第78話77 略奪者 2

 それからイストラーダ城は大騒動となった。

 知らせを受けた壁外の村民達が、夜の内に城壁内へと避難を始めたのだ。

 その数は二百人以上で、壁内の家に身を寄せる者もあったが、さすがに全ては収容できず、残りのものはリザの指示で城内へ入れることとなった。

 跳ね橋が下され、荷物を抱えた村民たちがぞろぞろと正面玄関から入ってくる。彼らは今まで略奪者の噂や襲われた村の話を聞いたことがあったので、不安そうにしつつも、皆落ち着いて行動していた。

「これは何事ですの? 騒々しい!」

 騒ぎを聞きつけて、侍女を引き連れて大広間に降りてきたウルリーケが尋ねた。

 彼女はエルランドの留守中は部屋に食事を運ばせているので、一連の経緯は知らない。誰も彼女に知らせようとは考えなかったのだ。

「ウルリーケ様、大変なのです。鉄樹の輸送隊が大勢の略奪者に襲われたようで、怪我人が大勢出たらしいのです!」

「え? 略奪者?」

「はい! 今からこの広間を片付けて、臨時の救護所とします。あと、城壁の外に住んでいる人達を、壁内に避難させます」

「まぁ。だからこんなにごった返しているのね」

 ウルリーケはどんどんホールに入ってくる村民達を胡乱うろんそうに眺めた。

「ええ。略奪者にはもしかしたら仲間がいて、こちらも襲ってくるかもしれません。いろいろ備えなければ。ウルリーケ様の侍女さん達にもお手伝いいただけませんか?」

「エルランド様にお知らせは?」

 ウルリーケは金色の頭をそびやかせて言った。その眼には村民たちなど映っていない。

「コルがしてくれていますが、深い山に入られていて、お戻りまで数日はかかるようです」

「そう。では、お帰りになられたらすぐに教えてくださる? それまで私は部屋に待っています」

 そう言ってウルリーケはきびすを返した。

「え?」

 リザは自分の目が信じられなかった。

「でもあの、お待ちください! 緊急事態なのです! 人手がいるのです! ウルリーケ様は辺境をよくご存じだって……確か前に」

「ええ。略奪者達が来るかもしれないのでしょう? 私はノルトーダの領主の娘です。私に万一のことがあってはお父様がお怒りになりますわ。でも……そうですわね、私の手持ちのお薬の一部を持ってこさせましょう。痛みに効くとても貴重なお薬よ。それでいいでしょう? では、用があればこちらから伺いますわ」

 リザが何も言えないでいる内に、ウルリーケは侍女達と共にさっさと部屋に戻ってしまった。

「なんて人なのかしら。散々辺境の女はたくましいとか、散々自慢しておきながら!」

 ニーケが憤懣ふんまんやるかたないように言った。

「仕方がないわ。確かに大切なお客様だもの。私たちだけでやりましょう」

 城に残っているのは、八十人程度の兵士達と、主に女の使用人だ。

 壮年の男達や兵士の一部は、鉄樹の伐採や輸送、護衛に駆り出されている。雪が深くなる前に、できる限り収益を上げなくてはならないからだ。

 リザは、大広間にいつも置かれている木製のテーブルを脇に寄せたり、石の床に敷物を敷いたりして一生懸命に働いた。また、年配の使用人の意見を聞いて、薄い布をたくさん裂いて包帯を作り、怪我人に備えた。

 一方、ターニャ達は、壁外の住人を城内に避難させることを、なんとか完了しつつあった。

 古いイストラーダ城には使われていない場所もいっぱいある。慣れないリザはどの部屋までが使えるのか、ニーケと共に確認しながら走り回っていたが、その時意外な人物がホールの隅の方にうずくっているのが見えた。

 アンテだった。

「アンテ? アンテナのね?」

 駆け寄ったリザに、アンテはノロノロと顔を上げる。

 約一月ぶりに見たアンテは、今までどこにいたものか、髪も乱れ、すっかりやつれていた。以前はぐんと伸ばされていた背中は、今はできるだけ目立たぬように小さく丸められている。

「……奥方様、お久しぶりでございます」

 彼女は恥じ入るように目を伏せていたが、リザは女にしては大きなアンテの手を取った。

「心配していたのよ。どこへいっていたの? 急にいなくなって、私は何も聞かされてないし……」

「じ、自業自得なのでございます……私は奥方様に申し訳ないことをいくつもしでかしましたから」

 アンテは小さな声で答えた。唇はひび割れて血が滲んでいる。

「私がアンテに、嫌われているとは思っていたわ。でも、そんなの王宮でも慣れっこだったし、アンテはこの大きなお城を立派に切り盛りしていたじゃない!」

「私は……浅はかだったのでございます。奥方様のおっしゃるとおり、私がこのお城を回していると思って傲慢ごうまんになっていたのです。リザ様を王都からきた、何もできない姫だと見くびっていたのです……」

「その通りじゃない。私は無知だもの」

 あっさりとリザは認めた。

「いいえ! リザ様は懸命に学ぼうとしておられました! 努力家で、誰にでもお優しかった。私のようなものにも……それなのに!」

 アンテは自分の髪を掴んで叫んだ。

「私は、リザ様の優れた点を頑なに認めようとはせず、当然配慮するべきことにも気がつかない振りを続け……一度はお館様に見逃してもらえたのに、性懲りもなく繰り返したのです! お部屋に薪も運ばせず、お風邪を引かせてしまった!」

「アンテ、もういいわ。すっかり治ったもの。元気よ!」

 リザは、なんとかアンテを力づけようと、細い腕を振って見せた」

「お笑いくださいませ。あんなに我がもの顔に振る舞っていたのに、ならず者の侵入を聞いて震え上がって、ここまで逃げてきてしまったのです」

「当然よ。ここには逃げるところのない人にきてもらったのだから」

「申し訳ございませんでした!」

 アンテはいきなり大きな体を床に投げ出した。

「謝って済むことではないとはわかっております。ですが私が愚かでした! あんなに崇拝したウルリーケ様が、誰も助けようとなさらずに逃げ出すのを、今、私は見ました。ですがリザ様は、見事にこの状況を掌握し、適切に采配さいはいを振るわれています。誰にもできないことでございます」

「私だって確信があるわけではないのよ。取り越し苦労になるかもしれないし……」

「いいえ! 奥方様はこの辺境、イストラーダにふさわしいお方様でございます! 私がわるぅござい……」

「わかった! じゃあ、アンテお願いがあるの、私を助けてちょうだい」

 リザはアンテの言葉をさえぎって、再びその手を取った。

「え?」

「あなたはこのお城のことをよく知っているはずよね! この人たちが使えるお部屋はあるかしら?」

「……」

 アンテは背後を振り返った。

 そこには女子どもを中心とした大勢の村民達がいる。皆不安そうにしていた。自分の役割を即座に理解したアンテは、リザに向かってはっきりと頷いた。

「ございます! 」

「そう! よかった!」

「左翼の奥です。」 一部屋に二十人は入れます」

「では、ニーケと一緒に、お部屋を割り振って入れてあげて。鉄樹の薪もたくさんあるし、布も運ぶわ。私も手伝うから!」

「かしこまりました!」

「アンテさん、案内してください!」

 ニーケも進み出た。リザが助けを求めているのに、自分が以前の遺恨を引きずってはいけないと、彼女も弁えている。

「こちらです。普段は使っておりませんが、そんなに傷んではいないはずです! 暖炉も使えますわ!」

 アンテは急に生き返ったような顔になって、てきぱきと動き始めた。

「よかった……」

 村人達が城の奥へと移動するのを、リザはほっと顔で見送った。

 アンテの助けもあって、半刻いちじかん後には、すべての村民たちが用意された部屋に落ち着くことができた。

 略奪者が襲ってくるかどうかはわからないが、エルランドが戻るまでほんの数日持ちこたえたらいい。何もなければそれでいいのだから。

「アンテ、ありがとう。おかげで助かったわ」

 不安そうにしていた人たちも、部屋に入るとほっとしたようで、不平を漏らすものは誰一人いなかった。それどころか、リザに感謝の目を注ぎ、丁寧にお辞儀をする者もいる。

 子ども達は、さっそく普段は入れない城の長い廊下を走り回っている。

「いいえ。それよりも……その、リザ様、どうか私に、罰をお下しくださいませ」

 アンテは処罰を受ける覚悟ができた囚人のように、大きな体を萎縮させている。

「え? なんで?」

「さっき申し上げたように、私はたくさんの罪を……」

「わかった。じゃあ」

 その時、リザのお腹が小さな音をたてた。

 知らせが届いてから何も食べずに夜通し働いていたのだ。

「これから村の人たちや、兵士さん達のために、厨房を指揮して温かい食事を作ってちょうだい。これは大仕事よ! 十分な罰よね!」

「奥方様! それは!」

 アンテが打たれたように目を見張った」

「幸い収穫されたばかりの野菜や穀物がたっぷりあるわ。昔絵本で読んだけど、お腹が空いて寒いのが、一番悪いことなんですって! さぁ、これからその二つを解決するのよ」

「でしたら、収容した女の人たちにも手伝いをつのりましょう!」

 ニーケが提案する。

「それはいい考えだわ! 人手不足なんだし、さっそく頼みに行きましょう!」

 リザが部屋を回ると、すぐに何人かの女が厨房の手伝いを申し出た。彼女たちを引き連れ、リザは厨房にも指示を出す。

「兵隊さん達の分もたっぷり作ってね。それからお湯もたくさん!」

「……」

 その小さな背中を、アンテは別の人物を見るように見つめた。


 私はこの方のことを何にも知らないでいたのだわ……。


 アンテが戻ったことを厨房の女たちは不思議そうにしていたが、アンテに色々尋ねているリザを見て、何も言わずにその指示に従った。

 しばらくすると、大鍋にはたっぷりとしたシチューが煮え立ち、今まで使われてこなかった暖炉に火が入れられ、城の人々は一息つくことができたのだった。

 リザもニーケやターニャ達と一緒に、すっかり様相が一変した広間の片隅で熱いシチューを頬ぼった。

「どうか、何事も起きませんように……」

「そろそろ夜明けですわ」

 リザの願いが通じたか、夜明けとともに湿った雪が振り出し、城は終日、白い覆いに守られたのだった。


 ***


 怪我人を運んできたコル達が帰ってきたのは、翌日の昼過ぎだった。雪は止んでいたが、ぬかるみで難渋したのだろう。どの顔も疲労困憊の様子だ。

 リザが急いではね橋を渡ると、馬車の荷台には応急処置をされた怪我人が、毛布にくるまって何人も横たわり、うめき声をあげている。

「急いで大広間へ!」

 リザの一声で、待ち構えていた城の兵士たちが、傷ついた村人や同僚達を二人一組で場内に運んでいく。

 大広間には簡易の寝床が作られ、清潔な包帯や湯がたっぷり用意されていた。

「応急処置はしました……幸いなことに、村民たちは厚着手の皮の上衣を着ておりましたので、傷が内臓に達したものはおりません。しかし、出血がひどい者がいるので、急ぎ傷口を縫わなくてはならない者が何人かいます」

 コルが報告をした。

「どうしたらいいの?」

 リザは怪我人の血を見て真っ青になりながらも、踏ん張って尋ねた。コルによって血止めの処置がなされているが、早く手当てをしなければならないだろう。

「確か町に帰った老医師の外科処置の器材が、どこかにあるはずですが……」

「私が知っております!」

 進み出たのはアンテだ。コルは意外そうにアンテを見つめた。

「……アンテ?」

「はい。恥を忍んで戻ってまいりました。リザ様にお許しをいただき、働かせてもらっております。コル、私にも手伝わせてくださいませ!」

 アンテは腰を折って必死にコルに頼み込んでいる。

「議論している暇はないわ! アンテはお道具を取ってきて! ターニャは薬草に詳しいお婆さんをここに呼んできて! コルは私が何をすればいいか教えて!」

 リザは、うめいている怪我人を早く楽にしてあげたい一心で叫んだ。

 すぐにアンテが外科の道具が入った箱を持ってくる。ターニャは厨房で薬草を煮ていた老婆を連れてきた。後には薬を入れた鍋を持った女達も続く。

「針も糸もあるが、まずは消毒だ。沸騰しゃふつした湯につけるんだ」

 コルはアンテに言った。

 湯なら大きな暖炉にたっぷり沸いている。コルは手早く器具を煮沸した。城の兵士が包帯を解いていく。生々しい血の色とにおいが立ち込め、リザは胃の辺りがおかしくなったが、必死でこらえた。弱音を吐いている時ではないのだ。自分ができることを探さなくてはならない。

 まずは傷口を消毒薬で洗うのだが、かなりみるようで怪我人達は苦しげに顔をしかめた。

 煮沸を終えた器具で、コルは一番ひどい重傷者から縫合ほうごうを始めた。

「暴れないように手足を押えろ」

 コルは兵士に命じたがその時、リザが吸い飲みをもってやってきた。

「これ、鎮静効果があるお薬なんですって。飲むと少し楽になるかもっておばあさんが」

 言っている間にリザは、うめく男の口に吸い飲みをあてがってやる。男は熱でのどが渇いているのか、苦そうにしながらも全部飲み切った。

「では縫います。ここはもう我々て何とかできますので、リザ様はお部屋にお戻りを」

「そんなことできる訳ないじゃない! さぁ、他の怪我人にもお薬を! ウルリーケさんのお薬がよく効くって言ってたわ! 一番傷の重い人たちにはそれを使いましょう」

 リザの指示で、アンテもニーナもターニャも動き出す。ほかの女や兵士たちも同じだ。

 皆リザができる限りのことをしようとしているのを見て、自分からできることを行っているのだ。

「うあああっ! いてぇっ! いてぇよう!」

 一番大柄な青年の背中の傷を縫合する時は、リザも一緒になってその体を押えつけるのを手伝った。

 青年はまだ十代前半で初めて輸送隊に加わったのだ。泣き叫ぶ若者の力は非常に強く、兵士五人がかりでも押えきることができない。リザは何度も吹っ飛ばされそうになりながらも、ニーケと一緒に全身の力を使って片方の手首を押えた。

「がんばって! あともう少しよ! がんばって!」

 叫び声は永久に続くかと思われたが、やがて青年は静かになった。それが最後の怪我人だった。


 リザがよろよろと周囲を見渡した時、大広間はようやく落ち着き始めたところだった。

 いつも賑やかな大広間は、普段のあり様とは全然違っていた。床には血の付いた布があちこちに落ちていて、破れた服や、靴が散乱している。

 怪我人たちはの手当てはどうやら全員終わったようだ。重傷者は熱のせいか、鎮静剤がよく効いたのか、うとうとしている者もいる。駆けつけた家族に会えて安心したのもあるかもしれない。


「リザ様」

 コルに伴われてやってきたのはザンサスだ。

「申し訳ございません。すべては私の責任でございます」

「あなたの怪我の手当ては?」

 リザはザンサスの腕の大きな傷を見て言った。そこには包帯すらまかれていない。

「こんなものはかすり傷でございます。それより」

「それより、手当が先よ」

 そう言いながらリザははさみでザンサスの服の袖を切った。二の腕に大きな刀傷が斜めに走っている。御者を助けた時に負ったという傷だろう。

「消毒液を」

 リザは大きなさじで薄赤い色をした消毒薬を傷口に垂らしていった。

「コル、これなら縫わなくてもすみそう?」

「ええ、手甲が守ってくれたようです」

「よかった」

 リザは緑色の化膿止めを塗った布で傷口を押え、手際良く包帯を巻いていく。この数時間で、すっかり手当の方法を覚えてしまったのだ。

 周り中が息を詰めてリザを見守っている。

「これでいいわ。みんなを守ってくれてありがとう。あなたも今日は休んで」

「リザ様……」

「怪我人は交代で付き添いましょう。おばあさんが熱さましのお薬を煎じてくれたわ。これを数時間おきに飲ませるのね?」

「左様でございます、奥方様」

 老婆はしゃんとした態度でリザに頷きかけた。その目には畏敬の色は浮かんでいる。

「あたしにできることは他にありませんか?」

「ありがとう、おばあさん。明日また手伝ってもらうから今日はもう休んでね」

「リザ様もお休みください。ここではもうすることがありません」

 コルが心配そうに声をかける。

「私は大丈夫、コル、悪者達はここにも来るかしら? 来ると思って村の人たちをお城に入れたのだけど」

「わかりません。おそらく今は奪った荷を分け合いながら、雪が止むのを待っているのでしょう。お館様の留守を知っているのでしょうから、襲ってくる可能性が高いです。間もなく日が暮れます。警備兵には外の城壁を見廻るように言ってあります」

「そう?」

「それにしても、リザ様のご判断は適切なものでした。お礼を申し上げます」

 コルも丁重に腰を折る。彼もこの小さな娘が、ここまで考えて行動できるとは思っていなかったのだ。

「……もし悪い人が襲ってきたらどうなるの?」

「現在、城にいる兵士は、戻った者も含めて約百人です。いずれもエルランド様が鍛え上げた兵士達ですから、ならず者程度なら心配いりません。ですから、リザ様、少しだけでもお休みを。これから長丁場になりますので」

「わかったわ……でもコルも休んで。まだ終わったわけじゃないもの」

 リザは素直に頷く。自分に経験も体力もないことは十分承知していたのだ。

「できることは休憩も含めて全部しましょう」

 リザは自分の戦場になった大広間を見渡した。

「そして、エルランド様が戻るまでお城や村を守るのよ!」


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