第67話66 妻の役割 1

 翌日の朝餐ちょうさんは、ほとんど昼に近い時刻に行われた。

 明け方まで大広間で飲んでいたやからがいたり、二日酔いで部屋から出られない者達がいたからだ。

 朝餐がすむと、大方の客は城から引きあげていく。収穫の宴は終わり、来るべき辺境の冬に備えなくてはならないのだ。

「リザは、やはり疲れているのか?」

 エルランドは、リザの席が空席なのを見てコルに尋ねた。

 実は昨夜も今朝も、彼は外から部屋の様子を伺ったのだが、室内は静まり返っており、入ることは躊躇ためらわれたのだ。

「それが……先ほどニーケに尋ねたところ、どうやら少しお熱を出されているそうなのです」

「なんだと!」

 エルランドは腰を浮かしかけたが、その隣に座ったナント侯爵が話しかけた。彼も朝まで飲んでいたうちの一人である。まだ顔が赤い。

「おおそれは大変。しかし、今はそっとしておかれよ。なんと言ってもリザ様は王宮の奥で育った姫君で、お体がお弱いのでしょう。お姿もあんなに細いし、この冬を辺境で過ごされるのは無理があるのでは?」

「そんなことはないでしょう。リザは見かけよりも強い」

「おお、もちろん。あんなに初心うぶで可愛らしい姫君を手放すなど、考えられぬでしょうが……」

 侯爵の口振りは、いかにもリザが子どもだと言っているようであり、エルランドは不快感を隠せなかった。そばに控えたコルやセロー、エルランドの随身ずいしんたちも眉を寄せている。

「……ところでキーフェル卿、あなたを見込んでお願いがあるのです」

 ナント侯爵はおもむろに向き直った。さっきまで機嫌の良さそうだった顔つきが、油断のならないものになっていると、エルランドは内心身構える。


 つまりここからが本題というわけだ。


「なんでしょう?」

「私はこの後ノルトーダに戻るが、しばらく娘をこちらに置いてやっていただけないだろうか?」

「ウルリーケ嬢を?」

 エルランドは驚いて聞き返した。

「そう。娘はこの城と……貴公を、なんというか……いたく気に入ったようで、良ければあれの気がすむまでここで過ごさせてやって欲しいのだよ」

「侯爵閣下……イストラーダの冬は、ノルトーダと比べ物にならないくらい厳しいのです。夜会もお茶会もできないし、しない。はっきり申し上げて、大切に育てられた姫君には難しいと思われます」

 慎重にエルランドは言葉を選ぶ。

「いやいや、我が娘も相当にたくましいぞ。ああ見えて体も丈夫だし、私が言うのもなんだが、良い体つきをしている。昨日の狩りでおわかりでしょう? 乗馬も弓矢も得意だ。キーフェル卿のくらい十分務まりますぞ」

「イストラーダにはイストラーダの事情があるのです。この冬は特に」

 侯爵の意味ありげな言い方に、あえて気づかぬふりでエルランドは応えた。

「それはそうであろう。なので、それを学ばせてやってはもらえんかの? 我が方からも十分に援助をする故に」

「閣下の今までのご支援には十分感謝しております。しかし、私はこの冬からは、我々の力だけでやってみたいのです。ここの人たちは頑迷だが、一旦納得し、目的が定まれば人を信じてよく働く。もし事情が許せばこの夏までに、ご支援いただいた分のお返しができるやもしれません。私としてはそれを証明したい」

 エルランドは確固とした意思で言い放った。

「う、うむ。もちろん貴殿の手腕はわかっておる。……だが」

「エルランド様」

 現れたのは、アンテや侍女に付き添われたウルリーケである。彼女は桃色のドレスを着て甘えるように微笑んだ。

「おはようございます。昨夜は楽しかったですわ」

「おはよう、ウルリーケ嬢。しかし、誤解を与えるような言い方は控えていただきたい。私はお部屋までお送りしただけですぞ」 

「あら、でもとても優しく寝台に横たえてくださだいました」

「それはどう言うわけか、部屋付きの侍女たちが誰もいなかったし、あなたが酔い潰れておられるから、騎士として当たり前のことをしたまでです」

 ザンサスたち随身の無言の非難を跳ね除けるように、エルランドは冷淡な口調で言った。

「周りの者たちは侯爵令嬢であるあなたに遠慮して、腰が引けておりましたからな」

「おお、ウルリーケ。そなたまた、そんなはしたないことをしでかしたのか?」

 侯爵は一応言葉ではとがめてはいるが、口調はけしかけているようにも聞こえる。随身達の顔は一層険しくなった。

「お父様こそ、朝まで飲んでいらしたのではなくて? ご迷惑でしょうに」

「私だっておくの目の届かぬところでは、たまにハメを外すのだよ」

 侯爵親子が話している隙にエルランドは「失礼」と言って席を立った。今はなんとか逃れたが、この先面倒なことになるのがわかって、すっかり気分が重くなる。

 しかし、今はリザのことだった。


「リザ様、何か召し上がられますか? お粥をもらってきましたが」

「いらない……」

 リザは枕に顔を埋めたまま言った。

 昨夜はあれから眠れなかった。最南の部屋の扉が閉じてすぐ、リザは部屋に逃げ込んだ。

 窓の隙間から月明かりが細く忍び込んでくる。その光の帯に導かれるようにリザは窓を開けた。下弦の月が正面に見える。

 うつむいたように見える月を見てリザは悟った。


 私はエルランド様のことが好きなんだ。

 五年前、あの緑の瞳を初めて見た時に惹かれ、一緒に眠って感じた温かさ、触れた部分の感触を何度も思い返していたのは、好きだったからなのだわ。


 それは胸が胸が痛くなる自覚だった。

 できれば気付きたくなかったほどの。

 胸が痛いのは嫉妬が心を焼くからだ。好きな人が自分ではない女性を抱いて一緒の部屋で眠る──。

 それはとても嫌なことだった。

 悲しくて、苦しくて、悔しい。醜い感情だ。

「……でも、たいしたことはないわ。起きてお客様のお見送りには出なければ」

「無理ですよ。ずいぶんな鼻声ですわ。昨夜はだいぶ冷えましたから」

 結局リザは月が傾くまで窓辺に佇んでいた。

 だから熱が出たのは自業自得なのだ。だから、自分の唯一の義務を放棄するわけにはいかない、とリザは思っていた。

「今夜から暖炉に火を入れていただきましょう。それとも自分たちで薪を運ぶのかな?」

「あの……ウルリーケ様は?」

「はい。先ほど、朝から空々しいほどの派手な桃色のドレスを着て、アンテさんと一緒に下へ」

 ターニャが下唇を突き出す。

「最近アンテさんは、あのわがままお嬢様にべったりですね」

「大切なお客様だから仕方がないのよ」

「でも、私聞いたんですけど。あのウルリーケ様ってもう二十二歳でしょ? 普通の大貴族様ならとっくにご結婚されているお歳じゃないですか」

「それ、どういうこと?」

 ニーケが身を乗り出す。

「あの方は一度離縁をされているんだそうですよ」

「ええ⁉︎」

「これは、こちらに滞在されている、王都の商人さん達が言ってたから間違いないと思います。ウルリーケ様の最初の結婚は十七歳の時、王都のある貴族様とだったらしいです。それをなんかの理由で離縁されて、ノルトーダに出戻ってこられたのが十九の時。それからはめぼしい再婚相手を血まなこで探しているってことだです」

 ターニャの説明にニーケはさもありなんと言う表情だったが、リザは眉をひそめた。

「ターニャ、そんな悪口はよくないわ。きっと何か事情があるんでしょう。あんなに綺麗な人なんだもの」

「確かにお綺麗ですけど、わがままな人ですよ。私は好きになれません」

 その時、はっきりしたノックの音が聞こえた。


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