第30話『ほんの少しの変化』
顔面蒼白。周章狼狽。
そんな言葉では足りないほどの動揺と混乱と、酷い後悔。
十年前の俺が苛立ちをぶつけた女の子がまさか才明寺だったとは。
いや、相手が才明寺で無くても許されることではない。
『子供がしたこと』でも許されることと許されないことがあるが、間違いなくこれは後者だった。
嫌な汗が皮膚のそこら中から吹き出る。
早く、早く、才明寺に謝らなくては。
あれは……あの時の子供は俺だったんだ、と。心無い言葉をぶつけてすまなかった、と。
でも一向に俺は口を開くことができなかった。
十年。
人を偽ることを続けていたのに、どうして今更、本心を話せるようになれるか。だってこれは単なる世間話の延長戦の話題ではない。才明寺の価値観の根っこを傷つけたことへの謝罪。その謝罪をどうにか口にして、もし祐生は一体どういう病気だったのかとか深く掘り下げられるようなことがあればもう何も答えられない。
『常人には見えないもの』から呪われたなんて口が裂けても言えない。
それに、どうにも、才明寺もその手の話題を好まないのも知っている。……多分、十年前の件が原因かもしれない、けど。
俺の一言が才明寺の価値観にも大きな影響を与えている。それを思い知ってしまったらもう迂闊に声が出てこなかった。
でも、早く、早く謝らないと。
喉が乾いて、声帯が引っ付いたしまったのような。それくらい不自然なほど、声が出せそうになかった。
だけど俺が口を開くよりも早く才明寺が口を開いた。何処か遠くを見ながら「あの赤ちゃん、病気治ったのかな」と小さな声で呟く。
才明寺。お前って本当に良いヤツだな。
きっと、この場で謝れればどんなに良いだろう。
俺は、お前と違って、良いヤツではないんだと臆病さが口を塞ぐ。
自分の非をお前に話せない最低なヤツだ。
それでも俺は何とか精一杯の声で「ごめん」と呟く。何とも掠れた雑音のような声だったが、才明寺の耳には届いたようでこちらを見て苦笑する。
「別に柵木が謝るような話じゃないって」
そう笑うと、才明寺は「何か話せてすっきりした」と両腕を大きく上へ上げて背筋を伸ばす。
違う、そういうことじゃない。
そうじゃないんだ。
でも喉がカラカラになって声は出ない。
何か、何か言いたかった。
才明寺のしていることは決して詐欺の片棒ではないということをわかって欲しかった。お前はこんなにも凄いのに、それをどうやったらわかってもらえるのか。
今更、俺に謝られたところで才明寺が幼い時に受けた傷は消えないのだろうけど、せめて今していることをほんの少しでも好意的に思って欲しい。
そしたらきっと、伯父さんから電話がある度に罪悪感に苛まれるようなことがなくなるのに。
そんな自分勝手なことばかり考えていると、才明寺は腕を回したりして身体を解すと「じゃあ私そろそろ戻るから」と呟く。
今、此処で別れたら、何となくもう二度とこの話題には触れられないような気がした。俺だってできればこれ以降二度とこの話題に触れたくないし。
でも、それじゃあきっと駄目だ。俺は慌てて「才明寺」と歩き始めた才明寺を呼び止めると、才明寺はあっさりと足を止めて振り返ってくれた。
「何?」
「あー。えっと」
「何よ」
「その」
「何?!」
「……プラシーボ効果っていうのがあるんだけど」
もっと良い話し出しがあるだろ、どうしてプラシーボ効果を選んだんだ、俺。
才明寺も、プラシーボ効果について知らないようで、「えっ、プラ? え?」と頭の上に幾つも『?』を浮かべている。本当にすまん。
雑な話題選びに俺は後悔しながらも足を止めた才明寺を行かせまいと、何とか話を続ける。
「偽薬効果とも言える」
「ぎやく?」
「医者が患者に効能がないものを薬だと説明して処方することがあるんだ」
「効果がないのに、処方する意味がわからないんだけど。それって嘘をついてるってこと?」
「実際に効能がないただのブドウ糖の塊でも、医者から『これは効果がある』と言われたら飲んでいる方も効果があるんだろうと思う。そう思い込むことで、症状が改善する事例は案外少なくない」
「不思議ね……」
俺の話を聞きながら才明寺は感心する。
「でもこれってお前がさっきまで手伝ってたお祓いにも言えることじゃないか」
「!」
才明寺は目を見開く。驚いているようなそんな顔だ。
「この世にある『
あれは断じて詐欺などはない、ということをわかって欲しかった。
俺が関わってきた一種の『病』も病院では治癒に至らなかったのだから。
納得できないかもしれない。納得しなくても良い。ただ、そういう『治療』があることを知ってて欲しかった。
俺は果たして上手く説明できたのだろうか。
俺は窺うように才明寺を見る。
才明寺は肩をすくめて俺を小馬鹿にしたように笑う。
やっぱりこの瞬間に才明寺の認識に変化をもたらすには至らなかったか。
才明寺は乱雑に髪留めを外すと俺の顔目掛けて投げつける。俺は避けるのも間に合わず顔面で髪留めを受けて当たった箇所を手で押さえる。
「痛えな」
「柵木が変な顔してるからよ。何真剣に語っちゃって」
才明寺は笑いながら地面に落ちた髪留めを拾う。そのとき、才明寺がしゃがみながら「ホント何語っちゃってるのよ」と小さく呟くのが聞こえた。そう呟く彼女の表情はわからなかった。
今の話は才明寺の気に障っただろうか。
でも今も昔も助けられた身としては、『本当に助けられた人間』の存在を知っていて欲しかったから。
不安に感じつつも俺は才明寺にこれ以上何と言葉をかければ良いか困惑していると、才明寺は勢いよく立ち上がる。
その顔は、気のせいか、さっきよりほんの僅か晴れやかになっているように見えた。……それとも俺が単にそう思いたいだけだったのか。
「正直、私は私のやっていることをこれからも疑っていくんだろうなあって思ってる。十年間疑ってきたんだもの、これからも絶対疑っていく自信があるわ」
「……なんだ、その自信」
「でも! ……でも、ちょっとだけ、後ろめたさが減った気がしなくもないわ。ありがと、柵木」
才明寺はそう言うと、まるで放課後の勉強会で見せるような顔で笑った。
そこにはきっといつもの俺がよく知る才明寺稀がいた。
俺は本当のところ感謝される立場にはいないことをよく知りながらも、それでも「どうしたしまして」と少しぎこちなく返事をした。
「ねえ、柵木。この後時間は? 何か予定あるの?」
才明寺はまるで教室でもいるような様子で問いかける。その言葉に、俺は本来の目的である祖母ちゃんの誕生日プレゼントの買い物を思い出す。
まだ昼だし時間的な余裕はまだまだある。
俺は才明寺に、この後祖母ちゃんの誕生日プレゼントを買いに行く用事があると説明すると「じゃあ私も一緒に行くわ。手伝いはもう終わり出し」と提案してくる。
……正直、俺ではどういうものを選んで良いかわからない。
女子の意見は有難い。
その後、まるでいつもの放課後のような空気で、俺と才明寺は目的のショッピングモールへ向かった。
無事に目的の日傘を買えた俺は建前上プレゼント選びのお礼と称して、本当は心に膨れ上がった罪悪感を少しでも払拭したくて昼食にハンバーガーを奢った。
才明寺は嬉しそうにハンバーガーを頬張っていたが、それでも結局俺の中で罪悪感は減るどころか積もっていくばかりだった。
あと滅茶苦茶能天気にハンバーガーを食べているところに水をさせなかったが、こいつ、来週試験用紙の返却あるの、覚えてるんだろうか。
……そっちの苦労はまだまだ続くんだろうな。
俺はそんなことを考えながら来週またグロッキーになるであろう才明寺の姿を容易に想像できてしまい、どうしたものかと少し呆れた。
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