第70話69 実りの時 1

 リザは結局、ナント侯爵や客達の出立を見送れなかった。

 エルランドが強く願ったので、部屋で休んでいることになったからだ。

 侯爵は終始愛想よく、最後までエルランドに話しかけながら馬車に乗り込み、ノルトーダ自領に帰って行ったらしい。

 ウルリーケはリザの許可を得たことをいいことに、しばらく逗留することになった。というか、どさくさに紛れて押し切ってしまったのだ。

 リザはウィルターとパーセラに見舞われ、また会うことを硬く約束した。

「今度はもっとたくさんのお品を持ってまいります! 絹も、化粧道具も、髪油も、それからそれから……」

 パーセラが涙目で思いつく品物を上げていくのを、リザは嬉しく思って聞いていた。

「それより赤ちゃんを見たいわ。どうか体を大事にしてね」

「は、はい。リザ様もどうかお健やかで。あのお嬢様にはご注意なさいませよ」

「大丈夫です! 私たちもエルランド様もついております」

 ニーケが力強く頷いた。

「もし王都に来られることがあれば、ぜひ我が商会にお越しくださいませ」

 ウィルターもそう言い残し、二人は城を去っていった。


 翌日リザは、コルからアンテが城から去ったことを聞いて驚いた。

「どうしたの? なにがあったの?」

「リザ様がお気にされることではありません。彼女は自分のしたことを振り返るべきなのです」

 コルが淡々と答える。

「よくわからないわ。ここを出てどこか行くところがあるの?」

 アンテは自分のことを一切言わなかったから、リザは彼女のことを何も知らない。

「おそらく壁外か、城の近くの村に一人で引っ込むことになるのでしょう」

「一人で? アンテはこれからどうなるの?」

「さぁて。全ては自分次第です」

 コルは思慮深い目をして言った。

「……自分次第。全てはそうね」

 アンテはリザには厳しかったが、この城の重要な使用人だった。召使達をしつけ、厨房を管理し、城の維持に備品や消耗品を整えていた。

 なのに、突然追い出されてしまったのだ。事情はわからないながら、リザは他人事ではないような気がした。


 要らなくなれば、私も捨てられるのかもしれない……。


 暖炉には炎が赤々と燃えている。鉄樹の薪は少しの量でも一晩中暖かく燃え続けるのだ。

 リザの寝台の天蓋には厚地の布が掛けられ、部屋にも飾り物や布製品がどっさり増えていた。エルランドが王都に帰ろうとする商人から急いで買い求めたものだった。

 暖かい部屋と栄養価の高い粥のおかげで、リザの体調は翌日には城内の散歩ができるまでに回復した。

 ウルリーケはどうしているのか、姿を見ることはなかった。彼女は彼女で、自分の持ちものを領地から取り寄せるので忙しいらしい。

 その更に二日後──。


 リザは葉を落としはじめた明るい森を、エルランドと共にくつわを並べていた。二頭の馬は遠乗りを楽しむようにゆったりと進んでいる。エルランドはアスワドに同乗するようにと言ったのだが、リザはそれを断って、コルにバネッサを出してもらったのだ。

 リザは知らなかったが、エルランドは遠乗りをウルリーケには知らせてはいなかった。

 二人は森の中に入っていく。目的地は森の南のほうにある、陶器の工房だった。先日狩りをした北の森とは違うところである。


「もうじき伐採期ばっさいきが始まる。俺はまた……しばらく城を離れないといけない」

 エルランドは巧みに手綱を操りながら言った。リザの先導をしているのだ。

「伐採期? 木を伐るの?」

「ああ。冬になると木は成長を止め、樹液が少なくなるんだ。木を伐るには適している。ただ、鉄樹の森は深い山奥にあるし、いったん山に入ればなかなか戻れない」

「へいきよ。私は一人でやれるわ」

「……俺はリザにそんなに強くなって欲しくはないんだが」

「ウルリーケ様は強いのでしょ?」

「彼女のことはどうでもいい。だがあの性格だからな。コルには彼女があまり我が物顔で城を闊歩かっぽしないように言っておく。気が済んだ頃合いに領地に戻す。リザもあまり関わらないようにして欲しい」

「……」

 

 確かに恋人だったら、私に関わって欲しくはないはずよね。


「リザ。あれだ。煙が見えてきた」

 リザが皮肉な考えにおちいっていると、エルランドが梢の向こうを指した。空に煙が高く上がっている。陶器を焼成するときの煙だ。

 二人は程なく職人たちの小さな集落に着いた。

 十人ほどの男たちが領主を見つけると急いで集まってきて、泥だらけの服を叩いて帽子を脱いだ。その中には収穫の市で店番をしていた無愛想な男もいて、気難し気な顔つきでリザを見ている。

 一番年長の職人がエルランドの前までやってきて、無骨なお辞儀をした。

「ご領主様、こんなところにまで足を運んでいただいて、恐縮でごぜえます。そちらの……奥方様も」

「忙しいところすまんな。妻が陶器に興味を持っているので連れてきた。俺たちは勝手に見て回るから、皆いつもどおり仕事を続けてくれ」

 エルランドはそう言ったが、年配の職人は案内する気のようで、二人をまず粘土を保存する小屋に連れて行った。

「これがご領主様たちが荒野の崖で発見してくださった、白い土でごぜえます。ほら、土が細かくそろっていて、すべすべでしょう? 触ってみますか?」

「いいの?」

 職人が驚いたことに手を出したのはリザの方だった。リザは乾燥しないように濡れた布を被せた粘土の塊に指を滑らす。

「まぁ、本当にすべすべ! クリームみたい!」

「どれ。ああ、本当だ」

「白くて、粒子が細かいので、薄く仕上がるんですわ」

 続いてろくろを回して成形する小屋にいくと、複数の職人が足で器用にろくろを回しながら、様々な器を作っていた。小さな杯もあれば、大きなかめのようなものもある。

「すごいわ……」

 職人の指先は魔法のように、ただの土の塊を均整の取れた器へと変化させてゆく。リザは時間を忘れてその技術に見入った。

「できたものは陰干しして、乾燥させてから窯場かまばに運びます」

「窯場ってさっきの煙が上がっていたところ?」

「左様でございます」

 窯のあるところは集落の奥にぽっかり空いた広場で、そこに煉瓦と土を固めた半球が作られていた。人一人は余裕で入れそうな大きさである。それが器を焼く窯なのだ。

 そばに鉄樹の薪が積み上げられてあり、今まさに轟々ごうごうと燃え盛っている。遠くから見た煙はこの窯のものだ。

「ほう、熱いな! リザあまり近寄るな。危ないから」

「へぇ、鉄樹のおかげで高温で焼くことができますんで。薄くても硬くて丈夫な焼き物になります。これは素焼きと言って、釉薬うわぐすりをかける前のものでごぜえます」

 そう言って見せてくれたのは、ただの白い焼き物だった。

 皿や器などいろいろな家庭用の食器や優雅な形の壺などがあるが、どれも真っ白だ。これはこれで美しくないこともないが、なんとなく物足りない。

「これに、釉薬をかけて、もう一度高温で焼くと立派な陶器になるんでさ」

「エルランド様、この素焼きの器をいくつか買ってもいいですか?」

 リザは重ねられた素焼きの焼き物を見て言った。

「ああ、いいとも。好きなだけ取るがいい。親父、いくらだ」

「いやぁ。こんなのはまだ商品にもなってやせんので、金は取れねえ。いくらでも取ってくだせぇ。しかし、こんなものどうしなさるんで?」

 リザは持ってきた鞄から、先日届いたばっかりの陶器用の絵の具や道具を出した。それは青と赤の二色の粉末状の絵具と、それを練る乳鉢にゅうばち乳棒にゅうぼうだ。

 リザは乳鉢に青い粉を落とすと、水筒から水を少し出して青い絵の具を練りはじめた。

「それから」

 ごそごそと取り出したのは、小さな紙の束で、リザが今までに描いた花や鳥の図案である。

 最初に手にしたのは肉などを盛る皿だ。大きくて描きやすいと思ったのだ。

「……」

 白い皿の周囲にリザは絡まる蔦の模様を描いて行った。筆先を上手に使ってくるくると繊細な模様を連ねていく。あっという間に一枚仕上がり、次は赤い絵の具で別の皿に鳥の絵を描いた。鳥が実をくわえたり、飛んだりしている。様々な器に次々と夢中になって描いていたリザは、ふと顔を上げて驚いた。

 いつの間にか周りに職人たちが大勢集まっていたのだ。

「うまいもんだな!」

 真後ろでのぞき込んでいたエルランドが大きな声をあげた。

「へぇ。大した腕でございます」

「陶器に絵を描くなんて、思ってもみませんでした。せいぜい、簡単な模様を彫り付ける程度で」

「なるほど。こうやって絵付けをするだか。この上に釉薬をかけるんだな。確かに、土肌が白いから何か描けば映えるべな。これならちょこっと変わったもんができそうだべ」

 最後の言葉を言ったのは、例の気難しそうな職人だ。

「よし、次の窯に入れて見るべ」

 その言葉にどの職人も頷き合っている。

「お姫さん、あんた驚いたお人だなや。最初は妙な娘っ子じゃと思うたが、なかなかの芸を持っておる」

「ありがとう、おじさん」


 その日、リザは馬に乗せられるだけの素焼きの器を持って帰ることにした。城でもう少し複雑な絵を描いていようと思ったのだ。

「焼き上がるのが楽しみだわ」

 リザは久々に気持ちが浮き立つのを感じて微笑む。

 その様子をエルランドがじっと見つめていることには気がつかなかった。



    *****



陶芸は実は自分の趣味でもあります。

物を作るのは下手くそでも、なんでも好きです。

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