第34話33 二度目の夜 4
「……これでやっと話ができる」
エルランドはリザを見つめながら、さっきまでニーケが座っていた椅子に腰を下ろした。
「あなたも座って」
「……」
リザも彼から視線を外さずに、席についた。逃げてはいけないと姿勢を正し、彼の顔──額の真ん中あたりをじっと見つめる。
彼は以前より髪が伸びたようだった。落ちかかる前髪をさらりと後ろに流している。以前見た、左の眼の上の傷は少し薄くなったようだが、額や頬には細かい傷がいっぱいついていた。中には新しいものもある。鋭く整った
しかし、リザは彼を恐いとは思わなかった。
たとえ離縁を申し渡されるにしても、あのメノム侍従や兄上から聞かされるよりよっぽどいいわ。
でも、素直には王都に帰ってあげないから。
エルランドはしばらく難しい顔をしてリザを見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「目が黒い」
「……は?」
さぁ来いと身構えていたのに、想定外の問いかけ。リザの眉が思い切り寄せられた。二人の視線が正面から絡み合う。
「あの馬鹿馬鹿しい結婚式で一番印象的だったのは、あなたの青い瞳だった」
「私の目は黒いのよ。カラスだもの」
「いいや。陽の光を受けた時、あなたの瞳はびっくりするほど透き通った藍色になるんだ。自分では知らないか?」
「知らない。言われたこともない」
リザは素っ気なく言った。
「あなたは私の目のことを話すためにここにいるの?」
「……いや」
エルランドは目を伏せ、
「あなたに、リザに謝罪するために俺は今ここにいる」
「謝罪」
「そうだ……あなたを五年も放っておいてすまなかった。心からお詫びする」
エルランドは再び強くリザを見つめて言った。
「まずはこれを言いたかった。何をおいてもここから始めないといけないと思っていた」
「……はじめる?」
これから何が始まるというの? これは終わるための話ではなかったの?
リザは首を傾げた。
「しかし、あなたは俺を許さなくていい。それだけのことを俺はした。だが、謝罪せずにはおれないから、俺は謝る。何度でも」
「……」
「これは誓って本当の話だが、俺はあなたに何度も手紙を書き、金を送っていた。時々は……領地でとれた宝石の原石や毛皮などを贈ったこともある」
「手紙? お金? 宝石?」
そんなものは一度も届いたことはない。リザがそう言おうとすると、エルランドはわかっているというように
「ああ、届かなかったのだろう? 知っている。俺は一昨日、王に会って確かめた。どうやら、俺から送ったもの全てはどこかで握りつぶされていたらしい」
「……え?」
リザは目を見張った。そんなことがあるのだろうか?
「これは嘘偽りなく本当だ。放って置いたのは確かだが、俺はあなたを忘れていたわけではない。信じてほしい」
「……手紙をくださったの……? 何度も?」
「ああ。ここ数年は、好きなものを買うようにと、金貨を同封していた。五年前あの離宮を見て、あなたが王宮から十分な支援をされていないと思ったから。あなたからの返事が届かないのは、そのせいだと思っていた」
「……」
リザは、手紙を書くといったエルランドの言葉を最初の頃は信じていたが、いつまでたっても何もないので、自分は見捨てられたと思い込んでいたのだ。
「だが、それが却ってよくなかったのだろう。あなたへの手紙は全て打ち捨てられ、金は誰かに着服されていた。俺としては、それをしたのが、ヴェセル王自身でないことを祈るばかりだが。最近の手紙には、領地イストラーダも安定してき始めたので、近々あなたを迎えに行きたいと記したのだ。それもきっと中身を見ずに捨てられていたのだ」
「……わ、私は何も知らなかった」
リザは自分も何か伝えなければと思い、懸命に言葉を探す。
「先日メノム侍従が来て……キーフェル卿……あなたとの離縁が決まったと言ったの」
「あの腹黒い蛇めが!」
エルランドは吐き捨てるように言った。
「メノムが言ったのはそれだけ?」
「いいえ……離縁の後は、シュラーク公爵様という方に嫁ぐようにと言われて……王宮で準備をするから戻るようにって」
「ああ。俺のところにも使者が来た。同じように離縁状に署名をしろということだった。俺は署名せずに、急いで王都に
これ以上はないと言うくらい、苦々しい
「あなたが住んでいた離宮に忍び込んでオジーに会って初めて、リオがリザだと知った」
「オジーに会ったの?」
知った名前を聞いて、緊張していたリザが肩を落とし頬を
「ああ。彼は俺に怒っていた……当たり前だが。その後、俺はもう一度王に会いに行き、離縁とリザの再婚をなかったことにさせた」
「……」
「リザ……正直に言ってほしい。あなたは俺を恨んだか?」
エルランドは真剣な顔でリザに尋ねた。
「恨む……」
リザは恨むという言葉の意味を考えてみる。
私はこの人を恨んでいたのだろうか……?
恨む、憎む、
考え込んだリザをエルランドがじっと見守っている。
いいえ、違うわ。
私はそんな暗い気持ちをこの方に持ったことはなかった。
いつもいつも。それは毎日思い出してはいたけれど。
リザは
いつもいつも私が感じていたのは──。
そう……、心の痛みだ。
「私が感じていたのは……痛み」
リザはエルランドをまっすぐに見返した。
痛みを感じるのは傷があるからだ。
思い出しては打ち消しての繰り返し。その内、寂しさよりも諦めが勝って、心に
だが、その下には脈々と熱い血が隠れていることをリザはまだ知らない。その熱さには別の名前があることも。
「私は諦めていたの」
リザははっきり応えた。
「あきらめた……」
「そう。私を欲しがる人など誰もいない。だから、あなたもそうだと思ったの」
リザは感情を交えないように気を付けて言葉を紡ぐ。
今まで誰にも打ち明けられなかった想いを。
「そう思われても仕方がないことを俺はした。この五年間、自分の領地を治めるのに必死だった」
「昔もそう言っていたわ」
「リザはあの頃から、俺の約束を信じていなかったのだな」
「信じるものは少ないほど傷も少なくてすむの。でも……思い出さずにはいられなかった。たった一つの思い出だから」
淡々と話す王女の言葉を、痛々しい気持ちでエルランドは受け止めた。
「私はずっと思い出していた。それが当たり前になるくらいに。再婚なんてしたくなかった。だから王宮から逃げたの。でも、あなたにまた出会ってしまった。私はびっくりして、混乱して……でも私だと知られたくなくて」
「宿から逃げたのは、俺から
重く問いかけに、リザは深くうなずいた。
「ごめんなさい。無能な私が浅はかにも飛び出して、あなた方に迷惑をかけたことは、正直申し訳ないし、恥ずかしいとは思っています。でも……あなたに離縁されたものと思っていたから……私だと知られない内に姿を消したかったの」
リザは暗い窓に映る自分の姿を見た。肩にやっとつくくらいの短い髪、ぶかぶかの服を着た見すぼらしい自分を。
「だってそうでしょう? 捨てられた妻が、離縁された夫にどんな顔をして会えばいいというの?」
「……そうか、あなたの方から見ればその通りだな。俺は考えもしなかった……」
「でもそれだけじゃないわよ」
リザはどんどん言葉が飛びだす自分に驚いていた。こんなことは初めてだった。
けれど、止まらない、止めたいとも思わなかった。全部ぶちまけてしまうのは今しかない。
「私は運命からも逃げたかった」
「運命?」
「ええ。今まで私は誰かに逆らったことなどなかった。だけど、一度だけでも抵抗しようと思ったの……前にあなたが言ったように」
「……」
エルランドは今や、リザの言葉に聞き入っている。
「全て言いなりになるのは嫌だ。あなたが教えてくれた言葉よ」
「……確かに、そう言った。あれは自分に言い聞かせた言葉だった」
「私は少しだけでも自分で考えて行動したかった。五年の間にほんの少しだけど、自分で花を育てて絵を描いて、世間を見たわ。でも……結局は浅はかな小娘の自己満足だったのよ……私は何もできない役立たずのまま。そう」
何かが心の下からせりあがってくる。それは吐き出さないといられないほど大きな塊だった。
「誰にも欲しがられない、厄介者の醜いカラスなのよ!」
「違う!」
エルランドが立ち上がる。振りかぶって見上げるほどに大きい。
しかしリザは少しも怖くはなかった。
「違わない! あなたも兄上と同じ! だから私は、勝手に生きていこうと思ったの!」
「リザ!」
目の前に、緑の目がある。何度か宝箱を開けるように思い出していた色が目の前に。
「どうして……なぜ!」
五年前の出会い、五年間の孤独、そしてここ数日の様々な出来事が一気に溢れ、リザはもう心に蓋ができない。
「なぜ今になって私の前に現れたの⁉︎」
「リザ……」
「私はとっくに自分に見切りをつけたのに。今更私を助けようとするなんて!」
再び出会ってしまった。
「リザ」
「教えて。あなたは私をどうするつもり?」
それが一番聞きたかったことだった。
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