第20話19 偽りだらけの再会 2

「そんなにあの二人が気になりますか? エリツ様」

 セローは夕飯を前に考え込んでいるエルランドに話しかけた。

 宿の一階にある食堂は、遅い時刻が幸いして彼ら五人だけだ。好きなように話ができる。

「……いや、そう言うことではないが」

「明らかに訳ありでしたもんね」

 セローはにやりと笑って言った。

「お前はどう見る?」

「ま、どっかのお屋敷から逃げてきた、お嬢様と言うところでしょうか?」

「足を痛めた娘のことか?」

「違いますか? いわゆる駆け落ちってやつかと思ったのですが。あの坊やにしろ、なんだか雰囲気が妙に浮世離れしていると思いませんか?」

「……」

 エルランドは否定も肯定もせずに考え込んだ。

 ニケと呼ばれたあの娘は、従者の少年ばかりを気にしていた。少年も女主人に絶えず視線を送っていた。だからと言って、二人は恋愛関係にあるのかと言うと、そんな雰囲気は感じられなかったのだ。

「あの少年……リオと言ったか……最後まで帽子を取らなかったな」

「それは俺も気づきました。まぁ駆け落ちだったら、顔を隠したがるのも仕方ないかと思ったのですが」

「それなら娘の方も顔を隠すだろう」

 それに馬に乗せてやると言ったら、怪我をした身なら普通は応じるものだ。しかし、少年は申し出を断ったのだ。明らかに疲弊ひへいしきっていたのに。

 体を引っ張り上げた時、あまりの軽さと手首の細さに驚いた。主人である娘の方が体格がいいくらいなのだ。


 それに当然と言えば、当然なのかもしれないが、はっきりわかるほど、俺を避けていた。

 

 エルランドは少年の一挙手一投足を思い返していた。

 セローには普通に接していたが、自分の方はまともに見ようともしなかったのだ。

「食べないですか? だったらそのかも、俺がいただきますが」

 無遠慮に皿を奪い取ろうとするセローの手をはたき落とし、エルランドは再び階段の上を見上げた。

「肉はやる。その代わり後で様子を見に行ってくれ」

「承知いたしましたー」

 セローは気軽に受け合い、エルランドからもらった鴨肉にかぶりついた。


「こんばんは。入ってもいいですか?」

 遠慮がちなノックの後にセローの声がする。リザはニーケに頷きかけ、帽子を被ってから扉を薄く開けた。

「はい」

「お休みのところすみません。エリツ様から様子を見てくるように言われてきました」

「……」

 リザはしばらく考えていたが、意を決して彼を中に入れることに決めた。

「どうぞ」

「失礼します。遅くに申し訳ありません」

 時刻は九時を過ぎたところだ。リザもニーケも着替えをすませ、もらった水で体を拭いてさっぱりしている。

「あ、お食事食べられたのですね。よかった」

 セローは空になった皿が置かれたテーブルを見て言った。

「どうぞお座りください」

 椅子は二つある。ニーケは寝台に横になっているので、リザとセローは向かい合って座った。

「お嬢さんの具合はどうですか?」

「かなり良くなりました。お薬のおかげです。これなら明日は出発できそうです。ありがとうございました」

「それは多分無理ですよ」

「え⁉︎ どうしてですか?」

「捻挫ってのは結構厄介なんです。それにお嬢さんのはかなり重傷だ。今は薬で痛みが引いてるだけで、無理に動かすと長引きますし、後々故障になるかもしれません。悪いことは言いません。二、三日ここでゆっくりするのが良いかと」

「そんな!」

「都合が悪いのですか?」

 二人の悲痛な顔つきに、セローは驚いた風を装って尋ねた。

「お金が……」

 リザはとっさに嘘をついた。

 いや実際に、路銀は昔エルランドがくれた金貨の最後の一枚と、市場で花を売ったもうけの一部しかないのだから、全くの嘘ではない。金貨は最後のり所だったから、おいそれと消費するわけにはいかないのだ。

「あなた方はこれから王都に向かうのでしょう? だったら、俺たちと一緒に行きますか? そうすれば馬に乗せてあげられるし、用心棒にもなりますよ。あなた方二人だけではとても心許ない。我があるじも気にかけておられました」

「いえ、私たちは王都には参りません。お嬢様の親戚の家に行く途中なのです」

 リザは用心深く言った。

「失礼ですが、そのお宅はどちらに?」

「ここから東へ、後一日くらい歩いたハーリという村です」

 答えたのはニーケだ。

「それなら、俺たちが帰るまでこちらに逗留なさっては? 俺たちはこれから王都に行きますが、そんなに大した用事でもないので、二、三日で戻れると思うのです」

「……二、三日? 大した用事ではない?」

 リザは鋭く聞き返した。

「ええ、王宮に書類を一枚提出するだけの簡単な案件なんで。一日王都を見物して土産でも買ったらすぐに戻ります」

 セローは軽い調子で説明したが、それがリザにどんな作用をもたらしたのか知る由もない。

 リザは帽子の下で顔色を無くしていた。リザの心を打ち砕いた出来事は、エルランドにとっては「簡単な案件」なのだ。

「それは……エリツ様のご用事ですよね?」

「ええ」

「あの、大変失礼なのですが、どんなご用事か伺ってもいいですか? いえ、僕は王宮に知り合いがいるので気になって……ほら、王宮って人を待たせるのが好きですし……」

 どうしてそんなことを聞く気になったのかわからない。しかし、その時のリザは咄嗟とっさに下手な嘘をついてまでも、エルランドの目的を確かめたかったのだ。

「ああ、主は何年も会っていない奥方様と、ようやく決別されるそうなんです。おっと、俺がこんなこと言ったのは内緒にしてくださいね。もっとも俺の国元じゃあ、みんなが知ってることですけど。じゃあ、おやすみなさい」

「……」

 リザは椅子に座っていてよかったと思った。立っていたらきっと倒れてしまっていただろう。


「リザ様……もしかしてあの方は……リザ様の夫様ですよね?」

 ニーケは、かつてリザを離宮に送ってくれたエルランドを見たことがあるのだ。

 怪我の痛みで最初はわからなかったが、包帯を巻いてもらった時見た顔と、ただ事ではないリザの様子で全て察したようだった。

「そうよ。あの人は私の夫」

 リザはニーケに顔を見られないように立ち上がりながら言った。

「やっぱり! 一体どうしたら」

「ふふふ……なんて偶然かしら! 五年前に一度きり会っただけで、もうすぐ離縁される人と、こんなところで出会ってしまうなんて」

 リザは努めて明るく言った。

「偶然? 運命では……」

「ニーケ。その話は今したくないわ。あなたも疲れているから今夜はもう寝ましょう」

 そう言って、リザは向かい側の寝台に潜り込んだ。

「リザ様……」

「私は大丈夫よ。今更私に失うものなんてないわ。さ、ランプを消すわよ」

 リザはランブを絞った。部屋はすぐに暗くなるが、扉の隙間から階下の明かりが漏れてきている。

 絶対に眠れそうにないのがわかっていたので、リザは物音に耳を澄ましていた。しかし、何も聞こえてはこない。

 ニーケもしばらくは起きていたようだったが、今は吐息が深くなっている。彼女も疲れているのだ。なんと言っても、一日でこんなに歩いたのは二人とも初めてだった。

 そして深更しんこう

 重い靴音が複数階段を上がる音が聞こえてきた。靴音は複数で部屋の前を通り過ぎたが、そのうちの一つだけが扉の前で止まる。

「……?」

 リザは息を殺して扉の外の気配を探った。

 たっぷり呼吸五つ分の間が過ぎた後、足音はゆっくりと廊下の奥へと消えて行った。

 なぜだかリザには、それがエルランドだと言う確信があった。


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