ノンハクション!! ~尊敬する生徒会長のくしゃみが可愛すぎていじらしくて辛抱たまらんのじゃい! もう食べてしまいたいんじゃ~! なお、ヘタレな先輩で遊んでいるけどこれも愛情の裏返しなのです~

 自分の名前が嫌いだ。

 「いばら」なんて可愛くない。

 名前だけでツンケンとした取っ付きにくいイメージを持たれたりする。

 まあ、実際取っ付きにくいっていうのは合ってるんだけど。私は愛想を振り撒くのが苦手なのだ。

 おまけにいばらの花言葉がまた酷い。


 不幸中の幸い。


 「花言葉っていうか慣用句じゃん! 不憫すぎるわ!」なんて一つ上の頼りない先輩なら全力でツッコミを入れてくれる事だろう。

 だけど、棘の花言葉は他にもある。


 厳格。


 まさに私の家庭そのものを表した言葉だ。 


「いばらさん。食事中は肘をつかない」


「すみませんお母さん」


 朝食中、母が私を叱った。

 腕がテーブルの端にちょこんと乗っていただけでこれだ。

 家族揃っての食卓は本来なら一家団欒の場なんだろうけど、私には心休まるものではない。

 学校の事、友達付き合いの事、生け花の事。とにかく母の小言が多いのだ。せっかく料理上手が自慢の母の、大好きな手料理なのに素直に味わえない。


「箸もきちんと持ちなさい」


 母は事ある毎にこう言うが、私は生まれつき手足の親指が太く、短い。短指症という奇形の一種で、人差し指の半分ほどの長さしかないのだ。通常の持ち方が出来ない訳ではないが、手が酷く痛む。

 遺伝的なものらしいが、短指症は10万人に一人とも言われている。父も母も普通の指だ。家族の中では私と2歳上の兄の二人が短指症だった。


「おかあさん、これ固くて食べられない」


「あらあらケンちゃん、お肉焼きすぎちゃったかしら。残していいのよ」


 あらかじめ母が小さく切った一口大のベーコンを、兄はフォークで皿の隅に追いやる。


 発達障害の兄には母も甘い。


 その反動か、私には厳しい。


 兄には持ち方どころか箸を使わなくても何も言わないし、今だって椅子に膝を立てて気だるそうに食事をしていてもお咎めなしだ。

 仕方のない事だとわかっているが、理解出来るのと納得出来るのは違う。

 よく上の子は下の子に親の愛情を取られて拗ねるなんて言うけど、私はずっと逆。母は兄につきっきりで、小さい頃から私は何とか母に自分の方を向いてもらいたくて必死だった。

 勉強も運動も頑張った。でも、何も変わらない。かけっこで一番を取っても、有数の進学校で一番を取っても、誉めてくれない。「いばらさんはやれば出来るから」と当然の様に言われるのだ。

 こんなに必死に頑張っているのに。


「いばら、食べ終えたら離れに来なさい。私は先に行っているから。ごちそうさま」


「わかりました」


 父は食器を流しへと片付けてダイニングを出ていく。


 父は華道家、つまり生け花の先生だ。18歳の時に家を出てお花の道に入り、新進気鋭の天才と評され、今では現流派の代表として活躍している。

 先祖代々の家柄、という訳ではないから私が必ずしも跡を継がなければいけない訳ではないと言っているが、一応私も父に教えて貰っている。

 お花は好きだし、父が言うには私は筋が良いようで、将来はその道に進むのもいいかなと思っているところ。

 何より、お花で結果を出した時だけ、母は誉めてくれるから。



 ◇◆◇



「どうでしょうか?」


 父の仕事場となっている離れで、完成した作品を父に見せる。

 赤い椿の花をしゅに、黄色のレンギョウ、白のニワザクラを副に添え、花材かざいそのままの美しさを表したつもりだ。

 生け花には色々なルールがある。流派によって違いはあるが、3つの花材、つまり3種類の植物で作る物が基本的な形だ。主役の一つを中心にして、その脇を残りの2つで彩るのがベーシックなスタイル。

 そして大事なのは季節感。

 旬の花を使い、四季を表現するのが華道なのだ。


「ふむ。いばらの生ける花はいつもスッキリとして無駄がないね。それなのに凛とした存在感がある」


 私にとって「花」とは「花菜」だ。どうしてもあのスーパー生徒会長が脳裏に浮かぶ。

 あの人には無駄がない。決して飾ってる訳ではないのに、惹き付けられる。目がいってしまう。そこにいるだけで絵になる。

 

「でも、少し堅いかな」


「堅い?」


「無理している様に見えるね。肩を張って、背伸びをしているというか。夜までの宿題にしよう。作法にとらわれなくていいから、一度自由に作ってみようか。じゃあ父さんは仕事に行ってくるよ」


「わかりました。いってらっしゃいお父さん、お仕事頑張って」


 父が出ていき、部屋に一人残り試行錯誤する。


 なるほど、父の言う通りだ。


 私は無理をしている。

 

 この花は会長ではない。

 会長に憧れ、髪型を真似して服装を真似して、愚かにも会長の様になりたいと背伸びをする私そのものなのだ。

 私は会長より背も高いんだから背伸びしたって離れちゃうだけなのにね。


「よく見てるなあ」


 生け花には心が表れるというけど、父に胸の内を見透かされたようでドキッとした。でも、娘をしっかりと見てくれているんだと実感出来て少しホッとする。普段の会話はあまりないけど、父とは生け花でコミュニケーションを取っているのだ。


「いばら、入っていい?」


「いいよ」


 ちゃんと断ってから襖を開けて兄が部屋に入ってきた。発達障害と言っても、聞き分けはよくて大人しくて、癇癪を起こしたりしない。


「僕もやっていい?」


「うん。ハサミ使う時は気をつけて」


 私の許しを得て花を生け始める。私と同じ短くて太い親指で菜の花の茎を曲げ、手折った。

 兄は時々こうやって見よう見まねで花を生ける。父や母の前ではやらない。母が危ないと言って兄に道具を触らせないからだ。だから両親は知らない。


 兄が天才だという事を。


 桃と、菜の花と、フリージア。

 淡いピンクと、黄色と、優しい白。

 誰に教えられた訳でもないのに3つの花材を使い、小粒の花を選び、大きさを揃える事で見事に調和させた。主も副もなく、3つ合わさって一つの花であるかの様に纏まっている。

 その可憐な姿からは道路だけでなく心の雪解けを感じ、暖かな春への期待で胸が膨らむ。


「お兄ちゃん、何で菜の花を傾けたの?」


 実は花の角度にもルールというか、決まりがある。菜の花は作法の通り、15度に傾けられていた。


「これが一番綺麗だから。ダメ?」


 理由もなく角度が決められている訳ではない。長い歴史の中で研究を重ね、そんな先人たちがたどり着いた最適解、それが作法なのだ。

 なのに、兄は感覚だけでそれをわかっている。


 圧倒的な才能。 


 割り算がギリギリ出来る程度で正三角形の角度もわからないのに、生け花に関しては私を遥かに凌駕している。


「ダメじゃないよ。とっても可愛いと思う。私は好きだよ」

 

「ホント? 良かった!」


 ガッツポーズをして大袈裟に喜ぶ。もっと兄の生ける花を見ていたいが、母の勢いよく襖を開ける無粋な音によって中断させられた。


「ケンちゃん! ここは危ないから入っちゃダメだって言ったでしょ!」


「ご、ごめんなさい」


 慌てて兄は生けた花を片付ける。心配なのはわかるが、母は少々過保護だと思う。兄の可能性を奪っているのは他でもない母だ。


「お母さん、お兄ちゃんにもお花をやらせてあげて。お兄ちゃんのお花すごいんだよ。お父さんも絶対に認めるから」


 何度か母には言っているのだが、毎回答えは同じ。顔を真っ赤にして私に怒鳴り付ける。


「ケンちゃんはそんな事しなくていいの! お花はいばらがもっと頑張ればいいんだから!」


 私は頑張ってる!

 学校の勉強の合間を縫ってお父さんの生けた花全部記録して分析して、言われた事もメモして何度も何度も考えて、それでも全くお稽古もしてないお兄ちゃんの方が上手なんだもん、正直やってらんないわよ!


 喉元まで出かけた言葉を必死に飲み込む。ここで私が何を言っても、母は変わる事はない。


「……図書館で勉強してくる」


 とりあえずこれ以上母の顔を見たくなくて、逃げるように家から飛び出した。



 ◇◆◇


 勉強の為に脳には糖分が必要だ。それは自然の摂理。

 私はチョコレートを愛している。大袋を机に置いて時々食べながら勉強しているほどだ。図書館の自習室は飲食禁止だけど、休憩室で食べようと思ってスーパーに寄った。チョコレートの中でもエアインチョコが特に好きだ。ふんわり軽くていくらでも食べられる。


 大袋の菓子コーナーに一直線すると、そこには小さくなった会長が真っ赤な顔で棚の最上段に手を伸ばしていた。

 あれ? 髪切ったのかな? それに背も縮んだ?

 何にせよ偶然会長に会えるなんてラッキーである。


「どうぞ会長」


 最上段に陳列された高級板チョコを取って手渡すと会長はびくびくしながら礼を言った。


「あ、ありがとうございます」


「いえ。この雛岸いばら、会長のお手伝いをするのが使命です。これぐらいの事、アゴで命じてくだされば……ん? 会長? やはりお変わりになられましたか?」


 背も150ないぐらいだし、似合ってはいるがショートカットのせいもあってやはり幼い。それに、いつも会長から感じるオーラがないのだ。


「会長、って誰ですか?」


 え? 別人? 似てるだけ?


「これは失礼しました。人違いをしたようです。お詫びにその可愛らしいおみ足を舐めさせてください」


「へっ? あ、足を?」


「古代より日本では無礼を働いた時に足の指を口に含ませる事でみそぎとしてきました。今では欧米より靴下を履く文化が根付いておりますゆえ廃れてしまいましたが、元々我が国では下の者に舐めさせることで足の清潔を保ってきたのです。さあ、遠慮はいりません。靴下を脱いでください。さあ、さあ!」


 膝をつき、ミニ会長の足を持ち上げようとした所で――私の脳天に拳骨が落ちた。


「ぎゃっ!!」


「公衆の面前で凶行に走るな! 大体そんな文化なんて過去はおろか未来の日本にもねえよ! お前はどこの世界線の人だよ!」


「この痒いところに手が届くと見せかけてただ回りくどいだけのツッコミは……お笑いネタやろう先輩」


 強烈な痛みに頭を抑えながら見上げると、予想通りミニ会長をその背に隠す稲村先輩がこちらを睨み付けていた。


「そこまで笑いに貪欲な名前じゃねえよ!」


 更にツッコミを重ねる先輩をスルーし、不安そうな顔のミニ会長に笑いかける。会長には中学生の従妹がいると聞いたことがあるが、まさかここまでそっくりだとは思わなかった。


「稲村先輩の知人ということは、会長の従妹殿ですね? はじめまして。花菜先輩の後輩で雛岸いばらと言います。お名前は?」


 怖がらせないように膝をついたまま尋ねる。


「す、杉野若葉です」


 なるほど、あどけないそのお顔は萌ゆる新緑の芽の様だ。なんと相応しい名前だろうか。


「素敵な名前ですね。わかりました、では参りましょう」


 立ち上がり、若葉ちゃんの腕を掴み歩き出そうとするが野暮村先輩が止める。


「ちょ、どこに行くんだよ! 平然と拐うな!」


「わかりました。テイクアウトは諦めます。ではお召し上がりで」


 いただきますの一言の後、その細い腕を骨付き肉にかぶりつくように大口を開けて歯を立てようとするが、またもや拳骨が私の頭頂に振り下ろされた。


「ぎゃっ!!」


「そのカエルが潰れたような悲鳴をやめろ!」


「こんな声、稲村先輩にしか聞かせた事ないんですからね……」


「瞳を潤ませて言うな! そういう台詞は花菜にしか言って貰いたくな……ゲフンゲフン」


 本当に面白い人。私のこんな生意気な茶番にもずっと付き合ってくれる、優しい人。


「私がどうかした?」


「なな、何でもない!」


「ハッ、ハッ、『バッチリ聞こえてたの!』ハッ、『誰にも見せた事ない私を春太郎に、なーんて』」


 稲村先輩がうっかりこぼしてしまった所にタイミングよく会長が登場。慌てて取り繕うが、目の前で繰り広げられるコントに若葉ちゃんも声を出して笑った。


「偶然ですね会長。お菓子作りの材料ですか?」


「うん! これから皆でエクレアを焼こうと思って」


「エクレア、いいですね」


 私の大好物だ。会長ならサックサクの美味しいエクレアを作る事だろう。


「そうだ、雛岸もどうだ? 暇だったら、だけど」


「え? いいんですか? 暇です! 超暇!」


 会長の手作りお菓子が食べられるのならどんな予定だってキャンセルして必ず行くに決まっている。


「ああ。自慢の幼馴染みの料理の腕を見せつけてやるよ」


「見せつけられるのはお姉ちゃんとお兄ちゃんのラブラブな所だったりして」


「若葉っ! 何を言うのよ! ハッ、ハッ、『わーい自慢の幼馴染みだって! 春太郎大好き!』」

 

 赤くなったり狼狽えたり慌てたり、目まぐるしく表情を変える。想いを寄せる幼馴染みと従妹にかかってはあの凛としたスーパー生徒会長も形無しの様だった。



 ◇◆◇


 夜、父に見られながら再び離れで花を生ける。


「スイートピー? 一種類だけ?」


 父の質問には答えず、3色のスイートピーを取りだして剣山に刺していく。

 春の花を代表するスイートピーは有名な歌謡曲のお陰で赤が一番有名だが、カラーバリエーションは豊富だ。マニアックな色を挙げると青、紫、クリームなんかがある。

 可愛らしい黄色を主に置いて、ピンクを少し恥じらうように脇に傾ける。そして反対側に白の花を立てた。


「出来ました」


「ほう、一つの花材で大胆だと思ったけど、色を変えることで違う表情が出て凄くいいよ。これは、一人の女の子かい?」


 すごいな。やっぱりお父さんはよく見ている。

 

 稲村先輩との化学変化を起こす花菜先輩をイメージした。

 普段は可憐で、キリッとした憧れの先輩なのに、稲村先輩のキザな台詞で真っ赤になってうつむいたりする花菜先輩。


 花言葉もピッタリだ。


 黄色は「分別」、「判断力」。それは生徒会長としての花菜先輩の顔。

 白は「ほのかな喜び」。私や若葉ちゃんに向けてくれる優しい顔。

 そして稲村先輩にしか見せないピンクは「恋の愉しみ」。


「うん。先輩なの。普段はカッコいいんだけど、想いを寄せる男の子の前だと全然ダメなの。すぐ顔を真っ赤にして、照れ隠しで気がないようなフリをしたりして。さっさと付き合っちゃえばいいのに焦れったくて」


「そっか。先輩の恋、叶うといいね」


 それはヘタレな男の子次第。焦れったいけど、あくまで私は外からニヤニヤと楽しませてもらおう。


「どうだろう? こんな風に噂をしてたらくしゃみをして、また距離が縮まりそうだけど」


「くしゃみで距離が縮まる?どういうこと?」


「それは内緒」


 イタズラっぽく唇に人差し指を当てて微笑む。


「教えてくれないのかい? いばらは? もう2年生だし、好きな子とかいないのかい?」


「それも内緒」

 

 本当はいないけど、お父さんを困らせたくてあやふやにして誤魔化して、最後にもう一度イタズラっぽく笑っておいた。

 

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