第93話番外2 侍女たちのおしゃべり
「ほら! これ! たった今王都のパーセラさんから届いた夏服用の布地ですわ! とても綺麗!」
「あら、ニーケさん。それ私が開けたかったのにぃ」
「だって、通りかかったセローさんが一番初めに私に伝えてくれたんだもの。でも、大丈夫よターニャ、これからまだまだ届くから、次の箱はあなたが開けてちょうだい」
ニーケがいい終わらない間に、ホールの小部屋に次の箱が届けられる。二つともかなり大きな箱で、二人の娘に運べない重さではないもののかなり
「二人ともすぐに箱を開けてなんですか。上に運ばなくてはいけないんですよ」
通りかかったアンテは早速箱の蓋を開けて、美しい夏ものの布を広げているニーケとターニャに注意をした。
「俺、両方とも運びますから!」
早速セローが、軽々と大きな箱を抱えて階段を上がる。ニーケとターニャも慌てて二人で箱を持ち上げようとしたが、二人より先にアンテが抱え上げてしまった。
「アンテさん!」「私たちが!」
「いいえ。大丈夫です」
大柄なアンテはかさばる箱を一人で抱えて歩いていく。
「でも、蓋が開いていて運びにくいから、蓋を閉めてくれると助かりますね」
「はい!」
二人は蓋を閉めて、セローの後に続くアンテの後ろから階段を上がった。
「アンテさん、すごーい」
「このくらい平気ですよ。私は大きいですからね」
リザの部屋の真ん中には、二つの大きな箱が置かれていた。
「奥方様はまだ遠乗りから戻られない?」
「はい、アンテさん。お館様が急に思い立って、お昼過ぎにアスワドに乗って鉄樹の森に。植林の植林を見せたいとか言って」
ターニャがつまらなさそうに言った。
「せっかくの休日なのに、席が温まる暇もないですわね」
「ふふふ……休日だからこそ、かもしれませんね」
アンテは意味ありげに笑った。
「なんですか? アンテさん、何か知っていそうな口ぶり。鉄樹の森に何かあるんですか?」
「そうですよ。夏の初めでもっと綺麗なところがいっぱいあるのに、鉄樹の森なんかに、今更出かけても楽しくないじゃないですか」
「楽しいから出かけるんですよ、きっと」
「まぁ、リザ様はお館様の連れていってくれるところなら、どこだって楽しまれるでしょうけど」
「でもニーケさん、もうそろそろ夕方ですよ。いくら陽が長くなったと言っても」
「そのうち帰って来られますよ。さぁ、今のうちに箱を片付けてしまいましょう」
実務を重んじるアンテが声をかけ、三人は箱に詰められたたくさんの布地を取り出した。
「まぁ素敵! これはお風呂上がりのガウンに、こちらの絹は夜会用にぴったりですね!」
「あら、ターニャ。この幅広のレースも素敵よ、袖口や裾に縫い付けられるわ。早速仕立て屋さんを呼ばなくちゃ!」
「……」
アンテは底の方にあった布地を取り出していた。
それは深い緑の木綿の布で、色は地味だが、布の両端に白い小花の刺繍がされている。おそらく、普段着用の生地だろう。
「……」
「アンテさん、どうされました?
「え? ああごめんなさい。さっさと片づけてしまいましょうか。とりあえず奥方様に見ていただけるように、こちらのテーブルの上に並べてみましょう」
言いながらアンテは、てきぱきと隅の大きなテーブルに布を並べ始めた。若い二人もそれへ従う。
「それにしてもリザ様、最近どんどんお綺麗になられましたよねぇ」
「まぁ、ターニャ。リザ様は最初からお綺麗だったわよ」
「もちろんそうですけどぉ、最近髪やお肌もなんだか内から輝くみたいで、女の私でさえ見惚れてしまいます」
「パーセラさんの送ってくださる化粧水や香油のせいもあるかもだけど、一番は幸せだからじゃないかなぁ。お館様は少年の初恋か!って思うほどリザ様にくびったけですしねぇ」
ニーケも嬉しそうに頷いた。
「それだけじゃありませんよ。奥方様はご自分の目的をお持ちです。それも着飾ったり、美食をするなどといったものではなく、作り手になろうとしていらっしゃる。創造主の瞳は輝いているものですわ」
「うわぁアンテさん、すごいことおっしゃるわぁ。確かに、陶器に向き合っている時のリザ様は、とてもお美しいです!」
「それに懐が深くてお優しい。贅沢を好まれない、働くことを
アンテは暖炉の上に置かれた小さな絵を見ながらつぶやいた。それはエルランドに乞われ、リザが描いた自画像の
「でも私は最初、奥方様を受け入れられずに、たくさんの意地悪をしてしまった! こんな私が幸せになっていい訳がないわ……」
「アンテさん! 何を泣きそうな顔をしているんですか! もうすんだ事じゃないですか! そもそもリザ様は最初からそんなに気にされていませんでした」
「そうですよ。それに私だって、最初はリザ様のこと敬遠してましたし!」
ニーケの言葉にターニャも激しく首を振る。
「だから私は自分の狭量が許せないんです。私は自分の意地悪に気づいて欲しくて、困った顔が見たくて……ええ! そうです。自分に縋りついて欲しくて、どんどん意固地になって悪事を重ねて……」
「そんな、悪事だなんて……」
「悪事ですとも! でも奥方様は、私のしたことなんかで傷つかれるようなお方ではなかった。私はあの時、お館様に追放されて本当に良かったと今では思っています」
そう言いながらアンテは、さっき見ていた緑の布をテーブルに置いた。
「奥方様……リザ様は私よりずっと年下なのに、ずっと遠くを見てらっしゃる。本当に身も心も美しいお方です」
「リザ様だって、今ではアンテさんを頼りにしていらっしゃいますよ。だって、このお城のことなら、何もかも知っているんですもの。ね? ニーケさんがセローさんに
ターニャがなんとかその場を明るくしようとおどけて言った。
「ちょっと! そんな事今言わなくても!」
「いいじゃないですかぁ。セローさんはきっとニーケさんのこと好きですよ。ニーケさんだってそうでしょ?」
「そ、そりゃ嫌いじゃないけど……初めて会った時から親切だったし。でも、セローさんって、誰にでも優しいじゃない。村の女の子にも気軽に声をかけてるし」
「セローのあれは仮面ですよ。照れ隠しの」
アンテが静かに言った。
「あの人も孤児だってコルさんが言ってました。北の国境の村で取り残されて泣いていたところをお館様の父上が拾われたって。だから、セローは子どもの頃から捨てられないように、誰にでも愛想よくしてるんだろうって」
「まぁ……」
思いがけない話を聞いて、ニーケの暖かい胸はいっぱいになった。
「セローに言うと、よくあることだって笑われますけどね。だから、ニーケさん。セローをお願いしますわ」
「……ええ、はい。私もセローさん好きです。もっと仲良くなりたいと思います」
「ニーケさんは奥方様と同じで素直でいらっしゃる」
アンテは優しく微笑んだ。
「あ! 表から馬の鳴き声がします! きっとお二人が戻られたのですわ!」
「まぁ! お迎えに行きましょう! アンテさんはお着替えの支度を頼みますね」
二人の娘は弾かれたように部屋を出て行った。
アンテは微笑みを残したまま、入浴の準備をし始める。アンテには二人がどこで、どのように過ごしたかが、想像できるのだ。
アンテは箱に残った最後の布を取り出した。
それは非常に柔らかい木綿の束で、他の布地よりも小さく裁断されている。ちょうど赤ん坊の産着やおむつにふさわしいように。
「……ふふふ、パーセラさんもよくお分かりね。もしかしたら、この夏の終わりごろにはおめでたい知らせが聞けるかもしれない……」
アンテは小さな布地を思い切り抱きしめた。
「ああ、楽しみだわ! 私は一生、お二方にお仕えするのだから!」
「あら、たくさんの布が届いたのね」
エルランドと共に、夕食前の軽い湯浴みを終えたリザは、居間に広げられた布を見て声を上げた。
「パーセラさんはいつもご趣味がいいわねぇ。でもこんなにたくさん、どうしようかしら……」
洗いたての黒髪をアンテに世話されながらリザは、綺麗に広げられた布地を眺めた。その首筋に刷毛ではいたような赤みがあるのを、アンテは巻いた脇髪を垂らすことで隠してやる。艶やかなリザの髪は、幅の狭いリボンで巻き上げられて、綺麗にまとまった。
「そうだわ!」
リザは茶道具を片づけているニーケとターニャの前を通り過ぎ、しばらく眺めてから淡い桃色の生地を手に取った。
「これはニーケの服にしてちょうだい。それからこっちはターニャに」
「えっ!」
ターニャは、黄色を地色にした格子柄の布を押し付けられてびっくりしている。
「そんな! 私なんかにもったいない」
そう言いつつもターニャは、綺麗な布地をうっとりと見つめている。ニーケもそうだ。二人とも今まで持っていなかった色と柄なのだ。
「だって一人でこんなに着れないわ。二人とも新しい服を作ってね。そうだ絵付けを手伝ってくれてる村の女の子にも分けてあげましょう。さすがに服地になる分はないけど、ショールにならできるわ」
「リザ様! そんな」
「アンテにはこれ!」
慌てたアンテに手渡されたのは、さっきから見ていた緑の刺繍の生地だった。
「絶対に似合うわ! いつも助けてもらっているから、このくらいのお礼はさせてね」
歌うようにリザは言い、三人の侍女が呆然と立ち尽くしているところに、エルランドが入ってきた。
「リザ、夕食だ。おお、華やかだな」
エルランドはリザに腕を差し出しながら、色とりどりの布地に目をやった。
「俺のリザはなんでも似合うから、注文のしがいがある。そうだ、服に合わせて、今度髪飾りや靴なども……」
「いいんです! そんなものつけたら
リザは最近買い物大好きになってしまった夫の腕を取った。空間を愛する彼女は、もうこれ以上部屋を手狭にされてはかなわないと思ったのだ。
「ああ、お腹が空いた! さぁみんな、下に降りてご飯にしましょう!」
「はい!」
エルランドはリザの腰に手を回し、ニーケとターニャも布を置いて付き従った。
アンテは再び、束の間ひとりになった。
ふわりと良い匂いがアンテの鼻腔をくすぐる。
「ああ……幸せってこう言うことなのだ……私が味わってもいいものなのね。ありがとうございます」
アンテは暖炉の上の小さな絵に小さく腰を折る。
そして静かに扉を閉めると、淡い残り香を追ったのだった。
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