとっては、造作も無い。


 一分、二分……五分。


 刻々と過ぎて行く時間。

 繰り出す技、その全てを受け流され、先にミスを犯したのも結局は佐竹ヤツの方だった。


 既に何度も使った回し蹴り。

 よほどの自信があったのだろう。

 しかし、インターバルも無く、続けざまに繰り出す攻撃により、確実に佐竹ヤツの体力は削られていた。


「うぬっ!」


 一瞬ではあるが、佐竹ヤツの軸足が揺らいだ。


 ――パスッ!


 いままで防戦一辺倒であった僕からの突然攻撃に、佐竹ヤツが驚きの表情を浮かべる。


 足払いっ!


 ――ダダン!


 佐竹ヤツの巨体が宙を舞い、そのまま床へと叩きつけられる!


「うぐっ!」


 疲労困憊した体は受け身も取れず、倒れた拍子に脇腹でも痛めたのだろう。

 体をくの字に曲げて、悶え苦しみ始める佐竹。


「形勢逆転……だな」


 僕は佐竹ヤツの傍に近付くと、哀れみのこもった目でヤツの事を睨み付ける。


「さっきは良いようにヤッてくれたなぁ。しかも僕の仲間にまで手を出すって? 聞き捨てならないよなぁ。そんな危険なヤツ、今のウチに始末しておかないとなぁ……」


 怯えているのだろうか?

 それとも、予想以上のダメージを受けて動けないだけか?

 佐竹ヤツはいまだ、地面に這いつくばったまま。


「それじゃあ、死んでくれ」


 僕はヤツの頭部目掛けて自分の足を思い切り振り下ろそうとしたんだ。


 ――キラッ!


 その時、佐竹ヤツの右手が一瞬だけ光った!


 アッ!


 僕は振り下ろした足の軌道を変えて、ヤツの右手を力いっぱい踏みつける。


「うがぁぁぁ!」


 苦悶くもんの表情を浮かべる佐竹。

 その右手に握られていたのは、鈍色にびいろに輝くナイフ!


「佐竹ぇぇぇ!」


 ――ゴキバキッ、ゴキゴキバキッ!


 踏みつける。ただひたすら踏みつける。

 佐竹ヤツの右手の骨が粉々に砕け散るまで。

 許さない。絶対に許さない。

 僕は執拗しつよう佐竹ヤツの右手を踏みにじり続けた。


「うがぁぁぁ! うごぁぁぁっ!」


 まるでけものの様な咆哮ほうこう

 あるいは断末魔だんまつまの叫びか。


「ストップ、ストーップ! そこまでっ! 『ミスターT』はリング端へっ!」


 血相を変えたレフェリーが僕を抱き抱える様にしながらリング端へと押し込んで行く。


「ゴングッ! ゴングだっ! 『金剛』は継戦不能っ! ドクターを呼べ! それに……」


 ここでようやくレフェリーが佐竹ヤツの右手に握られたナイフに気付いた様だ。


「ああっ! 反則だっ! 『金剛』は武器を使用したっ! 失格っ! 『金剛』は失格とするっ! 勝者は『ミスターT』!」


 レフェリーの宣言がマイクを通して会場全体に響き渡る。


 ――ウォォォォ! ティティティ


 鳴りやまぬ歓声。

 僕に対する称賛の嵐と、佐竹ヤツへの罵声が交錯する。


「はぁ、はぁ……はぁっ、はぁ……」


 僕はリングサイドに立ち尽くし、手当を受ける佐竹ヤツの事をただ眺めているだけ。

 そして、暫くすると佐竹ヤツがタンカに乗せられ、リングの外へと運び出されて行った。


『ご苦労様、良い戦いだった』


 あっ、ありがとう……。


 最初に声を掛けてくれたのは、クロだ。


 でもクロ。

 途中一度も声を掛けてくれなかったよね。


『あぁ、そうだな。これはお前の戦いだ。私の出る幕は無かろう』


 そうだな。

 クロの言う通りだ。

 これはあくまでも僕の戦いだ。

 でも……。


 今回、僕は佐竹ヤツを本気で殺そうと思ってたんだ。

 だけど……クロ……止めなかったよね。

 前回、学校で喧嘩した時は僕の事を止めたクセに。

 どうして? どうして今回は止めてくれなかったの?


 ふと胸に浮かぶ素朴な疑問。


『あぁ、お前がヤツを殺そうとしているのは分っていた。しかし、今回は事情が違う。お前はお前の仲間を守るため、正々堂々と命のやり取りを行ったのだ。そして勝者となった。その時点でヤツの生殺与奪の権利はお前にある。私が口を挟む余地など欠片も無い』


 そうか。……そう言う事か。

 クロの言っている事は正しい。

 彼女の倫理感として、殺人がどうのと言う問題では無いんだ。

 その目的……理由こそが重要だと言う事か……。


 善悪って……一体なんなんだろう?


 そう考えれば考えるほど、僕はクロに対して底知れぬ畏怖を感じずにはいられなかったんだ。

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