第150話 私はこうならなかったのに
そして――そこからもどんどん場面は移り変わる。
私の自宅。
目を疑う事に、そこに新浜君が遊びにきていた。
『私』が連れてきた男友達にお父様は激烈な反応を示してしまうけど、新浜君は何をどうやったのか、お父様から一定の信頼を引き出した。
そうして、『私』は彼を自室に招いてお茶会に興じ――満ち足りた微笑みを浮かべていた。
球技大会。
他の女子達のとのやりとりは最低限だったはずの『私』は、練習中に彼女達と多くの声を交し合っていた。
『私』のミスで負けてしまった後も、彼女らは『ドンマイ!』『いいっていいて! けっこー楽しかったし!』『後は男子にまかせよ!』と優しい言葉をかけてくれていた。
…………そんな一幕は、やはり私の記憶にはない。
太陽が輝く夏の海。
私は自分で選んだとおぼしき水着を着て、多くの友達と夏の海を謳歌していた。
そこには、理想とした青春の全てが凝縮されていた。
夏休みの、灼熱の太陽の下に広がる海。
何の気兼ねもなく話せる親しい友達達。
皆と一緒に、楽しい事だけを味わう至福の時間がそこにはあった。
「……なんですか、これ……」
次々と流転する場面は、全て私が知らないものだった。
しかも、あやふやな願望ではなく残酷なまでにリアルだ。
何もかもが違う、まるでSF小説でよくあるパラレルワールドのような光景。
その中心にいる最も大きな違いは、他ならぬ新浜君の存在だった。
大人しい性格だったはずの彼は、この夢の中では信じられない程に力強くなっており、いつも私を助けてくれていた。
気落ちした私を励ましてくれたり、勉強を教えてくれたり、思い描いていた文化祭を実現してくれたり、海に誘ってくれたり――
ダメな少女でしかない私を、漫画に登場する都合のいいヒーローのように救済していく。
「どうして……」
零れ出た私の声は、上ずっていた。
胸の内に抑えきれない感情が渦巻き、ふつふつと荒ぶり始める。
――――さらに場面転換。
『私』はとうとう彼を心一郎君と名前で呼ぶようになっていた。
彼からも春華と名前で呼んでもらえるようになり、気恥ずかしさに頬を紅潮させた『私』はとても嬉しそうに微笑んでいた。
「どうして……!」
――――さらに場面転換。
アルバイトを始めた『私』は、大人に交じって働く事で乏しかった自信をも深めつつあった。
そんな『私』を褒めてくれる新浜君と過ごす時間はとても楽しそうで……『私』の世界は欠ける事のない完全へと限りなく近づいていく。
この私の妄想のような世界のありとあらゆる場面で……『私』は笑っていた。
楽しくて、嬉しくて、友達一緒にいる時間が心地良いとその表情は語る。
中でも、新浜君と一緒にいる時は心地良い安らぎほのかな熱を抱いており、それが格別に『私』を満たしているのがわかる。
欲しかった青春の全てを手に入れた『私』に悲嘆の影は欠片もなく、ただ笑顔だけがあった。
「どうして……こんな綺麗なものを見せつけるんですか……!!」
いつの間にか最初の場面――図書室に戻ってきていた私は、あまりにも酷すぎる夢に向かって叫んだ。
「なんなんですかこれは……! 私は……っ! 私は……こうならなかったのに……っ!!」
自分の夢に激情を露わにするなんて、我ながら滑稽でもあった。
けれど、胸に生まれた慟哭は消えてくれない。
「こんな都合の良すぎる妄想を……なんで……!」
「――――ええ、確かに貴女の言う通りです」
「っ!?」
背後から聞こえた頃にハッとして振り返ると、そこには学生服に身を包んだ十代の『私』が立っていた。
「私の日常を変えてくれたのは心一郎君です。神様がそう仕向けてくれたみたいに……ある日私を救いに現れてくれたんです」
真っ直ぐに私を見据えるその瞳には明確な意思が宿っており、私の記憶が作り出した存在でないのだと、直感的にわかった。
「……やっと色んな事がはっきりしてきました。さっきの心一郎君と同じで、今目の前にいる大人の私も夢じゃなくて、一つの現実なんですね……」
今の私からすれば幼いとすら言えるその少女が言う事は、よく意味が理解できない。ただ、こちらに向ける視線はとても痛ましそうだった。
私という存在そのものが、とても悲しいとでも言うように。
「貴女は……ある意味私の理想です。どんなに辛くても頑張ってきたのは子どもの私から見ても凄い事だと思います。けど――」
あどけない容姿をした私は、言い辛そうに続ける。
「頑張れる大人になった貴女の顔からは……笑顔が消えてしまっています」
「――っ!」
何を……いきなり出てきて何を言って……!
「だから……お願いです。貴女を救おうとしている心一郎君を信じて、言葉を聞き入れてください。自分の今までを否定するのは本当に辛い事ですけど……今が幸せじゃないなら手を伸ばさないといけないんです」
その言葉に、私の中でさらなる激情が渦巻いてしまう。
やはりこの『私』と私は全然違う存在だ。
まさか、そんな事を言い出すだなんて……!
「なんですかそれは……! 救いなんて要りません! 私は助けられてはいけないんです!」
自分が否定されないように、私は必死に叫ぶ。
人に助けられてばかりで安寧を貪るなんて、ただの子どもでしかない……!
「貴女なんか……っ! 私が否定しないといけない存在です! 都合良く、ただ優しくて強い人に救われた私なんて……!」
私が救われるとしたら、それは自分の手でもたらさないといけない。
他人の手を受け入れてしまったら……私という存在にいよいよ価値はなくなる。
「ええ、確かに私は他人に助けられてばかりかもしれません。けど! 助けられる事がいけないなんて事は絶対にありません……!」
私が高校生だった時とは比べものにならない強さで、『私』は叫ぶ私に一歩も引かずに自分の意思をはっきりと示してきた。
「そもそも欠点だらけの私達が自力で自分の何もかもを救済しようだなんて無理なんですよ! いいえ、私達じゃなくても殆どの人はそうです! だから誰だって、親しい誰かに自分を補ってもらうんです!」
子どもの純粋さのままに、『私』は確信を持った力強い言葉を私に告げる。
「貴女が重ねてきた苦しみも知らないで口を挟むのは、本当に生意気だって自分でも思います! けれど……!」
感情を露わにした『私』は、訴えるようにして叫ぶ。
「貴女が理想とした未来は、こうじゃなかったでしょう……!」
「……っ!」
『私』の言葉が、胸に深く突き刺さる。
この夢という心が剥き出しにされる空間において――胸の内の深いところまで抉られていくようだった。
「わたし、は……」
あまりにも純粋で強い確信がこもった言葉に何か反論しようとして――
周囲の景色が徐々に形を失っているのに気付いた。
どうやら、この奇妙極まりない夢も終わりのようだった。
「お願いです……どうか心一郎君の想いを汲んでください」
夢の全てがほどけて消え去っていく中で、『私』はなおも言葉を紡いでいた。
「貴女が知らない私のためなんかじゃなくて……今そうやって確かに生きている貴女自身のために」
最後に、『私』のそんな声が聞こえてきて――――
私は、眠りの世界から現実に浮上していくのがわかった。
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