第89話 海に来たら馬鹿になれっての!


 俺としては自分の精神年齢はかなり高校生に近づいていると考えている。


 やはり若い肉体というものは強烈に精神を引っ張るようで、今の自分は決して前世における30歳の自分ではない。


 とは言え……やはり大人から見れば普通の高校生と言うにはやや落ち着きすぎな状態になっているのだろう。時宗さんにもフレッシュさがないとか言われたし。


 と、そんなことを考えていると――


「何やってんだ新浜あああああああああああっ!」


「おわっ!? ぎ、銀次!?」


 夏季崎さんが去った後に入れ替わりで現れたのは、海から上がってきたばかりらしきズブ濡れの小柄で童顔短髪の男――銀次だった。


 何やら普段のこいつらしからぬハイテンションだが……。


「お前、さっきから見てたけど、パラソルの下で座っていたり砂浜を歩いたりしかしてないとかどういうことだよ!? 他の面子が楽しそうにしているのを見て、嬉しそうに微笑んでるんじゃねーよ! お前は子どもを見守るお父さんか!」


「いや、お前何でそんなにヒートアップしてんの……?」


 こいつがこんなにも声をデカくしているのは初めて聞いた。

 なんだその吹っ切れ具合は。


「はははっ! 実はさっき筆橋さんと風見原さんに海の中でツンツンされて、水面をトビウオみたいに跳ねるオモチャになってきたばかりだ! 何度も何度も女子にイジられる幸せが限界突破して俺の頭はとうとう馬鹿になった……!」


「お、おう……」


 どうやらこの夏の海というロケーション効果と童貞への刺激の強さのあまり、脳みそが加熱しまくってついに火が点いたようだった。もはや居酒屋を三軒くらいハシゴした後みたいなノリである。


「とにかくお前を連行する! おりゃあっ!」


「ちょっ、ぐぇ!?」


 突如、銀次は右腕を俺の首に回してヘッドロックのようにガッチリと極めてきた。 そして、そのまま海へと駆け出して俺をグイグイと引っ張っていく。

 

「お、おい! ちょっと待てって! お前どうし――」


「お前に何があってそんなに変わったのかは知らねえよ!」


 え――


「今かなり馬鹿になってるから言うけどなー! 友達やってた俺からすれば、お前のイメチェンっぷりはありえないレベルで、それこそ異世界から帰ってきたとかじゃないと説明できないレベルだよ! スペックは変わってないのに中身がメチャクチャパワーアップして何でも上手くやりやがって!」


 突然そう言われて目を瞬かせる俺を引きずりつつ、銀次はなおもズンズンと浜辺を歩いて海へ近づいていく。


「けどな! 中身に落ち着きやら余裕が出たのはいいとして、それを海に来た時にも発揮すんなアホ! こんなシチュエーションで馬鹿にならないでどうするよ!

 ――せぇぇぇいっ!」


「銀次、お前……ごぼぉっ!?」


 前世からの友達の言葉に感じ入っていると、突然海の浅瀬に全身を叩き込まれた。

 うっかり口に入ってしまった海水から、突き刺すようなしょっぱさが舌に広がる。


「げほっ、げほっ、ちょ、お前結局なに……を……?」


「ふふ、ようこそ新浜君。皆で待っていましたよ」


 海面から顔を出した俺の眼前に立っていたのは、銀次ではなく紫条院さんだった。

 長い髪をポニーテールにまとめており、何ともご機嫌な笑顔を俺に向けていた。


 そして、その傍らには筆橋と風見原も揃って立っており、何かニヤニヤした笑みを俺に向けている。


 な、何だ? どういう状況だこれ?


「聞いてくれ女子たち! こいつは主催者のくせに、一人だけ浜辺で俺達を嬉しそうに眺めているという大人ぶったノリの悪いことをやってたんだ! なので今から第一回『スカした新浜をビシャビシャにする大会』を開催したいんだが!」


「ちょっ……!?」


 テンションが普段の10倍くらいになっている銀次が、照れることなく女子たちに朗々と言う。人の事を変わったとかさんざん言ってたが、お前の方が短時間で変わりすぎじゃね!?


「ええ、とっても良い案だと思います山平君! 私も新浜君の濡れ方が全然足りなくて寂しいと思ってましたからっ!」


「し、紫条院さん!?」


 ニッコニコの笑顔で真っ先に賛成したのは俺の想い人だった。

 すでにたくさん汗をかくほど遊びまくってかなりボルテージが上昇しており、夏の海という空間をかなり満喫している様子だ。


「ふふふ、諦めた方がいいですよ新浜君……! これは山平君だけじゃなくて私たちの総意ですし、そもそも一人だけパラソルの下にいるなんて有罪でしょう!」


「そうそう! 何のために海に来たんだってことだよ! 皆で頭の中をカラッポにして限界まではしゃぎ尽くさないとねっ!」


 見れば、すでに風見原と筆橋も身体全体が紅潮して完全に夏に染まっており、二ヒヒとイタズラっ子のような笑みを浮かべている。


 こ、これは……もしかして皆酔っ払ってるのに、俺だけ素面という飲み会のアレか……!?


「そりゃ食らえ新浜ああああああ!」

「あははは! 覚悟してください新浜君!」

「ふふ、濡れまくるといいですよ!」

「あははははっ! それそれっーっ!」


「ちょ、ぶべっ!? ぼばっ……!」


 友達一同から一斉に海水の白いしぶきを浴びせられて、俺はあっという間にズブ濡れになる。けれど、むしろそれは心地の良い感覚だった。


 太陽の熱で温まった海水が肌に触れる感触や、強烈な潮の香りが俺の心を懐かしい心地へと導いていく。

 遙か昔――俺の主観時間では20年以上前の幼いころに、家族や友達とただ純粋に海に目を輝かせて遊びつくした時のことを。


 ああ、そっか――


 今の俺は、まだギリギリ子どもなんだ。


 ただ純粋に、今という時間を楽しんでいいんだ。


「ふ、ふふふ……! やったなお前ら! ならこっちもお返しだー!」


 徐々に火照っていく身体と心のままに、俺は両手で水面を持ち上げるようにして水柱を立て、その小さな飛沫が周囲に飛ぶと皆は楽しそうな悲鳴を上げた。


「あははははっ! 新浜君に水をかけられてしまいました!」


 俺の波飛沫がかかった紫条院さんが、髪を濡らしながら子どもそのものの純真さではしゃいだ笑顔を浮かべる。


「でも良かったです……! 新浜君も楽しんでくれているみたいで!」


「……っ!」


 続く紫条院さんの安堵が滲んだ声で、俺は皆が俺を心配してくれていたのを悟った。


 俺も俺なりに浮かれていたつもりだが、ついつい皆が楽しそうにしている様を眺めるのが嬉しくて、自分が楽しむのをおろそかにして皆に要らない不安を抱かせてしまっていたのだ。


 そして、そんな状況をどうにかすべく銀次が俺を強引に引きずってくる役を買って出てくれたのだろう。


「よぉし……! こっからは俺も本気で海を楽しむぜ! とりあえずさっき海に叩き込んでくれた礼だ銀次ぃぃぃぃぃ!」


「ぼべっ!? げほっ、ちょっ、お前不意打ちすぎっ……!」


「はははは! 聞こえませーん! 油断する方が悪いんですぅー!」


 遠慮なく銀次の顔面に水しぶきをヒットさせ、俺はガキのように笑う。


 皆の熱気が俺にも伝播し、頭の中がとてもシンプルになっていく。

 海水を友達とかけ合うなんていう子どもそのものの遊びが、どうしようもなく面白くていつまでも続けていたくなる。


「よぉーし、こっからは俺の番だ! 全員の口の中をしょっぱくしてやるから覚悟しろよ!」


「ふふ、望むところです! 新浜君のそういうテンションを待っていました……!」


「大口叩きますね新浜君! 春華から水をかけられると幸せな気持ちになって動きが止まってしまう弱点は把握済みなんですよっ!」


「返り討ちだー! 山平君もろとも男子はビショビショにしてあげるから!」


「えっ!? いつの間にか俺も敵なの!?」


 そうして――完全に小学生に戻った俺達5人は、笑いながら飽きずにバシャバシャと水をかけ合った。


 夏の海で最高に高まった馬鹿みたいなテンションのままに、お互いに可笑しくてたまらないという純粋な笑顔で。

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