ハーレムヒロインに断罪追放された悪役令嬢の転生メイドですが、悪役令嬢様が大好きです

トーヤ

断罪悪役令嬢と何も変えられなかった転生者

 半分腐ってるみたいな嫌な匂いのする大きな木の扉を開けてみると、すごくほこりっぽい空気が充満していた。

「げっほ。おえっほ」

 豪快に咳き込むわたしの後ろでライザ様が、そっとハンカチを口元に当てていた。

 ライザ様はちょっとつり目気味の目が悪役令嬢としての風格を感じさせるお嬢様で、赤みがかった茶色の髪と目の色が気性の激しさをぴったり表していると思う。

 我が主人様あるじさまはかっこいい女性なのだ。

「はー。メイド服白くなっちゃいそう……思ってたよりもずっとひどいですね、お嬢様」

 王都大公館は館だけで常に300人は待機していたのに、それを思うと本当にしょぼい。さらに大公領なら5万の兵士すら集合できるお城があったのだ。なのに、この男爵領はこのちっぽけで古ぼけた館しかない。

「我慢するしかないわね」

「頑張ってお掃除しますね。それにしてもハンカチでくぐもっていても、お嬢様の声は綺麗です」

「何ばかなこと言ってるのよ。あと私のことはライザと呼びなさいと言ったでしょう」

「あら、すいません」

 もうお嬢様じゃないライザ様を、子供の頃からの癖でついついまた『お嬢様』と呼んでしまった。

「まったく、お前はいつも通りね」

 私が馬鹿なことを言って、お嬢様……ライザ様が素っ気なくそれをスルーする。私たちが子どもだったころから変わらないやりとりだった。

 年の近いわたしが幼いライザ様のお付きになれたのは身寄りがなかったからで、わたしはたぶん盾扱いだったのだと思う。

 当時ライザ様は最高レベルの魔法の才能を暴走させていて、たくさんの侍女や召使を怪我させたり困らせたりしていた。


 実際わたしが前世の記憶を取り戻せたのは幼いライザさまが癇癪かんしゃく起こして放った電撃魔法がわたしの頭を直撃したからだった。まぁ、結果オーライってやつ。髪の毛はそれ以来クルンクルンになったけど。

 思い出した乙女ゲームの記憶によると、ライザ様は貴族の子供たちの通う学園で卒業式パーティーの日に婚約者である王太子から婚約破棄を告げられさらに父親である大公様の悪事が露呈して、大公家から追放されることになる。

 だから本当は大公家からはすぐ逃げ出した方が良かったんだけれど、その気にはならなかった。

 ゲームで学園に登場する悪役令嬢ライザ様はそれはもう完成された悪役令嬢として関わるものをみんな傷つけて、手下はいるけど友達はいないという人だった。ヒロインをいじめるのだって、恋愛がどうというよりも王太子共々自分の支配下に置くための策略といった感じだったし。

 けれど、まだ幼い頃のライザ様は、冷たい親から愛情を受け損ねた子どもに過ぎなかった。

 前世の大人目線で見てみればライザ様は癇癪かんしゃく癖のある寂しい子どもで、ちょっと王国最高位の貴族でちょっと世界最高レベルの魔力を持っていたばかりに話が拗れていただけだ。

 そして子どもの癇癪かんしゃくくらい、ブラック保育園で園長にパワハラされながら60連勤した挙句にトラックにはねられて転生した自分にとっては日常だったし。

 ゲームの設定資料集によるとライザ様は癇癪かんしゃく起こす→魔法が出る→人を傷つける→怖がられる→ますます悪くなって行く というループで悪役令嬢として完成されていったという話だったので、わたしはそれを全力で止めに行った。

 チートではなかったけれど、それなりにあった魔法の才能を攻撃魔法を受け止める防御魔法に全振りしたわたしはライザ様の暴走を受け続けいなし続けた。

 そして、ライザ様の暴走が収まったら、ゆっくりとまたライザ様の後に寄り添って、慰めたりお菓子を運んだりしていた。

 そんな10年間を過ごしたから、受け魔法の技術だけはどんどん磨かれて最終的には攻略対象の脳筋俺様将軍子息にも「受けならこの俺様でもお前には一歩譲るなあ! お前が学園一だ!」とか言われたりした。……なんかエロくないこのセリフ?


 そんなこんなで、学園に入学するまでの10年間ライザ様と一緒にいたわたしは、ライザ様が入学するとそのままお付きとして学園に入学した。授業や実習中もライザ様をお守りするためだ。それにその頃にはライザ様の癇癪かんしゃくも収まっていたけれど、かわりにわたしを抱き枕にしないと眠れなくなっていたし。

 平民だったわたしも入学に合わせて大公領の跡継ぎのいない騎士の養女ということになった。大公様の御息女のお付きが平民でいいわけがないとか。


 入り口横に置いてある来客者用の小さな椅子にライザ様は気怠けだるげに腰をかけた。右手で頬杖をつく。

「さて、もうそろそろいいでしょう? お前はもう私を送り届けるという仕事を終えたんだから」

 なんだかライザ様が無表情。美しき悪役令嬢だったライザ様がそういう顔をすると迫力がある。

「なんのお話です?」

「私、知っているわよ」

「えーっと、こっそり金貨をメイド服に縫い付けていることですか? いざと言う時のためにとってあるだけですよ。ほんとほんと」

「お前、誘われているんでしょう?」

「縁談の類ですか? 一応なくはなかったですけど。これでもライザ様のお付きでしたからそれなりには。騎士とか男爵とか裕福な隊商とか……でもまぁ、この騒動で全部撤回されちゃいましたけどね」

 一方的にコナかけられて、一方的にフラれた数だけならこの世界でもトップクラスなんじゃないかな、わたし。フラれた数だけチート級、なんちゃって。

 わたしの言葉はライザ様に遮られる。

「違うでしょ」

 ライザ様はわたしのことをしっかりと見据えた。相変わらずゴージャスな悪役令嬢の顔立ちをされていて素敵……。

「あの女……お前のヒロイン様によ」

 なんでライザ様がヒロインという言葉を知っているかというと、前世の記憶に沿った行動をするわたしを不思議に思ったライザ様にゲームの内容をお話ししたのだ。

 幼いライザ様はその後たくさんの治癒魔法使い達にわたしの頭を見せてくださるという優しさを身につけたので、誠心誠意正直に転生した話をして良かったと思う。


 わたしはなんでもないという感じでライザ様に答える。

「マリー王太子婚約者様ですか。あの方とは夜の練習場で一緒になることが多かっただけですよ」

「へぇ……」

 あ、ヤバイ。ライザ様から疑いのオーラが出てる。立ち絵っぽい。

「魔法の練習をしていただけです、お互い自主練する時間はそのあたりしかなかったから、そこでよくマリーと一緒になっただけですって。わたしは防御魔法に優れている関係で実力者たちの練習相手にちょうど良かったんですって。ほんとほんと」

「子供の頃から口にしていた、憧れのヒロインとそれだけの関係で済むかしら?」

「あー、それはですね」

 確かに、ライザ様が寝れない時の暇つぶしでゲームの話を聞くことはあったし、その度にヒロインの素敵さの話はしていた。

 この世界は珍しく転生ゲーム世界なのにヒロインがちゃんとヒロインしていたのだ。別の転生者でもないし、ゲスインでもない本当の正統派ヒロインだったから、入学当時はすごく嬉しかった。

 けれど。

「実は学園で会ってみたら、あんまりマリー様のこと好きになれなかったんですよねぇ」

「あれを嫌う人間がいるなんて驚きだわ」

 ライザ様がそう言うのも無理はない。この世界のマリーはハーレムエンドを達成したのだ。それはもう学園中の男ども全員がマリーに恋しているかのようなありさまだった。

「Sランク光魔法の才能を持っていて、努力家で思いやりにあふれていて、人のことによく気がつくヒロイン、マリーも現実に見てみると、天才すぎて平凡ぶられても嫌味でしたねぇ……」

「そうね」

「それにわたし思っちゃったんですよね。王太子様もマリーも政治的すぎるって」

 ゲームとなにより違っていたのは、そこだ。平民出の光の乙女を王子が選ぶというのは、それ自体が政争だったということだ。

 ゲームの世界でキラキラのロマンスをしていた王太子様も地に足ついたこの世界では普通に政治家の顔も持っていた。

 才能がすごくて平民出のヒロインを側妃ではなくて、正妃として迎えると言うのは、愛だけのワザではなくて、これからは血縁だけでなく才能あるものならどんどん活躍の場を与えるという政治的なアピールでもあったのだ。大公様率いる伝統派と決別するというアピール。

 そしてマリーも貴族が幅をきかせる国を変えたいと言う志を持っていた。

「実際、みんな言う通り建国から二百年、ずっと続いてきた貴族政治が行き詰まっていたのは事実でしたよ。偉そうにするばっかりでロクに仕事しないお貴族様多かったし」

 大公様も権力争いばっかり上手かったしなぁ。

「まぁ、そんなわけで。卒業パーティーの後にマリー様に声をかけていただいたのは本当なんですが、断りました」

 ライザ様が安心してくれるかなと思って、その表情をチラ見する。

 ライザ様は少し悲しげに笑った。ライザ様のそういう顔は見たくないので、ちょっと焦る。

「少し違うわね。お前は断ったつもりかもしれないけれど、その約束は今も生きているんでしょう? マリーはお前を気に入っていたもの」

 ライザ様は唇を片方だけ吊り上げる。その迫力に背筋が冷える。ああ、ゲームの立ち絵で見た表情だわ。

「私を捨てて帰ってくるだけでも、マリーの臣下として取り立てられて、私の首を取れば爵位までもらえる。そんなところじゃないかしら」

「ご存知でしたか……」

「推測しただけよ。ふん、私もまだ価値があるのね」

 そう、なにもかもゲーム通りになってしまったこの世界の唯一まだゲーム通りじゃないところが、ライザ様が追放先で大公家に恨みを持つものに暗殺されるという点。

 ゲームだと一行程度で片付けられる、事の顛末てんまつだ。

「断りましたって。わたしにライザ様を殺せるわけないじゃないですか」 

「まぁ、お前がすごいのは防御魔法だけだものね」

 そういう意味じゃないんだけどな。まぁいいや、笑い話にしちゃおう。

「防御Sランクあと全部Eランクで学園に名を轟かせましたからね」

 チート級じゃない私の才能は防御魔法全振りで使い果たされたのだ……。

「決闘授業、20連続引き分けの記録は学園新記録だものね。ついた通り名が『大公家の鉄亀』」

「これほど冴えない通り名もないですよねー」

 わたしが情けない声を出して変顔をすると、ライザ様も笑ってくれた。

 わたしもつられて、あはは、と笑う。

 空気を変えられたかな? と思った時に、ポツリとライザ様が言った。

「いいわよ、お前になら」

「え?」

 ライザ様は髪をかき上げた。

「ゲームの舞台を見たいとかいう、くだらない妄想も終わったんでしょう? もう私に従う理由もないわ。お前を自由にしてあげる」

「何言ってるんですか……」

 わたしは笑い飛ばそうとしたけれど、ライザ様の真剣な表情に半笑いしかできなかった。

「お前は私の首を持って、マリーのところに行きなさい。それが忠義を尽くしてくれたお前に渡す褒美よ」

「いやですよ……そんなの」

「お前は私が優しいと思っているでしょう」

 ライザ様は首を横に振る。

「お前は生贄だったのよ、魔法を暴走させていた私の」

 ライザ様の声は少し震えていた。

「お前が来た時、父に言われたわ『平民ごとき壊してしまってかまわないよ。適当に使い潰して魔法の制御方法を学ぶ練習台にしなさい』とね」

「でも、ライザ様は優しかったじゃないですか」

「お前は自分が壊れたことすらわかってないのね。何度も魔法で攻撃してきて、頬に大きな傷までつけるような奴は優しくないのよ」

 あれ、わたしの前世信じてくれてたんじゃ……?

 確かわたしの頬には傷がある。まだ小さい頃にライザ様の魔法を受け損ねた時にできたものだ。

「親元から離され、せっかく持って生まれた魔法の才能は、私のために防御に全振りさせられて、顔には傷が残っているのよ。お前には私に復讐する権利があるわ」

 ライザ様が秘密にしていた、わたしへの罪の意識を口にされて、わたしの胸に浮かび上がったのは怒りじゃなかった。


 という暗い納得。


 このゲーム通りになった世界で、回収されていないのは、ライザ様が追放先で大公に恨みを持つものに暗殺される事。

 だからわたしはこの道中、暗殺が行われないかずっと警戒してきていた。それなのに、これだ。

 大公家に恨みを持つ者、確かにその条件にわたしは当てはまっていた。

 ゲーム通りの素敵な世界で、私に割り当てられた仕事がこれなのか。

 ライザ様が懐の短剣をわたしに向かって投げる。受け取って、その豪華な鞘から刃を抜くと、鋭い刃先が光った。

 ライザ様と目が合う。ライザ様は微かに頷いた。瞬間、わたしの感情が弾けた。

「嫌ですよ、そんなの」

 わたしはその刃先を自分の首筋に押し当てる。

 ライザ様の驚いた顔は久しぶりに見た。

「何をしているのよ」

「ライザ様がもう諦めるとおっしゃるなら、わたしは先にあの世に行ってライザ様の転生先に先に行っておきます」


 ライザ様の顔が辛そうに歪んだ。

「まだそんな夢のようなことを。さっきも言ったでしょう、私はお前の忠義に値するような人間ではないのよ」

「でもライザ様、それならわたしも知っていますよ」

「何を」

「私の親にお金と手紙を送ってくれていたんですよね、他にも大公様にスパイではないかと疑われていた、わたしのことを庇ってくれたことも知ってます」

 ゴリゴリの貴族主義者の大公様がわたしみたいな平民出を信用するわけがない。わたしがライザ様の側にいられたのはライザ様のおかげだった。

 ライザ様は黙っている。だから私は言葉を重ねた。

「ライザ様が世に出る前にこんなことになったのは、本当に残念に思っています。けれどライザ様は政治の大事な道具として王家に嫁ぐよりも、こうして自分の領地を持ってご自分の足で立たれているのが、似合いますよ」

 わたしは息切れして、顔を赤くして息つぎする。

「そんな堂々としたライザ様がわたしは好きです」

 しばらく私たちの間に沈黙が流れた。


 ライザ様が観念したように右手を出して、わたしは鞘に収めた短剣を渡した。

「何か別の褒美を考えなくてはね」


   ※


 私たちは館の二階に登って、庭に面したバルコニーに出た。

 ここは盆地にある男爵領の北の端にあるので、四方を山に囲まれた盆地がよく見渡せた。

「いい眺めですね」

「何もないわ」

 ほとんど何もない緑の大地が広がっている。避暑地としてなら素晴らしいかもしれない。

「育てますか、ここ」

「そうね、せめて劇場が建つくらいにはしたいわ」

「全力でお供しますよ、女男爵様」

「女男爵か……案外悪い気はしないわね」

「やっぱり」

「なにがよ?」

「ライザ様はかっこいいなぁって」

「馬鹿ねぇ……」

 ライザ様はきしむ手すりにもたれかかる。

「私はもう大貴族じゃないわよ。厄介払いされて、死んでくれた方が面倒がなくて良いとすら思われている下級貴族。本当にそれでもいいのね?」

 ライザ様がこちらを横目で見ていた。

「なんだそんな事ですか。もちろん構いませんよ」

「そんなこと言うなら、わたしももうゲーム知識とか役立てれませんし」

 ライザ様が眉を上げる。

「やれやれ。お前が妄想から解放された事だけは、良かったのかもね」

 ひどっ。

「そういえば、さっき何か別の褒美を考えるっておっしゃってましたよね?」

「言ってみなさい」

「私のデザインした服を着てくれます?」

 ライザ様は顔をしかめた。

「女子が見せて良いのは顔と足首だけよ」

「えぇー、さっきなんでもするって言ってくれませんでしたっけ?」

「言ってないわよ」

「そんなー」

 言いながら、わたしとライザ様は笑った。


 わたしは現代チートもできなかったんだよね。料理チートしようにも砂糖もないし、ファッションに関してはセンスが違いすぎて誰にも受けない。

 ドレスを作っただけで、こんなボディラインが出るなんてふしだらだとか言われたし。

 だからこれからは正真正銘なんのチートもない育成モノの開始になってしまう。けれど横にライザ様がいるので、全然悪い気分にならなかった。


 笑いが収まった後、私はライザ様にそっとささやく。

「死ぬまでついて行きますよ、ライザ様」

「それならお前は随分と長い時間私のそばにいることになるでしょうね」

 ライザ様は風景から目をそらさずに話していた。

「お前がいれば私は何者にも負けないもの」

 ライザ様は風景を眺めていて、その横顔は美しいまま。ただそれでも少し頬が赤くなっている気がした。

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