第26話 フラストレーション発散

「……ごめん」


「ううん、気にしないで」


 吐息交じりの切ない声。

 こんな耳元でささやくなんて……。


「本当に……ゴメン……」


「大丈夫」


 鼻腔の奥をやさしく愛撫するこの香り。

 アメリカの有名な女優がつけていた香水と同じ物らしいけど……。


「ちょっと……なんか……」


「私は一緒にいてくれるだけで、それで良いの……」


 時刻は既に午前零時を少し回った頃だろうか。

 僕は彼女の柔肌にくるまれたまま、込み上げる恐怖と孤独感にさいなまれ続けている。


「お口でしてあげよっか?」


「……」


 そのまま布団の中へと潜り込む彼女。

 やがて、布団の中からははかなげな雫音が……。


 昨日、宝具を回収する為におもむいた霊園。

 そこに待ち構えていたのは、例の宗教団体に所属するメンバー達。


 そう言えばあのトレンチコート男に、金髪ドS野郎まで居やがった。

 しかも……全くの無傷で。


 アノの日の夜。

 クロと僕がBootした二頭の魔獣は、どう考えても生身の人間が太刀打ちできるレベルじゃ無かったはずだ。

 つまり……。

 あの二人は魔獣二頭をで倒すだけの力を持っている……と言う事に他ならない。


 しかも、しかもだ。

 ヤツら……昨日も結香ゆいかを……殺している。


 今回で二度目だ。

 ヤツらにとっちゃ、人殺しなんて別に大した問題じゃ無いって事か?


 しかし、どうして?

 いや、どうやって結香ゆいかを見つけたんだ?

 何か方法が? 方法があるのか?


 下半身から伝わり来る快感。

 しかし、僕の脳はそれを全く受け入れようとはせず、思考はさらなる闇へと向かって行く。


 マズいなぁ。

 そう言えば昨日、トレンチコート男に顔を見られてる。

 そうだ、そうだった。

 僕はあの男に顔を見られたんだ。


 あの、僕を睨み付ける鋭い目。

 絶対。絶対に感づいてるに違いない。

 僕が魔獣を……そして、結香ゆいかをBootした張本人だと言う事に。


 それじゃあ、なぜ直ぐ捕まえに来ないんだ?

 それは……。

 僕はおよがされている……のか?


 そうか、そういう事か。

 僕をおよがせておいてクロを……クロを捕まえようって魂胆こんたんなんだな。そうか、そう言う事なんだなっ!


 マンションの外。

 ヤツらはドアの隙間から、僕の事をのぞいているに違いない。


 聞こえる。

 聞こえるぞ、ヤツらの声が……。


 クロは居るか?

 他に仲間は?

 探せ、探せっ!

 見つけ次第、殺せっ!

 全員、一人残らず殺すんだっ!


「うわぁぁぁぁ!!」


 薄明りの寝室に響き渡る絶叫。


「どうしたの? 突然大声なんか出して?」 


 布団の中から心配そうに顔をのぞかせる彼女。


「あ、もしかして……ごめんねぇ、痛かった? 私、八重歯があるからちょっと嚙んじゃったかも?」


「あぁ、ごめんなさい。香丸こうまる先輩の所為せいじゃないんです……」


 昨日如月きさらぎさんを自宅に送り届けた後。

 憔悴しょうすいしきった僕はどうしても自宅に帰る事が出来なかった。

 そう、僕は一人になるのが怖かったのさ。

 そんな僕を見かねて、香丸こうまる先輩が自分のマンションへと招き入れてくれたんだ。


 再び訪れた香丸こうまる先輩の部屋。

 順番にシャワーを浴び、二言三言、他愛の無い会話を交わす。

 そして、その後に続く無言の時間。

 今まで感じた事の無い胸の高鳴り。

 そう言えば、唇を重ねて来たのは香丸こうまる先輩の方からだった。

 僕は促されるまま、彼女のベッドへと。


 自分の本能から湧き起こる欲求。

 そして……結香ゆいかを殺された衝撃に、不気味な教団に対する恐怖心。

 それら全ての感情をぜにして、僕は……僕自身の切なさを先輩にぶつけるつもりだった。


 だけど……出来なかった。


 先輩が悪い訳じゃない。

 単に……単純に僕が『恐怖』を抑え込む事が出来なかった。

 ただ、それだけだ。 


 眠れない……とても、眠れそうにない。

 混乱する僕の思考は、アクセルペダルの壊れた自動車の様に走り続けたまま。

 いつエンジンが壊れてもおかしくない。

 もしかしたら、僕はこのまま死んでしまうのか?


 いっそ、その方がありがたい。

 僕の心を永遠にむしばみ続ける、この『恐怖』と言う名の毒牙どくが

 そんな悪魔の所業から解放されるのならば、今の僕にとって『死』すら愛おしく思えて来る。


 ――ブルッ、ブルブルブルッ……


 震えが止まらない。

 今僕に出来る事と言えば、体を小さく丸め、ただおびえる事だけ。


 と、その時。


 ――チュッ


 頬に受ける心地よい感触。


「大丈夫、だいじょうぶよ。犾守いずもり君、大丈夫っ」

「寝る前に聞かせてもらった話ね。私、ちゃんと信じてるから。クロちゃんが綾香あやかちゃんに変身した時は、かなりビックリしたけどねぇ……ウフフフ」


「……」


「それでね。私のご主人様は犾守いずもり君な訳でしょ? つまり、犾守いずもり君を守るのは私の役目って事よね。だからね。お姉さんに任せなさい。ちゃあんと犾守いずもり君を守ってみせるからっ……ねっ」


 彼女の胸に抱かれながら、僕は小さく数回うなずいてみせる。


「うん。よしよし。犾守いずもり君は良い子だねぇ。分かってくれたみたいだねぇ。昨日は色々な事があったものね。このまま、お姉さんの胸でお休みなさい。何だったら子守歌でも唄ってあげようか? ……ウフフフ」


 彼女の優し気な笑い声。

 ふくよかな膨らみの、その奥から聞こえて来る彼女の鼓動こどう

 彼女が僕の事をそっと抱きしめる度、言い様の無い安堵感あんどかんが僕を包み込んで行く。


 あぁ……僕……ここに居ても……良いん……だ……。


 ◆◇◆◇◆◇  


 ――プルルルル、プルルルル……ピッ


「あぁ……パパ。……うん、おはよう」


 ……パパ?


「うん、うん。……えぇぇ。今日は友達と出かける予定なんだけどぉ」


 ……ん? 誰かからのお誘い?


「取りに来る?……うん。分かった」


 ……誰か来るの?


「それじゃあ、後で連絡するぅ。……うん。ばいばーい」


 ――ピッ!


「……」


 あれ? 僕、どこに居るんだっけ?

 昨日は確か……あぁ、香丸こうまる先輩のマンションだ。

 僕が『へたれ』なばっかりに、先輩に恥をかかせちゃったんだよな!

 うわぁ、ヤバい、ヤバイヤバイ!

 先輩に謝らないと。速攻で謝罪の言葉が必要だぞ。

 土下座だ。土下座しかあるまい。


 ……


 って言うか、パパって……誰?

 誰の事? パパって……やっぱ、パパ的なパパかな?

 そうだよね。だってそうに決まってるよね。

 先輩ったら、あんなに綺麗で、しかも、こんなすごいマンションに住んでて。

 とすると、やっぱりパパって……パパだよね!


「あぁ、犾守いずもり君、起こしちゃったかなぁ」


「あぁ、いえ……僕も今起きた所で……」


 一つ枕で顔を寄せ合う二人。


 先輩ったら、寝起きから綺麗……って言うか、化粧して無いからちょっと童顔って言うか……可愛い。


「そかそか。ちょっとは元気になった様だね。昨日より顔色も良いし。それに、昨日は元気が無かったコッチも、朝から元気みたいだしね」


「せっ……先輩っ!」


 握るのは反則っす! 握っちゃ駄目っす!


「あははは。本当はここでリベンジっ! って行きたい所だけど、ちょっと今日の御前中にパパが来るのよねぇ」


「パパ?」


「そうそう。どうする? 会ってく? 紹介するよ?」


 いやいやいや。

 無理ムリ無理。

 どっちのどう言うパパなのかすら分からないのに、会うなんて絶対に無理。


「いや……流石にハードルが……」


「あははは。まぁ、そうだよね。それじゃあ、これから朝ごはん作るから待ってて。それから、夕方に連絡するから、夜にまた遊びに行こっか?」


「はい……それじゃあ、一度自分のアパートに帰ってます」


「よしっ! それじゃあ、約束だよ。さてさて、忙しい、忙しいっ! って言うか、犾守いずもり君はちょっとアッチ向いてて!」


 そう言いながら、裸のままベッドを抜け出す香丸こうまる先輩。


 アッチ向いてて……って言われて、その通りにする男が何処に居るのか?

 いや、居る訳が無い。

 当然僕も男の端くれだ。しっかりと彼女の後ろ姿を堪能していた、丁度その時。


 ――ピポン


 一通のショートメールが。


 誰だ? こんな春休みの朝っぱらから……。


 僕は枕元に置いてあった自分のスマホを手に取ると、早速未読通知をタップ。

 するとそこには。


『今日の13時 渋谷駅に来い 佐竹』


 マジ……かぁ。


 ◆◇◆◇◆◇  


 あんのクソ野郎、俺の奴隷に成り下がってるくせしやがって。

 って言うか、真塚まづかさん、何してんだよ。

 話付けといてくれるんじゃ無かったのかよぉ。

 意外と真塚まづかさんも使えねぁなぁ。


 渋谷駅に到着するなり、次々と溢れ出す悪態あくたい


 いや、全然行く気は無かったんだよ。

 当然、こんな呼び出しなんてスルーのつもりだったんだ。


 だけど……。

 昼前ぐらいに送られて来た画像には如月きさらぎさんの姿が。


 元々卑怯なヤツらなんだよなぁ。

 人質ぐらい取っても不思議じゃ無いわなぁ。

 って言うか、あんな守銭奴しゅせんど、どうなっても特に困りはしないんだけど……。

 まぁ、クロの奴隷だし。

 何て言うの? 兄妹弟子みたいな? 兄妹奴隷?

 まぁ、何でも良いや。

 ちゃちゃっと殴り飛ばして、香丸こうまる先輩とデートに行かないとな。


 この時の僕は結香ゆいかの事、教団の事、香丸こうまる先輩の事。

 色々なフラストレーションが溜まりに溜まっていた状態で、手っ取り早く発散したい……そんな気分だった。って言うのが本当の所なのかもしれない。


「着いたぞ……何処に行けば良い……っと」


 早速、到着を知らせるショートメールを送信。

 まぁ、渋谷駅っつっても広いからな。

 ここで待ち合わせする訳では無いだろう。

 となると、何処かに来いって事になるのかな?


 ――ピポン


 意外に早い返信。


『地図のKF-PARKってビルの地下1Fに来い』


 おぉ、地図が添付されてるな。


 うぅぅん、結構歩くな。

 十五分……いや二十分ぐらいかかるか?

 なんだったら私鉄に乗り換えて移動した方が早いかもしれないけど。

 まぁ、良い。

 別に時間を指定されてる訳じゃ無いし。

 帰りの事も考えて、道順を覚えながら歩くか。


 そう自分に言い聞かせ、スマホ片手に歩き始めてからわずか数分後。


犾守いずもり君、犾守いずもり君じゃないか。どうしたんだい、こんな所で」


 この聞き覚えのある声は。

 歩道の少し先。

 取り巻きを数人引き連れ、僕にむかって軽く手を挙げている一人の男性。


「あぁ、こんにちは真塚まづかさん」


「こちらこそ、こんにちは。僕から連絡をすると言っておきながらご無沙汰しちゃって申し訳ない。それにしても奇遇だね。犾守いずもり君もこの辺りで遊ぶ事が多いの?」


「いいえ、実は……」


 怪し気な商売のリーダとはとても思えない。

 とっても気さくな雰囲気の真塚まづかさん。

 まぁ、本当かどうかは分からないけど、ギリ合法と言う事だし。

 このぐらいの人の方が人望もあって、組織チームをまとめやすいのかもしれないな。


 それから僕はこれまでの経緯について、洗いざらい全部話したんだ。


「あぁ、それは悪い事をしたなぁ。実はね。あの佐竹なんだけど、僕が小言を言った途端、組織チームを抜けるって言い出してねぇ」


「え? 佐竹って、真塚まづかさんの組織チームを抜けちゃったんですか?」


「そうなんだよ。その後、僕と敵対している組織チームに入ったらしくてねぇ。まぁ、昔の仲間のツテなんかもあったんだろうけど」


「そうなんですか……」


「ちなみに、その地図に載ってるKF-PARKビル。そこの地下にあるクラブがヤツらのたまり場さ」


 マジか。

 それはちょっとヤバいんじゃないか?

 最終的に話しがこじれた場合は、真塚まづかさんに仲裁に入ってもらうつもりだったんだけど。

 どうやらそうも行かないらしいぞ?


 どうする? 今日はクロも連れて来て無いし。

 一旦帰るか?

 しかし如月きさらぎさんが捕まっちゃってるしなぁ……あっ!


真塚まづかさん! 今回は如月きさらぎさんも捕まってるんですよ。如月きさらぎさんは、真塚まづかさんの所の所属ですよね。って事は、真塚まづかさん的にもこれは放っては置けない事案って事になりませんか?」


 僕のそんな言い方に、少し渋い様子の真塚まづかさん。


「まぁね。それはそうなんだけど。ただねぇ、向こうに佐竹が付いたとなると、ウチレベルの弱小所帯ではちょっと厳しいかなぁ」


「そんな事言ってたら、真塚まづかさんのシマ、荒らされちゃいますよ!」


 ここが正念場だ。

 何とか真塚まづかさんの助力を引き出さないと。


「あははは。と来たかぁ。僕たちは別にヤクザじゃないしねぇ。それに、ヤツらの本業は裏カジノなんだよ。だから、基本的にウチの仕事シノギとはバッティングしていないのさ」


 え? そうなの?

 って事は真塚まづかさん的にはこの件はスルーって事?


「いやいや、でも真塚まづかさん。さっきは敵対してる組織チームって言ってたじゃないですか」


「あぁ、それね。うぅんとぉ。ちょっと説明が難しいんだけどぉ……」


 そう言いながらも、人の良い真塚まづかさんは僕が理解できる様に説明してくれたんだ。


 つまりだ。

 真塚まづかさんも、佐竹が身を寄せた組織チームも、どちらも同じ暴力団下部組織の配下って事らしい。

 つまり、感覚的に言えば、同じグループ会社……って所かな。

 となると、どちらの組織チームも、ケツ持ちとなる暴力団に対して、上納金など色々な事で比較され、常に競わされていると言う訳だ。

 そりゃあ足の引っ張り合いもしたくなると言うものだよな。

 なるほど、敵対してるとは良く言ったものだ。


「って事で、僕が表立って喧嘩をする訳には行かないのさ」


「ははぁ……そうですかぁ」


 困った。困ったぞ。

 どうする?

 うぅぅん、ちょっと面倒になって来たなぁ。

 いっその事、ヤツらのたまり場に乗り込んで、魔獣をBootしてやるかぁ?

 でもなぁ。そうすると、メチャメチャ騒ぎが大きくなるんだよなぁ。

 警察沙汰になるかもしれないし、それ以上に、教団の連中が嗅ぎつけて来るかもしれない。


「まぁ、そう落ち込まないでよ。逆に考えればさ。僕が行けば、相手だって表立って喧嘩は出来ないって事でさぁ……」


真塚まづかさん!」


 取り巻きの一人が、真塚まづかさんの言葉を制止する様に叫ぶ。


「いやいや、良いんだ。犾守いずもり君とはこれからも仲良くやって行ければと思っているからねぇ。折角の機会だ。僕も一緒に行ってあげるよ」


「えぇ! マジですか。真塚まづかさん、ありがとうございます!」


 神様、仏様、真塚まづか様だよな。

 なんだか優男やさおとこっぽいけど、意外と男気溢れる性格なんだな。


「良いんですか? 真塚まづかさん。アイツら最近は結構力をためてるみたいだし。下手に騒ぎを起こすと上から何を言われるか……」


 おいおい、取り巻き君。

 キミが真塚まづかさんの言う事に逆らってどうする。

 とにかくキミは黙ってらっしゃい。


「いや、良いんだ。上には僕の方から電話をしておくよ。それから、もしもの事があるといけない。だから少し人数を集めておいてもらえるかな。もし夕方までに僕から連絡がなかったら、例のクラブに来てよ。頼んだよ」


「はい、分りました」


 余裕が感じられる真塚まづかさんに対し、取り巻き連中は一様に表情が強張っている。

 うぅぅん。

 やっぱりマズい事頼んじゃったのかな?


「よし、それじゃあ犾守いずもり君、早速行こうか。ただまぁ、無為無策のまま乗り込むと言うのも芸が無いからね。ここはひとつ、役割を決めておくとしよう」


 なんだか楽し気な真塚まづかさん。

 そんな彼は嬉しそうに声を弾ませながら、彼の思い付いたについて話し始めてくれたんだ。

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