第50話49 辺境騎士と妻 6

 翌日、リザはパーセラと一緒に浴室へと向かった。旅の間、ゆっくり湯にかることもなかったので、彼女はとても喜んでいた。

「ご気分は?」

「朝方は少し。でも、私の家は代々悪阻つわりは軽い方なんですの」

「つわり?」

 初めて聞く言葉にリザは首を傾げた。

「お腹に赤ちゃんができると、女の体の中で色々変化が起きるのですわ。それで気分が悪くなったりするのです」

「そうなのですか……初めて知りました」

 リザはそう言いながらつるりと衣服を脱いだ。

「まぁ、白い肌!」

「普通です」

「いいえ。普通は白くても赤みがかかっていたり、そばかすなんかがありますわ。リザ様のお肌はどこもかしこも真っ白!」

「痩せっぽちで恥ずかしいから、あんまり見ないでください」

 リザはさっと布をかぶって、大きな浴槽に身を浸した。パーセラも同じように湯に浸かる。あまり熱くないのでゆっくり体を温められるのだ。

「リザ様は王女様なんですね。夫から聞きました」

「王女と言っても、母の身分が低くて、王宮では誰にも相手にされなかったのですけど」

「お母上は東の国の方?」

「それがよく知らないのです。母の母も早くに亡くなったとかで」

 リザが七歳の時に亡くなった母からは、自分の身内の話を聞いたことがなかった。

「東の国には黒髪と黒い瞳を持つ人が多いのだそうです。それはイストラーダよりもずっと東にある国のことですけど。戦をした時代もあったようですが、今では少し交流もあるようです」

「そうなんですね。私まだお城の外には出たことがなくて。エルランド様がその内、市場に連れて行ってくれるっていてくれました」

「エルランド様はお優しい?」

 パーセラはリザを見つめて尋ねた。

「ええ、多分。今まで一緒に暮らしてなかったけれど、私を尊重してくれていると思います」

「尊重……リザ様、リザ様は今よりももっと綺麗になられます。さぁこの石鹸でお肌を洗いましょう」

 それからは少し大変だった。リザが石鹸も化粧液も香油も持っていないと知ったパーセラは、何から何まで世話をやいたのだ。

「パーセラさん、お加減が……」

「私、やること見つかると燃えるタチなんです! 私の専門は化粧品ですから。どうぞ全部お任せください。ニーケさんも順番を覚えてくださいね」

 浴室の床に敷いた布の上にうつ伏せになったリザに香油をたらし、パーセラはニーケに肌に刷り込むやり方を教えた。

「あの、もう……」

「髪にはこの薔薇油を。他にもいろいろありますので。全部置いていきますから。あとお胸には……」

 たっぷり半時間もかけて、パーセラは肌と髪の手入れの仕方をリザとニーケに教えた。


 一方その頃──。

「アンテ、リザに冷めた食物しか与えなかったというのは本当か?」

 エルランドは詰問きつもんの口調でアンテを見据えた。

「いえ……は、はい。そうです。王宮では、王族の方に熱々の食物をお出ししないと伺ったので……」

 しばらく逡巡していたアンテは思い切ったように話し始めた。

「リザ様は王家の方なのですから、王家の風習を尊重するのは当たり前です」

「だが、リザはもう籍を離れ、俺の妻となったのだ。温暖な王都と違い、イストラーダのこの季節に冷えた食物は体に悪い。俺たちは冷えた食べ物なんか食わない」

「……はい」

「もともと華奢なのに、さらに痩せていたのはそれが原因だな」

「……」

 主人の厳しい言葉にアンテは黙るしかない。

「言っておくが、リザは俺に訴え出たわけではないぞ。あの……あの娘は自分が無碍むげに扱われることが当たり前だと考えているからな。それは俺の罪でもあるが」

「え……それはどういう……?」

「お前には関係ないことだ」

 エルランドはぴしゃりと決めつけた。

「あと、リザに貴婦人が使って当然の道具を与えなかったな。商人の奥方がリザの肌や髪を見て、待遇を見破って俺に伝えてくれたのだ」

「それはですが……所望しょもうされませんでしたので。こんな田舎のものは使えないと思っておられるかと思って……」

「アンテ」

 エルランドの声は一層低くなった。

「……はい」

「お前にはリザがそんな高慢な女に見えたのか?」

「……」

「俺はお前を買いかぶっていたのか?」

「申し訳ございません! ですが、私はお館様があの方を本気で妻にされるとは思えなかったのです!」

「何?」

 想定外の言葉にエルランドは目をいた。

「本来この城の本当の奥方様になる方のお部屋は最上階、エルランド様のお部屋の隣にございます! ですが、今リザ様がいらっしゃるのは、ただのお客人用の部屋です! 私は三階に部屋を用意せよと仰せつかりました!」

「なんだと⁉︎」

「ご主人様はあの方の出自をおもんぱかって、敬えと私におっしゃったのではないのですか? 私にはあの方が、本当にこの城の女主になれるとは、とても思えなかったのです!」

「……そうか。なるほどな」

「……あ、あの」

「お前や皆は、そう考えていたのか」

「エ……エルランド様?」

「いい。下がれ」

「……ですが!」

「下がれ」

「……っ! 失礼いたしました!」

 初めて聞く主の怒りを込めた声に、アンテは逃げるように領主の部屋を辞した。


 俺はまた間違ってしまったのか?

 リザを怖がらせないように、ゆっくりこの城に馴染むように配慮したつもりが、アンテのような誤解を生んだ。

 結果、リザはここでも自分は冷遇されていると思ったかもしれない。

 いや、きっと思っている。

 俺を出迎えた時の言葉もなんだか妙だった。

 あんなに諦めることに慣れている娘に、俺が何を言い訳しても信用されないのは当たり前か……。


「くそ! いくさの方がよほど楽だ」

 今まで女が欲しいと思った時は、言い寄ってくる女を抱くだけでよかった。または適当に口説いて、数日一緒にいるだけで事足りたのだ。

 五年前、十三歳のリザを見て、その初々しい仕草さと、相反する冷めた心情に惹かれ、エルランドは初めて女の心情を理解したいと思ったのだ。

「行かねば」

 エルランドは立ち上がった。



 

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