9ハクション あなたでよかった

 ……苦しい。

 何だ? 息苦しい。それにカーテン開けて寝たっけ? 部屋がやけに明るい……


「起きて春太郎! 朝だよ!」


 目を開けると俺の鼻をギュッとつまんで愉しそうな幼馴染みの顔が視界を埋める。俺の顔を覗き込む花菜の顔は物凄く近くて、彼女の鼻息が俺の唇にかかった。


「花菜、顔が近いよ」


「あ、ごごご、ごめん! 声掛けてもカーテン開けても起きなかったからついイタズラしちゃった」


 言われてから恥ずかしくなったのか、俺の鼻から手を離し慌てて距離を取った。照れた顔が可愛い。


 学校がある時は毎朝花菜が起こしてくれる。俺は朝が弱いから目覚ましだけだと起きられない事が多々あるのだ。生徒会の仕事で俺より早く家を出る花菜は、俺の家に寄って俺を起こしてから登校するのがいつものパターン。しかし今日はまだ春休みだ。


「ふあ~あ。ん、まだ8時じゃん。もうちょっと寝たい。一緒に寝る?」


 寝惚けてそんな事を口走ってしまう。


「何言ってんのよ! ハッ、ハッ、『うんうん一緒に寝る~!』。安藤くんが来てるよ!」


 即座に否定するけどくしゃみの音は正直で、って、何て言った?


やすし?」


 部屋の入り口に佇む泰の姿。腕を組んでニヤニヤと笑っている。俺は慌てて飛び起きた。


「おはよう春太郎。いや~、朝からアツいね。ごちそうさま」


「ぜ、全部見てた?」


「そりゃ見てたさ。本当に仲いいよね君達。あれ? どうしたの花菜ちゃん、顔真っ赤だけど」


 泰はその整った顔をいやらしく歪めて花菜をイジる。


「べべべ、別に何でもない! い、一緒になんて寝てないんだからね!」


 花菜は勉強机の椅子に座り、キャスターを回転させて背を向けてしまう。恥ずかしくて泰に顔を見せられないのだろう。


「泰が花菜と一緒なんて珍しいね。何だった?」


「ああ、家の前で花壇に水をあげてた花菜ちゃんと偶然会ったんだよ。春太郎に用事って言ったら、多分寝てるだろうから起こしてくるってずんずんと家の中に入っていくから、俺も後をついてきた」

 

 花菜は稲村家では顔パスだ。俺は一応花菜の家の呼び鈴を押すけど、毎朝起こしてくれるのもあって、ドアを開けて「春太郎くーん、あーそーぼ」だけ言って俺の部屋に上がってくる。


「俺に用事?」


「実は今日フットサルの試合があるんだけど、一人足りなくてさ。春太郎どうかなって思って」


「断る」


「即答かよ! 頼むよ、このままじゃ試合出来ないんだ。相手チームにだって迷惑かけちゃうし」


「何で俺なんだよ! 俺なんかが出たら余計に迷惑かかるだろ!」


 俺は運動音痴だ。それも学年で下から3番目ぐらいの筋金入り。バスケのドリブルをしたらあまりのリズムの悪さに笑いが起きる程だ。

 特にサッカーには良い思い出がない。あれは忘れもしない中学二年の冬。体育の授業のサッカーでチーム分けをしたのだが、その方法がサッカーの上手い二人をキャプテンとし、好きなクラスメイトを交互に指名して取っていくという物だった。キャプテンの片方は泰だったのだが、当然俺は最後まで残り、同じ様に運動音痴の斎藤君と二人だけになり、悩んだ泰はあろうことか斎藤君を選んだのだ。正直に言って俺はまだあの時の事を根に持っている。


「何でって、親友だからだよ」


「よく言うぜ。中学の時は俺を選ばなかったくせに」


「それは……その……悪かったよ。とにかく、頼むよ!」


 手を合わせて懇願する泰。そんな姿を見かねて花菜が泰の味方をした。


「出てあげれば? 安藤くんが困ってるんだから。ハッ、ハッ、『それに私も春太郎がサッカーする所見たいもの』」


 勘弁してくれ。体育の授業は男女別々だから花菜に醜態が見られたことはないが、フットサルの試合だなんてサッカーより人数が少ないし、確実にカッコ悪い所を見せる羽目になる。それに泰のフットサルのチームは、中学の時のサッカー部の面子が集まって出来たはずだ。皆俺が運動音痴なのは知っているだろう。


「そうだ、良かったら花菜ちゃんも応援に来てよ。そうしたら春太郎も張り切っちゃうだろうし」


「え? 私も行っていいの?」


 くしゃみの音を汲んで泰が花菜も誘う。外堀から埋めていくとは卑怯な奴だ。クソ、しょうがない。


「わかった、出るよ。でも戦力としては期待するなよ」


「マジ? ありがとう! 助かるよ!」


「じゃあ私せっかくだからお弁当作ろうかな。まだ時間ある?」


「うん! 10時からだから大丈夫。花菜ちゃんのお弁当なんて楽しみだな~」  


 楽しそうな二人を尻目に、俺は心の底からため息をついた。



 ◇◆◇


 フットサル場にやって来た。お弁当のバスケットを抱えた花菜も一緒だ。上機嫌な花菜とは対照的に、俺の気分は一向に上を向かない。おっと、引き受けたからには全力を尽くそう。頬をピシャリと叩いて気持ちを切り替える。


 フットサルはゴレイロと呼ばれるキーパーを含めて5人対5人で行われるのが一般的だ。


「おっす稲村! 久しぶりだな、急に来てもらって悪いけど頼むよ」


 中学の時の懐かしい面々と2年ぶりに顔を合わした。俺って基本的に花菜と一緒にいることがほとんどだから男の友達って言うと泰しかいない。でも泰はこうしてよく会っているみたいだ。何だろう、俺以外の奴と楽しそうな泰を見るともやもやする。


「あれ? 杉野さんじゃん。やっぱり今も稲村とセットなんだ。相変わらず夫婦みたいだな」


 旧友は俺の後ろの花菜を見つけてそんな風にからかう。


「夫婦……ってまだ付き合ってもないわよ!」


「まだ?」


 花菜の言葉尻を泰が目ざとく拾うもんだから余計にムキになって否定する。


「付き合ってない! ハッ、ハッ、『春太郎大好き!』」


「なるほど、稲村がヘタレてんのか。もう高3だぜ? 全くしょうがねえ奴だなお前は」


 中学の時から花菜の俺への想いも、俺の花菜への想いも皆にはバレバレだった。だからまだ付き合ってないと聞かされて旧友が俺に呆れるのも当然だ。


「うるせーよ。余計なお世話だって」


 精一杯虚勢を張るが、ヘタレなのは事実だし、くしゃみの音で気持ちがわかっているからとあぐらを掻いて花菜を待たせているのも事実。どのツラ下げて余計なお世話だなんて言えるんだって話。


「今日はゴレイロがいなくてさ、春太郎はゴレイロをやってくれる? ちょっとだけでも練習しとこうか」


 ポルトガル語でゴールキーパーの事をゴレイロと言うらしい。フットサルでは主に英語ではなくポルトガル語の呼称が使われる。


 PKペナルティキックの様に少し離れた所からゴールに向かって泰が蹴る。真正面に放ってくれたボールは俺の両手に吸い込まれ、しっかりとキャッチ出来た。


「上手いじゃん。じゃあ本気でいくよ」


「は? 普通は段々強くしていくもん……うおっ!」


 問答無用だと言わんばかりに俺の言葉を最後まで聞かず、泰が右足を振り抜いた。ボールは全く見えなくて、気がついた時には頬をかすめゴールネットを揺らしていた。


 心の底から帰りたい。


「どんどんいくよ」


「ちょっ! 待っ!」


 レーザービームの様な強烈なシュートを容赦なく次々と打ってくる。

 正直怖い。

 だが、やると言ったからにはやらなければ。花菜も見ているし弱音は吐けない。必死にボールに向かってジャンプするが、明らかにワンテンポ遅れていた。ゴールネットが揺れた後に無様に横っ腹から地面に落ちる。

 そんな俺を見て対戦チームの連れてきた女の子達からは失笑がこぼれ、男連中も「真剣にやってるんだから笑うなよ」とか言いながら追従して笑っていた。笑う彼らにムスッとすると幼馴染みと、何にも感じてないような澄まし顔の親友と、苦笑いの旧友達。そして芝生まみれになって擦り傷をつけた俺。

 運動音痴とは生まれてからずっと、18年近い付き合いになるが、この情けなさはやっぱりどうしても好きにはなれない。


 やがて時間になり試合が始まった。

 俺達の時代のうちの中学はサッカー部が強くて都大会の常連だった。その黄金世代を築いた面々が集まったチームはレベルが違う。終始ボールをキープしてガンガン相手チームのゴールを脅かした。向こうの女の子達も唇を噛みしめて悔しそうだ。

 それでも、たまに相手選手が抜け出てシュートを打ってくる。その度に俺は変なジャンプをして擦り傷を増やし、見事に点を取られた。その度に向こうの女の子達に笑われた。

 だけど、泰も旧友も誰も俺を責めない。どころか、「ガッツあるぜ!」なんて肩を叩いて健闘を称えていく。

 花菜も向こうの女の子達の失笑にはムカッとしていたけど、俺の無様な姿には特にイラついていないようで、ニコニコと機嫌がよさそうだった。

 前後半の試合が終わって、結果は8対4で勝利。ホイッスルの音と共に皆が俺の所に集まって次々に背中を叩いていく。


「サンキュー稲村。お陰で勝てたよ」

「ああ、他の奴ならふて腐れてあんな風にボールに飛び付いたりしねーもん」

「そうそう。稲村のガッツが俺達にも伝染したんだよ」


 やるからには一生懸命やるのは当たり前の事だ。そこに出来る出来ないは関係ない。人数合わせの助っ人でもチームの一員なのだ。だって、どの部活でも全力の花菜をいつも見ているんだから。


 腕も足も擦り傷だらけだったけど、不思議と痛みを感じなくて、むしろ皆の言葉のせいでくすぐったかった。



 ◇◆◇◆◇



「うおっ美味そう! いいなあ春太郎は。こんな手料理を毎日食わせてもらってんだから」


 旧友達と別れてフットサル場を後にした俺達3人は近くの公園のベンチで花菜の作ってくれたお弁当を広げた。色取り取りの具沢山のサンドイッチは泰の言う通りとても美味そうだった。


「毎日は食ってねえよ」


「見てないで、どうぞ食べて食べて」


「じゃあいただきます」


 花菜に促されて厚めの卵焼きが挟まれたサンドイッチを口一杯に頬張ると、泰は目を見開いて大袈裟に褒めた。


「美味い! こんなフワフワの卵焼き食べた事無いよ! これならいつでも春太郎のお嫁さんになれるね!」


「だからまだ付き合ってもないって!」


「まだ?」


「つ、付き合ってない! 安藤君のバカ! ハッ、ハッ、『やっぱり安藤君にも夫婦に見えるんだ~』」


 ぷくーっと頬を膨らませる花菜と、照れ隠しに怒る花菜がツボに入ったのか笑いが止まらない泰。思わず俺も口角を上げて、花菜のサンドイッチを摘まんだ。


「あ、お茶足りないね。私買ってくる」


「俺が行こうか?」


「ううん、春太郎は疲れてるだろうから安藤君と食べてて。じゃ、行ってくる」


 花菜がコンビニへと向かい、しばらく泰と無言でサンドイッチを食べていたが、バスケットの半分ほどを食べたところで泰か申し訳なさそうに口を開いた。


「春太郎、その、体育の授業の時は悪かった。ごめん。ずっと謝りたくて、あの時の罪滅ぼしに一緒にサッカーがしたくて今日誘ったんだ」


 俺の心にしこりを作ったように、あの日の出来事は泰の心にもずっと引っ掛かっていたみたいだ。


「いや、いいんだ。今日だって俺は役に立たなかったし、選ばなくて当然……」


「それは違う!」


 俺の自虐を遮って、目を真っ直ぐに見詰めて泰は言葉を続ける。


「確かに上手くはないかも知れないけど、俺は得意じゃない事をあんなに頑張れる奴を他に知らない。傷だらけになっても笑われても、それでもジャンプし続ける奴を俺は他には知らない!」


「だって、只でさえ出来ないんだから、頑張らないと駄目だろ」


 俺は凡人だから、傷なんか気にしてたら到底花菜には追いつけない。笑いたい奴は笑えばいい。だけど、泰も旧友達も笑わない。滑稽な俺の頑張りを認めてくれる。


「花菜ちゃんはさ、春太郎のそういう所が好きなんだよ。その、体育の授業の時にお前を選ばなかったのは……嫉妬してたんだ」


「嫉妬?」


「あの頃は俺も花菜ちゃんの事が好きだったんだよ」


 さらりと言った。そして、優しい春の風の様に二人の間を通ってスッと消えた。


「え? だって、そんな事、中学の時全く言ってなかったじゃんか! 何で言ってくれなかったんだよ!」


 泰はずっと、俺の恋心を応援してくれていた。ヘタレで情けない俺を一番近くで励ましてくれた。自分の気持ちを押し殺して、俺を支えてくれた。


「何でって、親友だからだよ」


「っ!」


 またしても泰はさらりと言う。ホント、イケメンは顔だけにしろよ。


「今は何とも思っちゃいないよ。俺には萌々ももがいるしね」


 萌々ももというのは付き合って2年になる泰の彼女だ。そして花菜の親友でもある。


「なあ春太郎。中学に入ったばっかの事、覚えてるか?」


 実は泰は地元の人間じゃない。小学校卒業と同時にこっちへ引っ越してきた。


「皆同じ小学校卒のグループで集まっててさ。俺だけずっと一人ぼっちで、寂しかった」


 普通転校生というのはちやほやされるものだ。だけど泰の場合はタイミングが悪くて、入学当初から孤立していた。


「そんな時に春太郎だけが話し掛けてくれて、嬉しかった。お陰で俺にも友達が出来た。春太郎みたいな優しい奴が同じクラスで良かった」


 違う。話し掛けたのは俺も孤立してたからだ。小学校から花菜とはずっと同じクラスだっのに中学一年の時に初めて別のクラスになって、俺も寂しかったんだ。だからあぶれてた泰に声を掛けた。俺も泰に救われたんだ。


「俺も話し掛けたのが泰で良かったと思ってるよ」


「さんきゅ。サンドイッチ美味いな」


「ああ、美味いな」


「花菜ちゃん、幸せにしろよ」


「ああ、任せろ」


 親友にそう誓って、またひとつ、俺に頑張る理由が増えた。



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