第1章・高校一年生

旅立ち、新生活スタート。 ①

 ――それから半年が過ぎ、季節は春。愛美が〈わかば園〉を巣立すだつ日がやってきた。


「――愛美ちゃん、忘れ物はない?」


「はい、大丈夫です」


 大きなスポーツバッグ一つを下げて旅立っていく愛美に、聡美園長が訊ねた。


「大きな荷物は先に寮の方に送っておいたから。何も心配しないで行ってらっしゃい」


「はい……」


 十年以上育ててもらった家。旅立つのが名残なごり惜しくて、愛美はなかなか一歩踏み出せずにいる。


「愛美ちゃん、もうタクシーが来るから出ないと。ね?」


 園長だって、早く彼女を追いだしたいわけではないので、そっと背中を押すように彼女をうながした。


「はい。……リョウちゃん」


 愛美は園長と一緒に見送りに来ている涼介に声をかけた。


「ん? なに、愛美姉ちゃん?」


「これからは、リョウちゃんが一番お兄ちゃんなんだから。みんなのことお願いね。先生たちのこと助けてあげるんだよ?」


 この役目も、愛美から涼介にバトンタッチだ。


「うん、分かってるよ。任せとけって」


「ありがとね。――園長先生、今日までお世話になりました!」


 愛美は目をうるませながら、それでも元気にお礼を言った。


 ――動き出したタクシーの窓から、だんだん小さくなっていく〈わかば園〉の外観を切なく眺めながら、愛美は心の中で呟いた。


(さよなら、わかば園。今までありがとう)


 駅に向かう道のりは長い。朝早く起きた愛美はおそってきた眠気に勝てず、いつの間にか眠っていた――。


****


 JRジェイアール甲府こうふ駅から特急で静岡しずおか県の新富士ふじ駅まで出て、そこから新横浜駅までは新幹線。

 そこまでの切符きっぷは全て、〝田中太郎〟氏が買ってくれていた。


(田中さんって人、太っ腹だなあ。入試の時の往復の交通費も出して下さったし)


 新幹線の車窓しゃそうから富士山を眺めつつ、愛美は感心していた。

自分が指定した高校を受験するからといって、一人の女の子に対してそこまで気前よくするものだろうか? もし合格していなかったら、入試の日の交通費はドブに捨てるようなものなのに。


(ホントにその人、女の子苦手なのかな……?)


 園長先生がそんなことを言っていた気がするけれど。自分にここまでしてくれる人が、女の子が苦手だとはとても思えない。

 もしも本当にそうなのだとしたら、何か事情があるのかもしれない。



****


 愛美が目指す私立茗倫女子大付属高校は山手の方にあるので、新横浜からは地下鉄に乗り換えなければならないのだけれど。


「……あれ? 乗り換えの駅はどこ~?」


 早くも複雑ふくざつ怪奇かいきな地下街で迷子になってしまった。

 スマホがあれば行き方を検索することもできるけれど、残念ながら愛美はスマホを持っていないし持ったこともない。

 

 目の前にはパン屋さんがあり、美味しそうなにおいがしてくる。


「お腹すいたなあ……」


 お昼を過ぎているし、昼食代わりにパンを買って食べるのもいいかもしれない。

 愛美は焼きたてのメロンパンを買うついでに、店員さんに山手に行く路線の駅を訊ねた。店員のお姉さんは親切な人で、愛美にキチンと教えてくれた。


 券売機で切符を買い、改札を抜け、ホームでメロンパンをかじりながら電車を待つ。


 施設にいた頃には、こんな経験をしたことがなかった。自分で切符を買うのも、人に道を訊ねるのも初めての経験で、愛美はドキドキしっぱなしだ。


「次は、どんなドキドキが待ってるんだろう?」


 自動販売機で買ったカフェラテを飲みながら、愛美はワクワクする気持ちを言葉にして言った。


****


 ――茗倫女子大付属高校は〝名門〟というだけのことはあって、敷地だけでも相当な広さをほこっている。愛美が通っていた地元の小中学校や、それこそ〈わかば園〉とは比べものにならない。


「わあ……! 大きい!」


 その立派な門を一歩くぐるなり、愛美は歓声を上げた。


 敷地内には、大きな建物がいくつも建てられている。高校と大学の校舎に体育館、図書館に付属病院まである。さすがは大学付属だ。

 

 そして、愛美がこれから生活を送る〈双葉ふたば寮〉も――。


「こんにちは! ……あの、これからお世話になる相川愛美です。よろしくお願いします」


 寮監りょうかんの先生と思われる女性に、愛美はおそるおそる声をかけてみる。――果たして、これが寮に入る新入生の挨拶あいさつとして正しいのかは彼女にも分からないけれど。


「はい、相川愛美さんね。ご入学おめでとうございます。――これ、校章と部屋割り表ね」


「ありがとうございます。――えーっと、わたしの部屋は、と。……ん?」


 渡された部屋割り表でさっそく自分の部屋番号を確かめた愛美は、そこに自分の名前しか載っていないことに驚く。


「わたし……、一人部屋なんですか?」


「ええ。入学が決まった時に、保護者の方からご要望があったそうよ。あなたには一人部屋を与えてやってくれ、って」 

 

(保護者って……、〝田中さん〟だ!)


 もしくはその秘書の久留島という人だろう。愛美が施設ではずっと六人部屋だったことを知っているから、せめて高校の寮生活では一人部屋を……と希望したに違いない。


「まあ、この先一年だけだから。学年が上がれば部屋替えもあるし」


「はあ……。ありがとうございます」


 寮監の先生――名前は森口もりぐち晴美はるみというらしい――は、一人部屋になった愛美がさびしがっていると思ったらしいけれど。当の愛美本人は初めての一人部屋が嬉しくてたまらなかった。


「寮の玄関前にもう荷物は届いてるはずだから、行ってごらんなさい」


「はい」


 森口寮監に言われた通りに〈双葉寮〉の玄関前に行ってみると、そこには他の新入生の女の子たちがみんな集まっている。


「あの、新入生の相川愛美ですけど。わたしの荷物、届いてますか?」


 その中に一人混じっている、学校の職員とおぼしき中年男性に愛美は声をかけた。


「相川愛美さん……ですね。入学おめでとう。君の荷物は……と、あったあった! これに間違いないですか?」


 彼が持ち上げたのは、ピンク色の小さめのスーツケース。ちゃんと荷札が貼ってある。

 施設の部屋にはそんなにたくさんものが置けなかったため、愛美個人の荷物は少ない。だからこれ一つでこと足りたのだ。


「――あ、それから。もう一つ小包みが届いてますよ」


 彼はそう言って、小さめの箱を愛美に手渡した。

 箱の大きさはノートくらいで、厚みは四~五センチくらいだろうか。


「えっ、小包み? ありがとうございます」


 愛美は小首を傾げながらも、お礼を言って受け取った。


「誰からだろう? ……ウソ」


 貼られている伝票を確かめて、目を丸くする。差出人の名前は、〝久留島栄吉〟。――あの〝田中太郎〟氏の秘書の名前だ。


(一体、何を送ってくれたんだろう……?)


「こわれもの注意」のステッカーが貼られているけれど、品物が何なのかまでは皆目かいもく見当がつかない。


「まあいいや。部屋に着いてからゆっくり開けようっと」


 箱をスーツケースに入れ。部屋に向かおうとすると――。


「ちょっと! 私が相部屋になってるってどういうことですの!? 父から『一人部屋にしてほしい』と連絡があったはずでしょう!?」


 一人の女の子のかなり声が聞こえてきて、愛美は思わず足を止めた。


 先ほどまで自分がいた方を見れば、声の主はスラリと背の高い女の子。彼女はあの男性職員に何やら食ってかかっている様子。


へんとういん珠莉じゅりさん。申し訳ありませんが、一人部屋はもう他の新入生が入ることになっていて。今更変更はできません」


「ええっ!? ウソでしょう!?」


(一人部屋……、って私が使うことになった部屋だ……)

 

 二人の口論こうろんを耳にして、愛美は何だかいたたまれなくなった。

 自分に一人部屋が当たったことで、この子の希望が叶わなくなったんだ。  

 ――もっとも、愛美が望んでそうなったわけではないので、彼女が責任を感じる必要はないのだけれど。


 ――と。


「まぁったく、ヤな感じだよねえあの子」


「……え?」


 嫌悪けんお感丸出しで、一人の女の子が愛美に声をかけてきた。とはいっても、その嫌悪感の矛先ほこさきは愛美ではなく、男性職員ともめている長身の女の子の方らしい。


 身長は百五十センチしかない愛美より少し高いくらい。肩まで届かないくらいの黒髪は、少しウェーブがかかっている。


「あの子ね、あたしと同室になったんだけど。それが気に入らないらしいんだよね。ったく、あたしだってゴメンだっつうの。あんな高ビーなお嬢がルームメイトなんて」


「あの……?」


 多少口は悪いけれど、突っ張っている風でもない彼女に愛美は完全に気圧けおされている。


「――あ、ゴメン! あたし、牧村まきむらさやか。よろしくね。アンタは?」


「あ、わたしは相川愛美。よろしく。『さやかちゃん』って呼んでもいい?」


「うん、いいよ☆ じゃああたしは『愛美』って呼ぶね。あたしたち、部屋隣り同士みたいだよ」


「えっ、ホント?」


 早くも友達になれそうな子ができて、愛美はますますこの高校での生活が楽しみになってきた。


 その一方で、辺唐院珠莉と男性職員との口論はまだグダグダと続いていた。


「あの……。よかったら、わたしと部屋代わる?」


 見かねた愛美が、おずおずと珠莉に部屋の交換を申し出たけれど。


「いいよ、愛美。そんな子のワガママに付き合うことないって。――ちょっとアンタ! あたしと同室なのがそんなに気に入らないの!?」


 どうやらさやかは、言いたいことをズバズバ言うタイプの子らしい。


(さやかちゃん……、そんなにはっきり言わなくても)


 愛美は絶句した。これ以上話をこじれさせてどうするのか、と。

 〈わかば園〉にいた頃はケンカらしいケンカもなかったので、愛美は基本的に平和主義者だ。人のケンカやもめ事に首を突っ込むのは苦手である。


 けれど、この場では愛美も当事者なのだ。珠莉のいかりの矛先が愛美に向くこともあるかもしれない。そうなった時の対処法を彼女は知らない。


(わ……、なんかすごい人集まってる!)


 愛美が驚いた。気づけば、「周りには大勢の新入生や在校生と思われる女の子たちがさわぎを聞きつけて、「なんだなんだ」と集まってきていたのだ。


「……同室? じゃあ、あなたが牧村さやかさん?」


「そうだけど。なんか文句ある?」


 仁王立ちで言い返すさやかに、珠莉は毒気を抜かれたらしい。というか、人前で悪目立ちしてしまったことが格好カッコ悪かったらしい。


「……いいえ。別に、気に入らないわけじゃないけど。もういいですわ。私は二人部屋で」


 プライドが高そうな珠莉は、こんな下らない理由で目立ってしまったことを恥じているらしく、あっさりと折れた。


「――で、あなたが一人部屋を使うことになった相川愛美さん? お部屋はあなたにお譲りするわ」


「え……? う、うん。ありがとう」


 これって喜ぶべきところなんだろうか? 愛美は素直に喜べない。というか、上から目線で言われたことがシャクさわって仕方がない。


「――ま、これで部屋問題は解決したワケだし。早く自分の荷物、部屋まで運ぼうよ」


 さやかが愛美と珠莉の肩を叩いて促す。

 ……のはいいとして、愛美は荷物が少ないからいいのだけれど。二人の荷物はかなり多い。どうやって運ぶつもりなんだろう? 愛美は首を傾げた。


「牧村さん、辺唐院さん。カートがありますから、使って下さい。後で回収に回りますから」


「「ありがとうございます」」


 二人がカートに荷物を乗せてから、愛美も合流して三人で二階の部屋まで移動した。

 幸い、この建物にはエレベーターがついているので、荷物を運ぶのはそれほど大変ではなかった。


****


「じゃ、改めて自己紹介するね。あたしは牧村さやか。出身は埼玉さいたま県で、お父さんは作業服の会社の社長だよ」


「えっ? さやかちゃんのお父さん、社長さんなの? スゴーい☆」


 愛美はさやかの父親の職業を知ってビックリした。こんなに姉御アネゴ肌でオトコマエな性格の彼女も、実は社長令嬢だったなんて……!


「じゃあ、さやかちゃんもお嬢さまなの?」 


「いやいや。そんないいモンじゃないよ、あたしは。お父さんの会社だってそんなに大きくないし。〝お嬢さま〟っていうんなら、珠莉の方なんじゃないの? ね、珠莉?」


「えっ、そうなの?」


 確かに、珠莉は初めて見た時から、住む世界の違う人のように感じていたけれど。


「うん。だってこの子、超有名な〈辺唐院グループ〉の会長さんのご令嬢だもん。そうだよね、珠莉?」


「ええ。確かに私の父は〈辺唐院グループ〉の会長だけど」


「へえ……。っていうか、〈辺唐院グループ〉って?」


 山梨の山間部で育ち、しかも施設にいた頃はあまりTVテレビを観る機会もなかった愛美にはピンとこない。


きゅう財閥ざいばつ系の名門グループだよ。いくつも大きな会社とかホテルとか持ってるの。すごいセレブなんだー」


「スゴい……」


(やっぱり住む世界が違うなあ。わたし、ここでやっていけるのかな?)


 中にはさやかみたいな子もいるかもしれないけれど、この学校の生徒は多分、ほとんどが名門とかいい家柄に生まれ育ったお嬢さまだ。

 その中に一人、価値観の違う自分が放りこまれたことを、愛美は不安に感じた。

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