第69話68 妻の役割 3

「失礼いたしますわ……あら?」

 ウルリーケが入ってきた時、リザは寝台から起きて着替えを始めたところだった。ニーケが止めるのも聞かずに無理やり起きようとしているのだ。

「ウルリーケ様! 失礼でございましょう」

 ニーケが主人の肌を隠すように前に出る。

 リザは少しふらつきながらも、袖のないシュミーズをつけ終えたところだ。

「あら失礼。扉が開いていたものですから」

「いいのよ。ニーケ、女同士ですもの。おはようございます、ウルリーケ様……と言っても、もうお昼ですわね。朝餐ちょうさんに出られなくて申し訳ありませんでした」

 リザは丁寧にびた。

「いいえ。お加減がお悪いと伺ってお見舞いに来ましたの」

「朝方少し熱が出ただけです。もうへいきです」

 お見舞いといってもウルリーケは、リザをじろじろみているだけだ。まるで値踏みしているようだと、ニーケは密かに思った。

「なんて肌理きめの細かい白いお肌なのでしょう! 黒髪が映えますわね。でもどうしてそんなに短くしていらっしゃるの? 不思議」

 自分の豪華な金髪を揺すりながら、ウルリーケは無邪気を装って尋ねる。

「伸ばせない事情がありましたの」

「あら? それに細くて華奢なお体、お胸の形もいいですわね。私などは肩が凝って困りますの」

 それは遠回しにリザの胸が貧弱だと言いたいのだろうか? ウルリーケの桃色のドレスからはみ出る半球は朝から粉が擦り付けられ、ほのかに輝いて自己主張をしていた。

「こちらの方は、皆さん大柄でいらっしゃいますね」

「ええ。辺境の女はたくましいのですわ。私も王宮では大女などと陰口を叩かれたものです。でもナンシー殿下は仲良くしてくださって……感謝しておりますの」

「ウルリーケ様とナンシー姉上ならお気が合いそうです」

「まぁ、光栄ですわ」

 ウルリーケはリザの嫌味に気が付かないで言った。いや、あるいは気がついていたのかもしれない。ナンシーがリザの悪口を言わなかったとは考えられないからだ。

 ウルリーケは、自分の部屋のしつらいとは全く違うリザの部屋の様子に妙な自信を感じたらしく、ますます微笑みを深める。

「ねぇリザ様? お願いがあるのですが……私、よろしければこのお城で冬を過ごしたいと思うのです」

「……え⁉︎」

 リザは胴着の帯を結びながら顔を上げた。

 昨夜侯爵から娘をこの城に入れるとほのめかしがあったが、まさか昨日の今日で、こんなことを自ら言いにくるとは思わなかったのだ。

「冬をこちらで?」

「ええ。だって、この土地は景観が素晴らしいし、狩の得物も豊富だし、まだまだ発展するでしょう。同じ辺境領主の身内として勉強したいのですわ。それに……エルランド様がいろいろ……教えてくださるし」

『いろいろ』のところは、彼女お得意の微妙な物言いである。ウルリーケの無遠慮な言葉に、髪を整えていたニーケが一歩踏み出す。それををリザは瞳で抑えた。

「ですがまずは奥を取り仕切っておられる、リザ様にはお許しをいただこうと思って……お許し願えませんか?」

 奥など取り仕切っていないわ、と思いながら身支度を整えたリザは、ウルリーケに向き合った。

 ウルリーケは胸の前で両手を組み合わせている。青い瞳が訴えるように何度もまたたいた。世間知らずのリザでも、魅力的だと思える仕草である。

「私、私は……」

 リザは立っていることができなくなって、今出たばかりの寝台に尻餅をついてしまった。

「お父様がおっしゃいましたの。私をこちらに滞在させてくれたら、このお城にもイストラーダにもたくさんの援助を約束するって。だから、まず奥を取り仕切る奥方様にお伺いしろって」

「援助を? 侯爵様が?」

 以前よりは豊かになったとはいえ、イストラーダはミッドラーンの捨て地だった場所である。まだまだ未開の地域も多いと聞く。

 侯爵の援助によって少しでもエルランドやこの地の助けになるのなら、リザが断れるはずもない。

 女主の役割とは、大らかに未来の第二夫人を受け入れることなのだろうから。

「ええ。私リザ様ともうまくやっていけますわ」

「私に否やはございませんわ。ただ、エルランド様がご承知ならば」

 内心はとても穏やかとは言えないが、落ち着いて見えるよう、リザはゆっくりと言った。

「まぁ、ありがとうございます! このご恩は忘れませんわ!」

 何が恩と言うのだろうか? リザには恩を売ったつもりは毛頭なかった。

 その時、エルランドが入ってきた。両手に一杯のまきを抱えている。後ろのセローも同じように顔が見えないくらいの薪を抱えていた。

「エルランド様!」

 ウルリーケが嬉しげに走り寄るが、エルランドは振り向きもしなかった。

「リザ、なにをしている。早く寝台に戻りなさい。薪を持ってきた。今すぐ部屋を温めてやるからな」

 そう言いながらエルランドは熾火おきびを使って手際良く火をおこしていく。あっと言う間に炎が燃え出し、ぱちぱちと言う心地のよい音と共に、部屋中に乾いた暖かい空気が流れ出した。煙は効率よく煙突に吸い込まれていく。

「すぐに窓に掛ける布や、温かい敷物も届く。リザ、起きる必要はない」

「……いいえ」

「エルランド様! リザ様がこの冬の滞在を許可してくださいましたの!」

「なに?」

 エルランドは 傍らのリザを見下ろした。そして悟った。

 ナント侯爵親子はエルランドの説得が難しいと見て、大人しいリザから絡めとろうとしたのだ。エルランドの一瞬の隙をついて、ウルリーケは言葉巧みにリザを説得したのだろう。

 リザはリザで、昨日からどうも自信をなくしかけているように見える。

 彼らはそこにつけ込んだのだ。

「ウルリーケ殿、ここが気に入られたのなら、また春になってからこ来られたら良い。イストラーダの冬は耐え忍ぶ時期だ。俺たちは、俺たちや領民のことだけでいっぱいいっぱいとなる。あなたのことまで手が回らない」

 エルランドは、さっさと出て行ってくれないかという感情を押し殺して言った。

「いいえ! 私は私で学びたいのです。決してお邪魔は致しません。でも、ご領主様のお許しが出ないのなら……諦めます」

 ウルリーケは殊勝な様子を見せて項垂うなだれた。これ見よがしに出した肩が震えている。

「私なら構いません。ウルリーケ様は私の知らないことをたくさんご存知です。私にも学ぶところがあると思います」

「だがリザ、俺は……あなたと」

「大丈夫です。役目はしっかり果たします」

 リザは床に目を落としている。

 エルランドはそんなリザを見つめながら言った。

「ウルリーケ殿、少し席を外してくれないか?」

「え? え……ええ、わかりましたわ。では後ほど」

 ウルリーケはほんの一瞬、リザに挑戦的な視線を流すと、背筋を伸ばして出て行った。

 扉が閉まるか閉まらぬうちに、エルランドは膝をついてリザの両腕を掴んだが、リザはびくりと体を震わせながらも顔を上げようとしない。

「リザ、俺を見てくれ」

「……」

 ほんの少し顎が上がる。しかし、リザは彼を真正面から見ることができず、目線は上がらないままだ。今自分をつかんでいるその手は、昨夜彼女に触れ、抱きしめた手。そして、その指先は……。

「なぜ昨日から俺にそんなによそよそしい?」

「お、女主おんなあるじの自覚ができてきたから、でしょうか?」

「女主の自覚?」

「ええ、エルランド様も昨日褒めてくださったではないですか。立派に役目を果たせた……と。女主には役割があるのでしょう?」

「ああ。だが、俺はリザに役目を果たすだけの存在になって欲しいわけではない。リザに……俺の元で幸せになって欲しいんだ」

「もう十分です」


 私のために領主の隣の部屋を用意し、自ら薪を運んできてくれたと言うことは、私を尊重しているということに違いない。今まで私にそんなことをしてくれた人はいなかった。

 それで十分満足だわ。

 そう──思わなければ。


「いいや。全然足りない。ウルリーケ殿のことは後で考えるが、俺はリザとの時間がもっと欲しい」

 エルランドはそう言いながら、自分の手でリザの服の帯を解き、服をくつろげるとリそっと寝台に横たえた。無骨な指先が短い髪を梳き、頬に触れる。

 リザはもう逆らわなかった。何を言っても聞き入れてもらえないとあきらめてしまったのだ。

 大きなため息が知らずに漏れた。それに怖気づいたようにエルランド指が引っ込められる。

「リザ……」

「なんでしょう?」

「熱が下がったら、二人で焼き物の工房に行ってみよう。約束したろう? 俺はあなたを連れていきたい。リザと出かけたいんだ。いいか?」

「……はい。嬉しいです。楽しみにしています」

 リザは精一杯の笑顔を作って、夫に応じた。


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