恋する表参道♪ ④

「――はい、愛美ちゃん。カフェオレでよかったかな?」


 純也さんは、途中の自動販売機で買ってきた冷たい缶コーヒーを愛美に差し出す。自販機ではクレジットカードなんて使えないので、もちろん小銭で買ったのだ。

 愛美は紅茶も好きだけれど、カフェオレも好きなので、ありがたく受け取った。


「ありがとうございます。いただきます」


 プルタブを起こし、缶に口をつける。純也さんも同じものを買ったようだ。


「――愛美ちゃん、お目当ての本、見つかってよかったね」


「はい。純也さんは何も買われなかったんですか? 読書好きだっておっしゃってたのに」


 書店で商品を購入したのは愛美だけで、純也さんは本を手に取るものの、結局何も買っていないのだ。


「うん……。最近は仕事が忙しくてね、なかなか読む時間が取れないんだ。それに、このごろはどんな本を読んでも面白いって感じられなくなってる。昔は大好きだった本でもね」


 悲しそうに、純也さんが答えて肩をすくめる。――大人になると、価値観が変わるというけれど。好きだったものまで好きじゃなくなるのは、とても悲しいことだ。


「じゃあ、わたしが書きます。純也さんが読んで、『面白い』って思ってもらえるような小説を」


「愛美ちゃん……」


「あ、もちろん今すぐはムリですけど。小説家デビューして、本を出せるようになったら。その時は……、読んでくれますか?」


 この時、愛美の中で大きな目標ができた。大好きな人に、自分が書いた本を読んでもらうこと。そして、読んだ後に「面白かったよ」って言ってもらうこと。目標ができた方が、夢を追ううえでも張り合いができる。


「もちろん読むよ。楽しみに待ってる。約束だよ」


「はい! お約束します」


 この約束は、いつか必ず果たそうと愛美は決意した。


「――それにしても、純也さんってよく分かんない人ですよね」


「え……? 何が?」


 唐突に話が飛び、純也さんは面食らった。


「だって、ブラックカードでホイホイお買いものするような人が、ちゃんと小銭も持ち歩いてるんですもん。確か、交通系のICカードもスマホケースに入ってましたよね」


「見てたのか。――うん、今日も電車で来た。僕はできるだけ、〝人並みの生活〟をするようにしてるんだ」


「〝人並みの生活〟……?」


 愛美は目を丸くした。〝人並み以上の生活〟ができている人が、何を言っているんだろう?


「うーんと、僕の言う〝人並みの生活〟っていうのはね、世間一般の常識からズレない生活ってこと。コンビニで買いものしたり、自炊したり、公共の交通機関を利用したり。車の運転もそう。――金持ちだからって、世間知らずだと思われたくないんだ。特にウチの一族は、一般の常識からはズレた考え持ってる連中の集まりだからね」


「……そこまでサラッとディスっちゃうんですね。自分のお家のこと」


 愛美も心配になるくらい、純也さんは辛辣しんらつだった。自分があの一族に生まれ育ったことがイヤでイヤで仕方がないんだろう。


「だって、事実だからさ。……あっ、ココだけの話だからね? 珠莉には言わないでほしいんだけど」


「分かってます。わたし、口は堅いから大丈夫です」


「よかった」


 彼も一応は、言ってしまったことを少なからずやんでいるらしい。愛美が「口が堅い」と聞いて、ホッとしたようだ。


(口が堅いっていえば、珠莉ちゃんもだ)


 彼女は絶対に、愛美に対して何か隠していることがある。でも、いつまで経っても打ち明けてはくれないのだ。――ことの発端ほったんは、約一ヶ月前に純也さんが寮を訪れたあの日。


「――ところで純也さん。先月寮に遊びに来られた時、帰り際に珠莉ちゃんと二人で何話してたんですか?」


「ん?」


 とぼけようとしている純也さんに、愛美は畳みかける。


「純也さん、わたしに何か隠してますよね?」


「……ブッ!」


 ズバリ問いただすと、純也さんは動揺したのか飲んでいたカフェオレを噴き出しそうになった。


「あ、図星だ」


「ゴホッ、ゴホッ……。いや、違うんだ。……確かに、大人になったら色々と秘密は増える。愛美ちゃんに隠してることも、あるといえばある……かな」


 むせてしまった純也さんは必死に咳を止めると、それでも動揺を隠そうと弁解する。


「何ですか? 隠してることって」


「愛美ちゃんのこと、可愛いって思ってること……とか」


「え…………。わたしが? 冗談でしょ?」


 さっきまでの動揺はどこへやら、今度はサラッとキザなことを言ってのける純也さん。愛美は顔から火を噴きそうになるよりも、困惑した。


(やっぱりこの人、よく分かんないや)


「いや、冗談なんかじゃないよ。僕は冗談でこんなこと言わない」


「あー…………、ハイ」


 どうやら本心から出た言葉らしいと分かって、愛美は嬉しいやらむず痒いやらで、俯いてしまう。


(コレって喜んでいいんだよね……?)


 生まれてこのかた、男性からこんなことを言われたことがあまりないので(治樹さんにも言われたけれど、彼はチャラいので別として)、愛美はこれをどう捉えていいのか分からない。


「……純也さんって、女性不信なんですよね? 珠莉ちゃんから聞いたことあるんですけど」


「珠莉が? ……うん、まあ。〝不信〟とまではいかないけど、あんまり信用してはいないかな」


「どうして? ――あ、答えたくなかったらいいです。ゴメンなさい」


 あまり楽しい話題ではないし、純也さんの事情にあまり踏み込んではいけない。だから、本人が答えたくないなら愛美は知る必要もなかったのだけれど。


「う~~ん、どう言ったらいいかな……。昔から、僕は打算で近づいてくる女性としか付き合ったことがないんだ。『僕と結婚したら、辺唐院一族の一員になれる』って計算があったり、財産が目当てだったり。言ってる意味分かる?」


「なんとなくは。つまり、本気で好きになってもらったことがないってことですよね」


「うん、そういうこと。大人になってからは特にひどい」


(純也さん、かわいそう……)


 愛美は思わず、彼に同情した。そんな恋愛ばかり経験してきたら、女性と知り合うたびに「この女もどうせ打算なんだろう」と穿うがった見方しかできなくなるのも当然だ。それくらいのこと、恋愛未経験者の愛美にも分かる。


「でも愛美ちゃんは、僕が今まで出会ったどんな女性とも違った」


「えっ?」


 愛美が不思議そうに瞬くと、純也さんは嬉しそうに続けた。


「君には打算なんてひと欠片もないし、逆に『生まれ育った環境なんてどうでもいい』って感じだよね。君は純粋でまっすぐで、僕のことを〝資産家一族の御曹司〟じゃなく、〝辺唐院純也〟っていう一人の人間としていつも見てくれてる。そういう女の子に、今まで出会ったことなかったから嬉しいんだ」


「純也さん……」


 愛美は人として当然のことをしているつもりなのに。今まで偏見やイジメに苦しめられてきたからこそ、自分は絶対にそういう人間にはなるまいと心がけてきただけだ。

 でも――、純也さんは愛美のそんな心がけを〝嬉しい〟と言ってくれた。


「愛美ちゃん、ありがとう。僕は君に出会えてよかったと思ってるよ」


「いえいえ、そんな」


 彼のこの言葉は、受け取り方によっては告白とも解釈できるのだけれど。恋愛初心者の愛美には、そんなこと分かるはずもなかった。


「――あ、そうだ。連絡先、交換しようか」


「え……、いいんですか?」


 自分からは、とてもそんなことを言い出す勇気がでなかったので、愛美の声は思いがけず弾んでしまう。


「うん、もちろん。実は、前々から愛美ちゃんに直接連絡取りたいなって思ってたんだ。それに毎度毎度、珠莉を通して色々ツッコまれるのも面倒だし」


「面倒……って」


 前半は愛美も嬉しかったけれど、後半のひどい言い草には絶句した。実の叔父から「面倒だ」と言われる姪ってどうなの? と思ってしまう。けれど。


「……まあ確かに、直接連絡取り合えた方が便利は便利ですよね」


 という結論に達し、二人はお互いのスマホに自分の連絡先を登録するという方法で、アドレスを交換した。


「――愛美ちゃん、スマホ使い始めて二年目だっけ? ずいぶん慣れてるね」


 純也さんのスマホに自分の連絡先をパパパッと打ち込んでいく愛美の手つきに、彼は感心している。


「だって、もう二年目ですよ? 一年前のわたしとは違って、一年も経てば色々と使いこなせるようになってますから」


 この一年で、愛美はスマホの色々なアプリや機能を使いこなせるようになったのだ。動画を観たり、音楽を聴いたり、写真を撮ったり、SNSのアプリでさやかや珠莉と連絡を取り合ったり。スマホでできることは、電話やメールだけじゃないんだと実感できて、今ではすっかり楽しんでいる。


「いや……、でもスゴいよ。やっぱり若いなぁ」


「そんなことないです。純也さんだってまだまだ若いですよ。――はい、登録完了、と」


 愛美はデニム調のスマホカバーを閉じ、純也さんに返した。愛美のスマホには、先に彼が連絡先を登録してある。


「ありがとう。――おっ? さっそく『友だち登録』の通知が来た」


「あ、わたしにも。……フフッ、なんか嬉しいな」


 思わず笑みがこぼれる。

 純也さんは友達の叔父さんで、十三歳も年上で。一年前には近づくことすらできなかった人。でも今こうして、二人で並んでベンチに座って話をして、SNSの上でも繋がりができた。

 愛美の恋は、少しずつだけれど確実に前に進んでいる。


「これで珠莉に気がねすることなく、いつでも連絡できるね」


「はい!」 


 なんだかんだで、純也さんも嬉しそうだ。


(もしかして珠莉ちゃんたち、わざわざわたしと純也さんが二人きりになれるように気を利かせてくれたのかな……?)


 愛美はふとそう考えた。「ブランドものには興味がない」と言っていたさやかまでが、珠莉について行った理由もそう考えれば辻褄つじつまが合う。

 さやかは元々友達想いな優しいコだし、場の空気を読むのもうまい。そして何より、彼女は愛美の純也への想いも知っているのだ。


(そのおかげで、こうして純也さんとの距離をちょっとだけ縮めることもできたワケだし。二人にはホント感謝だなぁ)


 愛美が親友二人の大事さを、一人噛みしめていると――。


 ♪ ♪ ♪ …… 愛美のスマホが着信音を奏でた。


「――あ、電話? さやかちゃんだ。出ていいですか?」


 人前で電話に出るのは失礼にあたる。いくら一緒にいるのが純也さんでも。――愛美は彼にお伺いを立てた。


「うん、どうぞ」


「はい。――もしもし、さやかちゃん?」


『愛美、今どこにいんの?』


「今? えーっと……、メトロの表参道駅の近く。純也さんと本屋さんに行って、ちょっとベンチでお話してたの」


 愛美は純也さんに申し訳なさそうにペコリと頭を下げると、少し離れた場所へ移動する。この後、彼に聞かれたら困る話も出てくるかもしれないと思ったからである。


『そっか。あたしたちもやっと買いもの終わったとこでさぁ、ちょうど表参道沿いにいるんだ。――で、どうよ? 二人っきりになって。何か進展あった?』


「えっ? 何か……って」


 明らかに〝何か〟があって動揺を隠しきれない愛美は、「やっぱり純也さんと離れてよかった」と思った。


「……えっと、純也さんに『可愛い』、『出会えてよかった』って冗談抜きで言われた。あと、連絡先も交換してもらえたよ」


『えっ、それマジ!? それってほとんど告られたようなモンじゃん!』


「え……、そうなの?」


『そうだよー。アンタ気づかなかったの? もったいないなー。じゃあ、アンタから告白は?』


「…………してない」


 そう答えると、電話口でさやかにため息をつかれた。それでやっと気づく。さやかたちが愛美を純也さんと二人きりにしてくれたのは、愛美が告白しやすいようなシチュエーションをお膳立てしてくれたんだと。


『なぁんだー。ホントもったいない。せっかく告るチャンスだったのに。……でもまあ、ほんのちょっとでも距離が縮まったんならよかったかもね』


「……うん」


 愛美は恋愛初心者だから、告白の仕方なんて分からない(小説では読んでいるけれど、現実の恋となると話は別なのである)。だから、純也さんと少しでも近づけただけで、今日のところは大満足なのだ。


『じゃあ、もうじきそっちに合流できるから。また後でね』


「うん。待ってるね」


 ――電話が切れると、愛美は純也さんのいるベンチに戻った。


「ゴメンなさい。電話、長くなっちゃって」


「さやかちゃん、何だって? なんか、僕に聞かせたくない話してたみたいだけど」


 ちょっとスネたような言い方だけれど、純也さんはむしろ面白がっているようだ。女子トークに男が入ってはいけないと、ちゃんと分かっているようである。


「ああー……。えっと、さやかちゃんと珠莉ちゃんも今、表参道沿いにいるらしくて。もうすぐ合流できるって言ってました」


「それだけ?」


「いえ……。でも、あとは女子同士の話なんで。あんまりツッコまれたくないです。そこは察して下さい」


 純也さんだって、一応は大人の男性なのだ。そこはうまく空気を読んで、訊かないようにしてほしい。


「…………うん、分かった」


 ちょっと納得はいかないようだけれど、純也さんは渋々頷いてくれた。

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