第15話『返り討ち』
怖い気持ちは無理矢理押し込めて、怒りだけで何とか『あの女』と対峙する。
女はゆっくりと手を
「オ前、昔ミた餓鬼ダな」
「おう、十年くらい前にな」
?
何だ。
俺は女を前にして違和感を覚える。
この距離まで近づいてわかったが、どうも変だ。
この女の輪郭が朧げになっているように見える。十年も経っている上、昔はあまりに強烈な恐怖があったからこの女の姿が鮮明に色濃く記憶に焼き付いているのかもしれないが、実際はこんなに存在が滲んでいたということだったのか。
「アノ時の弟ハどウナった」
女は笑う。昔聞いた高音と低音が交じるような歪な声で。俺を嘲るように。
その笑いが更に俺の怒りを煽る。
どうなったって?! コイツ!
お前のせいでまたあんなぐったりと衰弱していく様子をみることになるのだ。
「『どうなった』だって? お前のせいで、また、弟は体調を崩し始めてる……! お前のせいで!!」
きっと周囲に誰かいたら制服姿の男子が一人喚き散らかしているように見えることだろう。だけど今の俺に周囲の目を気にしている余裕なんてなかった。
この女は俺の悪夢の始まりなのだ。
初めて見えた『常人に見えないもの』。
初めての払拭できない恐怖。
ぶん殴れるものならぶん殴ってしまいたい。
思わず拳を握り込み女を睨むが、それまで薄ら笑いを浮かべていたはずがその青じ顔から笑みが消えていた。まるで怒っているように見えた。
何だその顔。この場で完全に優位に立っているのはお前だろう。
俺が困惑していると、女は肩を震わせて俺に骨張った白い手を伸ばす。
「まタ?」
そう呟く声にはやっぱり怒り、というより動揺のようなものが混じっている。
何に対してだ。『また』? その言葉に反応したことはわかるが、理由がわからない。
「昨日、会っただろ、此処で友達と遊んだって言ってたぞ」
俺がそう言い放つと、俺の方へと伸びていた腕が俺の首を正面から捉える。人の皮膚が当たっているような感覚はなく、何か酷く冷たい冷気の塊を押し付けられているような。でも首には押し付けられるような圧迫感があって、思わず
気が付けば、それまで三メートルほどあった女との距離がなくなり、女は両手で俺の首を絞めながら目の前に立っていた。
俺を睨みながら見下ろしていた。
「お前ノ弟ハ遠ノ昔に死んダだロウ」
そう言いながら俺の首を絞めあげる。あまりの苦しさに俺は女の手を振り払おうとするが、女の手を掴もうとしても俺の手は何も掴めず空を切るだけ。まるで精巧な立体映像が投影されているみたいだ。
「弟は生きてる! でもお前がまた昨日弟に障りやがっただろ! 二度も苦しめる気か! さっさと呪いを解けよ!!」
俺は息苦しさから逃れようと手足をばたつかせるが状況は何も変わらない。だって俺は『見える』だけで『触れる』ことはできないのだから。
そろそろ息苦しさに頭が痛くなってきたが、その瞬間、首を覆っていた圧迫感がなくなり俺が地面に座り込む。何度も何度も咳をして酸素を肺に取り込もうと呼吸する。
助かったのか。
俺は首を摩りながらゆっくりと顔をあげる。
女はまだ目の前にいた。
俺を、信じられないものを見るように見下ろしていた。
「アの時、私ノ存在が急ニ薄まッたノハ、オ前ノ仕業か。お前ガ何かしタノか」
女はそう呟く。
が、その言葉の意味がすぐには理解できなかった。
存在が薄まる? 何のことだ。
もしかして今が昔よりもこの女の姿が朧げになっていることと関係あるのか。
しかし考えている間に女は倒れ込んだ俺の顔を覗き込む。それも呼吸が当たるかもしれないという近さまで寄られて俺はまた息が止まりそうになる。
「ソれなラオ前かラ奪うダケだ。今度ハお前ノ命ヲ貰う」
女はそう言うと、俺の首を撫でた。
また冷たい空気が首元を掠める感触に思わず身を滲ませる。
その瞬間、俺は昔、この女が祐生の頬に触れその箇所に黒いシミが残ったことを思い出す。
まさか。
俺は思わず右手で首を押さえる。手の平を自分の首を確かめるように滑らせる。
首はまるで真冬の窓ガラスのように冷たく硬直していた。
慌てて顔を上げると、そこにはもう女の姿はなかった。
俺は首を押さえながら「くそ」と吐き捨てることしかできなかった。
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