第19話18 偽りだらけの再会 1
「ご主人、こちらのお嬢さんが足を痛められたようなので、医者を呼んでいただけますか?」
セローが愛想よく主人に頼んでいるのを、リザは夢の中での出来事のように聞いていた。
「リオ……リオ! どうしたの⁉︎」
焦った声でリザは我に返る。ニーケの茶色の目が心配そうに自分を覗き込んでいた。
「え? ああ……えっと」
「こちらの方がお医者を呼ぶって……」
「え⁉︎ いえ! お嬢様は僕が見ます!」
振り返ったセローへ、リザは大きくかぶりを振った。
「お嬢様をお部屋に運んでいただければ、あとは僕がお世話するので!」
医者ともなれば、役所から出回ってきた捜索願いを見ているだろう。
診察される部屋の中で帽子を被っているのも変だし、万が一にも似顔絵とリザが似ているなどと思われたら、逃亡はそこで終わりだ。
「そうかい? とにかくお嬢さんを休ませなくては、ご主人、冷たいお水を届けてもらえますか?」
どことなく緊張した空気を読んで、セローが提案する。
「承知いたしました。では、ご案内いたします」
主人の案内でセローがニーケを抱えて階段を上る。慌ててリザも後を追うが、今更ながら足が震えていることに気がついた。思わず手すりにしがみつく。
「大丈夫か?」
背中に聞こえる低い声がリザの
たった一晩だったが、怯えるだけの子どものリザを優しく包み込んだ声。
繰り返し思い出す中で、声はどんどん象徴化されていったが、確かにこの声だった。
あの、声だ。
どうして今まで気がつかなかったんだろう。なんでこんなことになってしまったの?
この人は私と離縁するために、ここまでやってきたと言うのに!
偽名を名乗っているのは、自分と同じように身分を隠すためだろうか。なんと言う運命の巡り合わせか、旅の空の下、二人は再び出会ってしまったのだ。
「膝が痛いのだろう? 肩を貸すか?」
「いえ、だ……大丈夫です」
できるだけ声を抑えてリザは言った。
大丈夫。私だとは絶対にわからないわ。
男の子の格好だし、帽子も被っているのだから。
大丈夫、絶対に大丈夫!
リザにだって誇りがある。
自分が、かつて置き去りにされ、今また見捨てられようとしている妻だとは、エルランドに絶対に知られたくなかった。
その
用意された部屋は階段の真横にあった。
扉が開けられている。セローの配慮だろう。ニーケは寝台に座らされて、セローが具合を確かめていた。リザが入るとニーケは泣きそうな顔でこちらを見た。
「リ……リオ」
「痛みますか?」
明るい場所であらためて見ると、靴下を脱いだ足首は驚くほど腫れ上がっている。非常に痛そうだ。
その時水が届けられ、セローはゆっくりニーケの足首を桶に浸した。
「本当に医者を呼ばなくて大丈夫ですか? これは相当痛むと思いますよ」
「だ、大丈夫です。お水につけると楽になりました」
ニーケが必死で笑顔を取り繕う。
「でも」
「金か?」
「……」
リザは背後からかけられた声に、振り返る勇気がなかった。
エリツはエルランドなのだ。しかし、絶対にそれを指摘してはならない。
彼はもうすぐリザの夫ではなくなる。再婚を嫌がって王都を逃げ出した自分が、どんな顔をして彼に対峙していいのかもわからなかった。
しばらく部屋は気まずい沈黙で満たされたが、やがてエルランド──エリツは言った。
「セロー、薬を」
「はい」
セローはきびきびと部屋を出て行き、すぐに薬入れと
「お嬢さんは俺が手当てをするのがお嫌でしょうから、坊やがやってくれ」
「はい」
リザは言われた通り、清潔な布に湿布薬だと言う、変な匂いのする薬を塗り付け患部に当てると、上から包帯を巻いていく。包帯はきつめに巻くようにとのことだったが、足首には角度があって、リザにはうまく巻くことができない。もたもたしていると、横から腕が伸びた。
「こうする」
エリツは器用にするするとニーケの足首に巻きつけていく。セローは主人のすることに口を挟む気はないらしく、後ろに下がって眺めていた。手際のいい作業のおかげで、ニーケの足首はたちまちかっちりと固定された。
「次は君だ」
リザの膝に滲んだ血を見てエリツは言った。
「足を出しなさい」
「え? いえ! 僕は大したことありませんから」
「でも、傷は洗った方がいいですよ」
セローも口を出す。
「後で、洗います。大丈夫です! もう痛くないし」
リザが全力で辞退するのをセローは不思議そうにしていたが、エリツはそれ以上追及しようとはしなかった。
「そうか。では休んでいなさい。後で軽い食事を運ばせる」
「お大事に」
二人の男が出て行った後、リザは崩れるように床にへたり込んだ。
「リザ様!」
「……大丈夫よ、ニーケ」
大丈夫。今夜何度その言葉を呟いただろうか? しかし、本当は少しも大丈夫ではなかった。
もうくたくただった。
体も疲れていたが、心はもっと疲弊していた。エリツがエルランドだと気がついてからは緊張の極みに達していたのだ。
記憶にあるよりも伸びた鉄色の髪に、一層逞しくなった体つき。勇気がなくて顔はよく見られかったが、よく光る金緑の瞳は、思い出の中のあの人と全く同じだった。
彼はまだリザの夫なのだろうか? それとも最早他人なのだろうか?
心の内を吐き出したい。
しかし、こんな状態のニーケに話す訳にはいかなかった。
私……私は、どうすればいいの?
彼が出て行った扉を
ただ一つ確かなことは、彼に捨てられた妻が自分だと、気づかれてはならないと言うことだった。
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