龍の編年史――A Shameful Life Of Thrill Ride

十三不塔

1

 ぽっかりと抜けたような真夏の空に龍の屍が漂う。

 ヤタケの虚ろな眼差しには、ちぎれ雲と映るけれど、そうではない。この時季になると決まって西の大断層の方角から吹き寄せてくる――それは入り組んだ構造体だ。龍の屍とも骸とも呼ばれるあの浮遊物について、夜目の効くリザ族らは銀河を泳ぐ百足だと言うし、忌むべきザーナバッハの逸民なら宙の疥癬かいせんと呼ぶ。

 それは無数の昼夜をまたいで集落に漂着した。真実を知る者は、いまや多くない。リマウ朝末期に生まれたヤタケの曾祖父などは、龍の屍について、もっともらしい由縁を語ってみせた最後の世代だった。晩年いくらか曖昧模糊となった頭と口吻とで曾祖父は「叔父は龍に乗った」と言った。あれは地上において軌道に沿って人や物を運ぶ仕掛けである。ではトロッコのようなものであったのかと言えばそうではない。移動でも運搬のためでなく、娯楽のためだけに供されたのだという。それは玩具ではないか、とヤタケは訝しんだ。

「こ、ここ、こんなもんで、ど、どやって遊ぶんだ?」

 祖父もまた、あんぐりと口を開けて、曾祖父にそんなふうに訊ねたという。そうだ、あれはギリラーシュ帝の御世のことだった。曾祖父は聞きかじりの知識を得意げに開陳するお調子者だったらしい。ギリラーシュ帝と言えば、曾祖父の時代よりもずっと千年も遡った昔の王様なのに、まるで見てきたように克明に説明するところがいかにも怪しい。帝には幼き愛妃がいたそうだ。その少女が大層好んだのが、様々な遊具を配した歓楽の園であった。帝王は、娘ほど歳下の妃のために国が傾くほどの財力を費やして遊園を充実させていった。

 愛妃の名をチュニターといった。チュニター。リマウの古語においてそれは回転する方錐体を意味する。あるいは稲穂のひと房を。

 チュニターの遊園は煌びやかで色とりどり、スリルと興奮とに満ちていた。振り子のように宙で弧を描く帆船や、生け捕られた野生の動物たちの姿がそこにはあった。怪物や道化に扮した従者たちを眺めるための見世物小屋も活況を呈す。遊園は連日大混雑で、熱気に満ち、ひとりとして無聊を訴えた者はなかった。そこでは万民が心の慰安を得た。

 チュニターは遊園の独占を好まなかった。歓楽の園の門は万人に開かれた。奴婢も娼婦も黒曜石の荘厳なアーチをくぐったならば王族と同等だった。先進的な商家の出であったチュニターは、そこにあって階級の別を認めず、よって誰もが、同じく動物たちを愛で、同じく遊具に戯れ、同じく珍味を頬張ったのだ。

 栄華と絶頂。殷賑いんしんを極めた帝都はまさに千年の宝城であり、なかでもチュニターの遊園は現世における理想の郷であった。ただし、その浪費によって国庫は窮乏し、やがて帝国には暗い影が差していく。そして遊園の主であったチュニターもまた死病に蝕まれてしまう。わずか十九という淡い美しさの盛り、チュニターは黄泉へ旅立った。

 時まさに戈歴二八九年のことであった。

 愛妃の死に打ちひしがれた帝王だったが、その衝撃から立ち直ると、チュニターの愛した遊園をさらに拡充させていった。いや立ち直ってなどいなかったのかもしれぬ。それは狂気の沙汰であった。弔いと慰霊のためと銘打たれた国家事業。血税よりなるそれは乱心の王に主導されて休みなく突き進んだ。ますます人民は飢え、みるみる国はやせ衰えた。諫言を吐く忠臣は粛清された。聖帝ラドヌの王墓を遥かに超える大きさの遊具たちには大臣たちも眩暈を覚え、ほどなく宮殿より逃げ出した。

 もはやそれを素朴な遊具と呼べようか。

 中でも〈花嫁のふいご〉と呼ばれた遊覧軌動車輛はチュニターのお気に入りで、馬鹿げた増築のあげく、とぐろ巻く大蛇ごとく肥大したのに加えて、とめどのない改良と装飾のすえ、密林さながらの錯綜となり果てた。後年、帝国が隣国ロロドの侵略によってあえなく滅び去り、チュニターの遊園に斜陽が訪れた時にあっても、この遊具だけは他の遊具のように解体されなかったどころか、ますます建て増しされたのである。ただし、それは遊具ではなく、おぞましい拷問機械としてであったが。

〈ふいご〉は古めかしい封建国家の愚かさを証立てる荘厳なモニュメントであった。こればかりはどんな放蕩者も唖然とせざるを得ない。地の底から沸いた藪睨みの異邦人たちはこれを〈エポシュケテア〉と呼んだが、その意味を人々が知ることになるのはずっと後年のことであった。

 これを〈ふいご〉と呼び習わしたのはチュニターの侍女であった。「花嫁のふいご」とは彼女の故郷に伝わる習俗のことだ。ふいごを手に橇で斜面を滑り降りる新郎とそれを待ち受ける花嫁。古き良き婚礼の祭式である。新郎たちの火照って赤らんだ顔つきは、まるでふいごに育てられた火の子供のようだった。

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