第18話『燃え尽きて』
どうやらこの『
それを実感する一日になった。
もうすっかり遅くなってしまった。
時間は既に八時を過ぎており、学生の姿よりも仕事帰りの社会人の姿が目立つ。
そんな中、高校生になったばかりの女子を連れ回してしまった事実に罪悪感があったが、それ以上、結局のところ才明寺を騙してあの公園に連れて行ってしまったことへの罪悪感の方が遥かに上回った。
何やってんだ俺は。
そう思うのと同じくらい、俺は才明寺稀という才能に感動し打ち震えた。
公園で火花を纏っていると思えるあの光景は、嫌いな言葉だけれど『奇跡』のような瞬間だった。
……入試といい、今回といい、どれだけ奇跡を引き起こすんだ。『稀』は、珍しいとか滅多にないとか言う意味があるが正にその通りだ。才明寺の名前を考えたのが両親か別の人かはわからないが、これだけ的確な名前もそうはいないだろう。
きっと名前を考えた人には、先見の明があったに違いない。
俺は改めて才明寺の凄さを思い知った。
「悪かったな、今日は付き合わせて」
俺は隣りに立って電車を待つ才明寺に声をかける。
「その上こんな遅くなって……。親に怒られるとかある?」
「遅くなるって連絡したし大丈夫」
「でも帰る頃には九時過ぎるだろうし、家まで送る。親に怒られたら俺が謝るから」
「柵木って真面目過ぎだね」
「普通だろ」
俺は平然とそう言い返す。
が、内心困惑する。
正直まともな友達付き合いとは縁遠い小学生と中学生時代を送ってきた俺に、今更女子との距離感がわかるはずもない。こうするべきなのだろうと思うが、実際は才明寺の言う通り、真面目が過ぎる、という可能性は多いにある。
まるで俺を茶化すようにけらけらと笑う才明寺に、少しばかり、腹が立ったがそれ以上に今日の衝撃が強すぎてすぐに苛立ちが引いていく。
「才明寺、今日はまじでありがと」
俺は気を取り直してそう言うと、才明寺はさっきとは雰囲気の違う笑みを浮かべて「どういたしまして」と呟いたが、その後にも何か呟いたようだったが、直後にやってきた通過する電車の音のせいでちゃんと聞き取れなかった。
***
時は数学の小テストの直しを一緒にしてもらおうと、土曜日の放課後秀生に声をかけたものの置いて行かれた後に遡る。
稀ががっかりとしていると、
貴水は稀に驚くべき話を披露したのだ。
「そういえばさあ、柵木くんって今年こっちに戻ってきたみたいだけど、昔はこの辺りに住んでいたらしいね。バスケ部の部員が言ってた」
「へえ」
春に越してきたという話は先日聞いていた稀だが、以前こっちに住んでいた話は初めて聞いたので素直に驚く。
言ってくれれば良かったのに。
内心稀が少し拗ねていたが、それを他所に貴水は続ける。
「そいつが言うにはちょっとした有名人だったらしいね。『幽霊』が見えるって噂されてたんだってさ」
「……」
貴水の言葉に稀は顔を強ばらせる。
稀の表情の変化に貴水は気が付いたようで、稀を小馬鹿にするように笑う。
「ある意味お似合いだな、お前ら」
貴水の言い方に稀は此処最近は感じていなかった苛立ちを感じて貴水を睨む。
貴水は稀の苛立ちを確認すると、へらっと軽く笑って謝る。
「冗談だって。ごめん、言い過ぎたな。新しい環境で新しく顔を合わした人がいっぱい居て前から知ってるヤツと軽口叩き合いたいなあって思ったんだ。ホント悪かったよ」
そう言って両手を顔の前で合わせる貴水。
稀はそんな貴水を無視して自分の席に戻る。と、何故か貴水も着いてくる。
内心着いてくんな、と思うが何を言ってもこの男には無意味であることを、稀はこれまでの付き合いで理解しているから何も言わない。
稀が席に付くと、何故か貴水はもう既に帰ってしまって空いている稀の前の席に座ってこちらに向き合う。
「何よ」
「才明寺だけじゃあそれ直せないだろ? 時間あるから教えてやるよ」
そう言うと、貴水は稀が間違った数学の問題を見る。
今回は因数分解だ。xとyが入り乱れて、稀にはもう意味が不明だ。
貴水は順々に、正しい式を呪文のように唱える。
稀は尺ではあるが、帰るためには仕方がないという気持ちでそれを赤いペンで綴っていく。
だけど貴水は正しい式を教えてくれても、何故そうなるのかは教えてくれない。
「ここの部分、どうしてこういう括りになるの?」
稀が訊くも貴水は怪訝そうに「そういう決まりだから」とだけ言う。
その答えに稀はモヤモヤしながら、取り敢えず最後まで貴水の唱える呪文地味た数式の羅列を黙って書き記す。
そして最後まで埋めると貴水は「わかった?」と確認するが、稀は冷ややかに貴水を見る。
「全然わかんない。柵木なら、さっきのとこもどうしてそういう決まりなのかちゃんと教えてくれるもの」
そう言い放つと、稀は貴水を放ってさっさと教室を出てしまった。
本当に嫌なヤツだ。
稀は教室から急いで離れながらも、貴水の言葉を思い出す。
「『幽霊』が見えるって噂されてたんだってさ」
その言葉が離れなかった。
凄く、嫌な気分になった。
稀は土曜日の出来事を思い出しながら、隣りで共に電車を秀生を見る。
彼の、前髪に少し隠れる目尻は赤くなっていて、まるで泣いていたようだと稀は思った。
土曜日から、何だか様子がおかしい気はしていたが、その理由を稀がわかるはずもない。何故か貴水の言葉が鮮明に思い出されて、折角楽しい花火大会だったのに、嫌な気分が混じってくる。
そんなとき、柵木がぼそりと呟くように口を開く。
「才明寺、今日はまじでありがと」
秀生の声は何処か震えていた。
稀は少し困惑しつつも「どういたしまして」と返す。
「……柵木が満足したならそれで良いよ」
そう続けるけれど、その瞬間、電車が目の前を通過していく。
もしかしたら今の声は届かなかったかもしれないと稀は思ったけれど、もう一度言い直すことはしなかった。
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