第30話29 裏街道の拐引 3

「ぎゃあっ!」

 バルトロは思いがけない攻撃に、背をのけぞらせて乾草の山から転がり落ちた。その隙にリザは積んだ草の天辺てっぺんまで逃れ、口に食い込む布を取り去る。

「このあま! つけ上がりやがって!」

「来るな!」

「うるせぇ! 顔をズタズタにして最下層の娼婦にとしてやる!」

 逆上したバルトロは肩に刺さった小刀を引き抜き、乾草の山をよじ登る。傷口から血があふれたが、興奮しきっているのか大して痛くはないらしい。骨に当たって深く刺さらなかったこともあるのだろう。

 しかし、男の体重で草は深く沈み込み、滑り落ちてなかなか難儀している。その間にリザは乾草の山から倉庫の屋根に逃れようと必死でよじ登った。

「ああっ!」

 屋根はそんなに高くはないが足場が不安定なため、リザがなかなか乗り移れないでもがいていると、ようやく追いついてきたバルトロがベルトに手をかけた。

「うらぁっ!」「きゃああ!」

 激しい勢いで引きずり下ろされ、そのままあおのけに放り投げられる。リザの軽い体は弧を描いて宙に飛んだ。


 ああ、私このまま落ちるんだ……。

 死ぬのかな? 死んでもいいかな?


 視界いっぱいに広がったのは空だ。

 青くどこまでも続く空。

 リザの見たことのない世界までつながっているはずの。


 ……いいえ!

 私はまだ死にたくはない!

 あの方に言ってやりたいことがある!

 

 生きようとする本能でリザが体を丸めた時、落下の衝撃ではない、何か硬いものが柔らかく彼女を支えた。

「……?」

 恐る恐る目を開けた時、リザが見たのは空ではない。

 光の強い緑色。

「リザ」

「……え?」

「リザ、大丈夫か?」

 自分を覗き込んでいる男はそう言った。

「エルランド様!」「あるじ様!」

 周りに男達が集まってくる。いずれも騎馬だ。そして自分も馬の上にいることに、リザはやっと気がついた。

「……わ、わた、私は……」

「話は後だ。ザンサス! ランディー! カタナ! 戦闘態勢!」

 エルランドの指示よりも早く彼らは動き始めている。次々に馬を降りると、剣を抜いて倉庫の入り口に向かって駆け出していった。

 突然現れた騎馬に驚いたバルトロは、大声で仲間を呼んだ。

「お前ら出てこい!」

 ならず者達はすぐにばらばらと飛び出してきた。

 外のただならぬ様子に聞き耳を立てていたのだろう、既に手に手に得物を持っている。明るいところで見ると、男達は皆ごつい体つきで、荒ごとに慣れた連中のようだった。

「これはこれはご立派な騎士様達だ」

「ちょっと貧乏臭いがな」

「ちげぇねぇ!」

 ならず者達は柄悪く笑った。自分たちの腕前と数を頼んでいるのだろう。彼らは十二、三人、対してエルランド達は四人である。

 男達は皆、腰を落とし、臨戦姿勢をとって睨み合った。

「リザ、これを」

 エルランドは上着を脱いでリザに巻きつけると、そのまま彼女を抱えて馬から下りた。

「こいつの影に隠れていろ。頼むぞアスワド」

 最後の言葉は馬にかけられたものだ。それからエルランドは不敵な足取りで対峙する男達の間に向かって行く。

「さぁ、誰から斬られたい?」

 その言葉が戦いの合図となった。

 エルランドの近くにいた二人の男が両側から斬りかかる。金属がぶつかり合う鋭い音が街道に響いた。

「あああっ!」

 馬から顔だけ出していたリザの目に映ったのは、空を背景に鮮やかに飛沫をあげる赤。

 同時に耳を塞ぎたくなるような苦鳴が上がる。静かだった裏街道は、たちまち男達が激しくぶつかりあう戦場と化した。

「……ひぅ」

 リザは息を飲んで見つめている。

 ならず者達はかなりの場数を踏んでいるようだが、騎士達の動きはそれを上回るようだった。中でも特に目立つのがエルランドの剣さばきである。

 無駄がないのだ。

 戦いなど、物語の世界でしか知らないリザにもそれはわかった。

 彼は相手がどこを狙ってくるのか、わかっているように戦っている。力の差がありすぎる相手には、一合と受ける事なく利き手の筋を斬り、武器を持てないようにしていった。聞き手の太い血管を切られた人間は、必ずもう一方の手で傷を押え、戦意を失う。

 エルランドの周りにはそんな男が増えて行く。

 他の騎士たちも優位な体勢で一人ひとり敵を倒していった。

「てめぇら引け! でねえと、この娘の喉を掻っ切るぜ!」

 いつの間に倉庫の中に入っていたのか、バルトロはニーケを引きり出していた。背後には二人をだましたジャーニンもいる。彼は背後からニーケの喉元に短剣を突きつけていた。

「ニーケ!」

 リザが思わず飛び出る。

「来るな!」

 エルランドに怒鳴られたが、リザには聞こえない。ニーケはたった一人の友人であり、孤独なリザにとって家族も同様なのである。

「リザ!」

 エルランドがリザの前に立ちはだかったわずかな隙をついて、まだ立っていた男の一人が素早く斬りかかった。エルランドは素早く身をかわすが、刃の先が二の腕を掠め上着が裂かれる。

 男はその勢いのまま、リザに迫った。手には血に濡れたやいば

「……ニーケッ!」

 リザの足は止まらなかった。

 男は弱々しい獲物に、にやりと笑って二人目の人質にしようと狙いを定める。しかし、エルランドの方が早かった。

 彼は流れるような足捌あしさばきで間合いを詰めると、男の背中を斜めに割った。血飛沫ちしぶきを上げ、ものも言わずに倒れた男を振り返りもせずに、彼はリザを抱き留めた。

 次の瞬間、ニーケの喉に刃を突きつけていたジャーニンも、前のめりに崩れ落ちる。その後頭部から拳大こぶしだい石礫いしつぶてが転がり落ちた。そして目を剥いたバルトロの目の前には、エルランドの大剣があった。

「ひぎゃっ!」

 ごつりと嫌な音がして、バルトロも昏倒こんとうする。エルランドが大剣の柄頭で彼の前頭部を殴ったのだ。

「お頭!」

 首領が倒れたのを見て、残る数人の男たちは明らかに動揺していた。それを見逃す騎士達ではない。

 捕縛はあっという間だった。

「エルランド様! お怪我は?」

 倉庫の屋根から滑り降りてきたセローが主人に駆け寄る。さっき、ジャーニンに石礫を投げたのが彼だったのだ。

「かすり傷だ。それよりもセロー、ニーケ殿を頼む。あとの者は、こいつらを縛り上げ、倉庫に監禁しておけ。俺が街道の守備隊に連絡する。ハーリの村に集合だ!」

 ふと目にとめたのは地面に転がった小刀である。刃の先には血がついていた。エルランドはその辺の葉っぱをちぎって刃をぬぐった。

「すまんが俺たちは先に行く」

 エルランドはそう言い捨てて、立ち尽くしているリザを抱き上げると、一気に馬上の人となった。


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