第17話『今際の時は美しく』

「突然過ぎて……理解が追いつかないんだけど?」

「それに関しては正直悪いと思ってるけど、急にどうしても、って時があるだろ? 発作みたいな感じでさ。今正にそれなんだ……多分」

「えぇ……」

 俺の言葉に才明寺は呆れながらも後に付いて来てくれる。


 あの後小テストの直しを終わらせると、俺は半ば才明寺を言いくるめて電車で隣りの市まで来ていた。

 俺が、花火をしよう、と誘ったのだ。才明寺はこの誘いの『本当の目的』を知る由もなく連れてこられた。

 花火なんて何処でもできるから、きっと近場でやると思っただろうに、気が付けば電車に乗って市を跨いでいたのだから才明寺の驚きはどれだけ大きかったか。だけど最終的に付いて来てくれたのだから本当に有難かった。

 途中何軒か見かけたコンビニで手持ち花火を探して、俺と才明寺は漸くあの公園までやってくる。

 その頃には辺りはすっかり暗くなっていた。

 暗くなると余計公園には誰も寄り付かないようで、好都合だった。


「公園……此処で花火するの? 良いの?」

「別に花火禁止の注意書きとかないだろ? 火の始末ちゃんとすれば大丈夫」

「そう?」

 俺たちは荷物をベンチに置くと、買ってきた手持ち花火のパッケージを開ける。

 軽く見回したが、あの女の姿は見えない。

 少なくとも出てきて貰わないと折角此処まで来た意味がなくなる。俺は内心焦りながらカバンから今日学校で飲み干したジュースが入っていた空のペットボトルを取り出すとその中に水を溜めようと近くの水飲み場へ近づく。このペットボトルの水に終わった後の花火の先端を浸けて完全に火を消していけるようにだ。


 吐水口にペットボトルの口を近づけ水を注ごうとハンドルに右手を伸ばすが、ハンドルを掴もうとしていた俺の手に長い髪が絡みついていて思わず声にならない悲鳴を出してしまう。

 幸い音として口から出てこなかったから才明寺には気づかれていないはずだ。

 俺は右手に絡みつく黒い髪が何処から伸びているのか確認する。すると髪の毛の元は意外と近くにいた。

 水飲み場の少し後ろにあの女は立っていた。

 すぐには気が付けない程輪郭が滲んでおり、その女の服の色なのか夜の暗さなのかが判別できなかった。恐らくさっき才明寺が俺の首についていた呪いを祓った影響が出ているせいだろう。

 女は恐ろしい形相で俺を睨みつけていた。


「一体何ヲシた」

 そう耳障りな声で詰るように言い放つ。

 俺は内心緊張でびくつきながらも、それを顔に出さないように努めて、鼻で笑うように口を開く。

「俺は何も。俺の連れに聞けば?」

 俺は女に聞こえるくらいの小さな声でそう言って、少し離れたところで手持ち花火を袋から出し花火をまとめている紐を外している才明寺に視線を向ける。

 女はこの時初めて才明寺を見る。

 俺は女を無視してペットボトルに水を入れて才明寺の元へ戻る。

 今この場で何が起きているか何も知らない才明寺は花火を広げながら、俺を笑顔で迎える。

「おかえり。ねえ、火、どうする?」

「そんなに数あるわけじゃないし、面倒だけどライターで一個一個点けていくか」

「そうね」

 才明寺はそう言うと広げた花火から一つ選び、先端の花びら紙に火を点けて俺と他の花火から少し離れる。

 面倒だから才明寺には言わないが、手持ち花火の先端から出ていた紙の火をつけるための導火線ではない。本来はその紙をちぎって火を点けるのだけれど言わなかった。

 今回買ったのは一番サイズの小さい花火セットで、色んな花火が入っているが全部で二十本程で、一人十本くらいで終わってしまう。

 まあ、今日の本来の目的を考えればこれくらいの量で足りる。


 問題は、あの女が才明寺に近づくかどうかだ。

 正直来てくれないと困る。

 才明寺の祓う力は恐らく対象に触れることで効力を発揮するタイプのものであることは明らかだ。

 今夜もあの女が二日続けてやってきた俺を警戒して出てこない可能性も考えていた。

 というか、このまま姿を晦まされるのが一番厄介だ。


 才明寺を此処に連れてくるよりも、俺の弟に会わせる方が難しい。

 いきなり俺の弟に会ってくれとか、俺が才明寺の立場なら困惑する。会った上、身体に触らせるのはもっと難しい。

 それなら才明寺をこの公園につれてきて、女から才明寺に触れるように仕向けるのが楽だと思ったのだ。

 出てきてくれなければどうしようかと思ったが、女はどうやら俺の呪いを祓われたことに立腹しているようだ。

 あとは俺が挑発した通り、女が才明寺に触れてくれれば。

 そんなことを考えながら俺はしゃがみこんで、適当に花火を一つ取って火を点けようとする。

 でも才明寺の「柵木、見て見て」とはしゃぐ声に顔をあげる。

 才明寺は勢いよく赤や青に変わっていく花火を俺に見せる。


「綺麗だね、私花火って久しぶり」

「へえ」

「去年は兄貴も私も受験で色々忙しくって、夏はあんまり遊べなかったんだあ」

「へえ。……お兄さんいるんだ」

「いるよ。今年から大学で県外の大学行っちゃった。一人暮らしだって。憧れるな」

「何、才明寺、大学行きたいのか」

「大学じゃなくて、一人暮らしが羨ましいの。早く家出て働きたい」

 才明寺はそう言いながら赤い火花を散らしていく花火を見る。コイツにそう言わせるのは実家の家業が影響してるのか。

 そんなことを考えていると才明寺が持っていた花火が燃え尽きる。彼女はすぐそばに置いているペットボトルの飲み口から燃え尽きた花火の先端を水に入れると、花火が入っていた袋に捨てる。


「柵木しないの?」

「やるよ」

「そ? 次どれにしよっかなあ」

 才明寺は案外この小さな花火大会を楽しんでいる様子で、嬉々とした表情で次の花火を選ぶ。

 俺がしたいと誘ったのに一本もしてないのは流石に怪しく思われるかもしれないと、俺は手にしていた花火に意識を向ける。

 ライターは才明寺が使っており、俺は彼女が使い終わるのを待つ。才明寺は花びら紙に火を点けると、俺にライターを寄越す。

 才明寺は火の点いた花火を持ってまた少し離れる。

 今度は金色の火花が夜の闇を踊る。線香花火の儚い火花を大きくしたような花火だった。花のようにばちばちと火花を爆ぜて行く。白い煙を上げながら才明寺の持つ花火は美しく燃えていた。


 その時、俺は気が付いてしまう。

 才明寺の背後にいるあの女の姿を。


 来た。

 そう思いながらも、俺は相変わらずしゃがんだままの体勢で才明寺とその後ろの女を見る。女はやはり土曜日を比べて随分存在が希薄になっているのか、才明寺が持っている花火が燃えて広がる煙よりも色彩が淡くなっていうように見えた。

 才明寺は今持っている花火が気に入ったのか、まるで魔法のステッキでも扱うように火花を散らす先端を回すように振っている。

 金色の火花が宙を舞う。

 その様子に見とれるように微笑む才明寺と、それに近づく女。


 俺は祈る。

 才明寺、頼む。

 まるで神に拝むような心境で俺は成り行きを見つめる。

 そしてその瞬間はやってくる。

 遂に女の手が、花火を持つ才明寺の手に届く。

 途端、女は才明寺に触れた手から、彼女が持っている花火と同じように火花を散らして溶けていく。


 女は何が起こったかわからない様子だった。

 才明寺に触れた手から散っていく自分自身をぼんやりと見ていた。


 自分の真横で何が起こっているか全く知らない才明寺は気分良く花火を振っているが、そんな彼女の腕がまた女に触れるとその部分から更に光が散っていく。その場に花火の光と、女から溢れ出す光で夜の暗さを美しく照らす。


 まるで才明寺が花火を纏っているようだった。

 その不覚にも神々しいとも感じた光景に俺は涙が滲む。

 俺を十年苦しめていた悪夢が光になって消えていく。

 初めてこの公園でこの女を見てしまってから、俺の人生には暗い影が常に差していた。『常人に見えないもの』も、生きている人間も、俺を苛む。

 苦しくて辛い時期もあった。

 何故自分はこんなものを見なくてはいけないのか。

 見たくて見たいわけじゃないのに。目を潰してしまえばこんなに辛い気持ちにはならないのか。

 でも、今は、少しだけ、その大きな花火・・を見れたことに泣いてしまった。

 この女がいなくなっても、俺の目から『常人に見えないもの』が映らなくなるわけではない。だけど、この瞬間を迎えられたことは、あの女が光の中に消えていく様子だけはあまりに鮮烈で美しく、この目があることを少しだけ嬉しく思えた。

 俺の目からいよいよ涙が溢れてしまい、慌てて俯く。

 それに気が付いた才明寺は慌てて花火を振るのを止めて焦った様子で「ごめん! 火花そっちに行った?!」と叫ぶ。俺は目元の涙を拭いながら首を横に振る。


「違う、大丈夫、火花は飛んで来てない」

「そう? ビックリした、いきなり下向くから」

「何ていうか……その花火が綺麗でちょっと泣きたくなっただけ」

「へ?」

 俯きながら呟く俺に、才明寺は困惑する。

 そうしている間に才明寺が持っていた花火は燃え尽きてしまい、彼女は戸惑いながらもその燃え尽きた花火を水に漬ける。そして俺に、今燃えていた花火と同じものを差し出して「今の花火、これだけど、柵木もしなよ」と言う。

 もしかしたら、彼女は俺が才明寺に花火を取られて泣いた、なんて考えていないよな。まさかな。

 俺は苦笑を浮かべ、その花火を受け取りながら「ありがと才明寺」ときっと彼女には伝わらない感謝を述べた。


 俺はこの日、漸く自分の中に深く刺さっていた一本の黒い釘のようなものと、決別のときを迎えたのだ。

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