第10話 9 私にできること 1
あの夜から五年。
リザは十九歳となった。
相変わらず、白藤宮でニーケと二人で暮らしている。
この間に二つの変化があった。
一つは兄王、ヴェセルから月に一度の割合で使者が寄越され、安否を確認されることだ。
使者はリザと話そうともせず、古い衣類や、食べていける程度の銀貨を数枚置いて去っていく。
しかし、何か──手紙や贈り物を持ってきてくれることはない。
エルランドからのものは一度も、何ひとつ。
──そう。
あの夜、男は言った。
『毎年、イストラーダから贈り物をしよう』
しかし、実際には品物はおろか、手紙の一通も来たことはなかったのだ。
五年前、彼が去る時、リザに数枚の金貨と、ごく小さな
木製の
『すまない。今はこれだけしか、あげられるものはないんだ。金貨は好きなように使ってくれ。そしてこの小刀は死んだ俺の父が作ってくれたものだ。リザはこんなもの使ったことがないかもしれないが、これは役に立つ道具だ。できたら持っていて欲しい』
そう言って、彼はリザの掌の上に小刀を残し、まだ見ぬ自分の領地へと去っていった。
一団の出発をリザは見送ることもできなかった。全て離宮の外で行われたことだったからだ。
そしてもう一つの変化とは──。
「ニーケ。オジーはまだ来ないの?」
「もうすぐだと思います。今日はお城の前庭の樹木を
オジーは今や立派な庭師である。
今でも何くれとなくリザ達の世話を焼いてくれるが、リザにも自分でできることが増えた。
「じゃあ、今のうちにこの花を切って水につけておきましょう」
リザは離宮の庭園に咲き乱れる花を見渡した──いや、もうそこは、王宮の裏庭ではなかった。
リザの庭である。
五年前、エルランドにもらった金貨の一部を使って、リザはオジーの祖父に外国の珍しい花の苗を仕入れてもらい、自分で育てることにしたのだ。
外国の花を育てるのは非常に難しかったが、手がかりは昔、父王にもらった植物に関する本だった。
母が庭園の下働きで花が好きだったため、父が贈ってくれたのだ。たった数冊だけだったが、リザは図解入りのその本が非常に好きで、いつかは自分で外国の花を見てみたいと思っていた。
離宮の
三年目には株が増え、四年目にはたくさんの花が咲き乱れた。そして、リザはその花を王都の小さな市場で売ることにしたのだ。
もちろん世間知らずのリザが町の市場に乗り込めるものではない。
オジーの祖父が代わりに出店申請をして店を出してくれたのだが、意外にも店は次第に繁盛し、市の立つ日には売り切れることもあるくらいになった。
店を出せるのは月に一度が精一杯だったが、リザは辛抱強く株を増やし、手軽に買える切り花にも力を入れた。
儲からなくてもいいと言う気持ちで安く始めたのが良かったのか、今では注文が来るまでになっている。しかも、その客は王宮に花を卸している花商人の下請けだと言う。
つまり、今王宮を飾る花の一部は、リザが育てたものなのだった。
そしてリザは最近になってこっそり王宮を抜け出し、自ら市に立つようになったのだ。これが二つ目の変化だった。
少しでも自分の世界を広げたい、その強い思いからだ。
王宮の小門から抜け出るのは拍子抜けするほど簡単だった。
広い王宮をぐるりと取り囲む城壁にはいくつか門があり、リザは召使や商人用の小さな門を使う。そこを守る衛兵達は誰も、見すぼらしい服の小娘など気にかけなかった。彼らはリザの顔も知らず、下働きの小娘がお使いに出るくらいにしか思っていなかっただろう。
こうしてリザの世界は広がった。
あまり人の多い場所は
初めて王宮を抜け出した時、リザは世の中にはこんなにも多くの人がいたのかと、ただただ驚いていた。
東の市は中央市場ほど大きくはないが、それでも初めて見る店や品物にリザは圧倒され、外に出た時間は短かったのに、その夜は熱を出して寝込んだくらいだった。
それからも、慎重に日や時間を選んでリザは市場に立った。
もちろん表に立つのはオジーやニーケだが、リザは何もできない自分から抜け出そうと必死に、世間のことを学んだ。
金銭の感覚や人とのやり取り、駆け引き。仕事の大変さ、充足感。どれも今まで感じたことのない感覚ばかりだった。
ちっぽけな離宮から殻を破って見た風景。けれどそれすら世界のごく一部だということを、リザはまだ知らない。けれど、もう引っ込んではいられなかった。
「明日の市には、たくさん花を出せそうね」
リザはそう言いながら小刀で花の茎を切っていく。
刃は小さいが、鞘に細かな彫刻が施してある。リザの宝物だ。
道具として使うように、と彼は言ってくれた。
しかし、リザはとっくに気がついていた。
──自分の夫に二度と会えないということを。
『俺がイストラーダをいつか完全に掌握することができたなら、迎えに来る』
そんな日は来ることはない。
自分は捨てられた花嫁なのだ。
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