俺達は四人でひとり

シラサキケージロウ

俺達は四人でひとり

「ただ、世界から不平等をなくしたかっただけなんです」


 S県警二階第四取調室。


 安い粗悪なパイプ椅子に、老いた亀の如く身を縮めて座る若い男は、今にも消え入りそうな声でぼそぼそと呟いた。


 男の名前は箕輪真(みのわまこと)身長165㎝。体重42㎏。細身というよりは病的なまでのやせ形で、ちょんと小突けば難なく骨まで砕けそうだというのが、箕輪の取り調べを担当する藤木戸警部の第一印象であった。


 藤木戸警部は当年五十二歳。この道三十年ばかりになるベテラン刑事で、S県全域を荒らす自称・義賊の窃盗団、『夜鶏(やけい)』の捜査責任者を務めている。先日、その『夜鶏』から、「〇〇市在住の大地主、高橋家へ盗みに入る」という旨の予告状が届き、その発信元であるホテルの一室を調べたところ、この箕輪という男がいた。


 箕輪はその場から逃亡を図ったが、あえなく逮捕。その日のうちに彼の取り調べが始まったものの、はじめのうちは言葉にならぬ声を上げるばかりで、日付が変わった辺りでようやくまともに喋りだした次第だ。

 

 夕飯も食わずに八時間粘った甲斐があった。ようやく、まともな話が聞けそうだぞと、内心で大きなため息を吐いた藤木戸警部は、懐に入れてあった電子タバコを咥え、薄い紫煙を吹き上げた。


「不平等をなくしたいってのは立派だと思うがな、その方法がまずいだろう。もっとマトモな方法があったんじゃないのか?」

「俺が……いえ、俺達が一番得意なことが、それでしたから。見てくださいよ、俺の身体。小さいし、身軽そうでしょう? それにホラ、俺、手先が器用で、鍵を開けるのとか得意なんです。だから、盗みで世界を平等にしようって」


 そう言って箕輪は薄く笑った。肝の小さな者が見せる、後ろ向きな笑い方。見ているだけで藤木戸警部は苛立ちを覚えた。


「『夜鶏』の仲間について話してくれるか?」


 警部が促すと、箕輪はぽつぽつと語り出した。その顔には笑みが貼りついたままだ。


「俺達、小学生の頃からの親友なんです。明のヤツは、俺と違って身体が大きくて、スポーツ万能で、リーダーシップがあって、いつもみんなの中心でした。藤吉は、頭が良くて、本当に良くて、小学生なのに、高校生くらいの勉強をしてました。海人はケンカが強かった。小学生で大人を投げ飛ばすんです。それに、優しかった。俺にはなんの取り柄もなかったけど、でも、なぜかその三人とは気が合いました」

「昔話はいいけどな、俺が聞きたいのは事件のことなんだよ」


 警部が威圧的に責めると、箕輪は彼から目を逸らした。その仕草は、どう見たところで犯罪が出来るような男のそれではない。


「最初の事件は四年前です。俺達、まだ学生で。で、この不平等な世界に、なんとなく腹が立ってて。で、ある日、明が言ったんです。不当に恵まれた奴らからカネを奪って、弱い人達に渡そうって。俺達、もう、ほとんどふたつ返事でした。やろう、やろうって」

「……バンド組むのとは訳が違うんだぞ。やろうでやるもんじゃないだろ」

「でも、やったんです。俺達は。義賊ですから」


 どこか自慢げに箕輪は鼻を鳴らす。


「最初に狙ったのは、大学の近所にあるデッカイ家でした。N市とA市のちょうど境にある、瀧山ってヤツの家です。そいつは医者で、診療所を持ってて、近所のお爺さんやお婆さんから無駄に巻き上げて家を建てたんです。世のため人のために医者になったはずなのに、必要以上にカネを稼いで……欲深い奴です。だから、狙いました。


 玄関先には監視カメラが付いてました。でも、ああいうのって玄関の辺りを映すだけで、それ以外のところは無防備なんです。藤吉から聞いた話ですけど。だから、明がちょっと裏手に回って、それで、防犯装置を切りました。俺は玄関の鍵開け担当。見張りは、腕っ節が強い海人の担当でした。


 鍵開けから盗みまではほんの十分。宝石だとか、財布だとか、カードだとか、とにかく色々ポケットに詰め込みました。今思えば、もっと盗めたかもしれません。でも、はじめてのことだったので、どうにも慣れてなくて……」


「盗んだものはどこにある?」

「もう全部寄付しましたよ。俺達の手元には一円だって残ってません」


 こう長いこと喋る機会があまり無いのか、喋り終えた箕輪は何度か咳き込み、唾で喉を潤した。ごくりという音が取調室にわずかに響く。


「次の仕事はそれから半年後のことです。弱者のためということも理由のひとつでしたが……みんなスリルを求めてたってところもあったと思います。


俺達は、地元で長年県知事を務めてる上野って奴の家に忍び込みました。コイツ、金持ちのくせにケチで、家にロクな防犯機能つけてないんです。監視カメラもダミーだし。あっさり侵入して、金目のものは全部持っていきました。ニュースにもなりましたよね、あれ。


 あの日から俺達、『夜鶏』って名乗り始めたんです。事件現場にこんなものを残すようになっちゃって。ほら、これです」


 そう言うと箕輪は懐から5センチばかりの鶏の置物を取り出し、テーブルの上に置いた。デフォルメされた造りのそれは、どこか馬鹿らしく映る。


 藤木戸警部は置物を手に取り、親指に強い力を込める。警部の握力は70を超えていたが、それはさすがに潰せるような代物では無い。


 警部は置物をテーブルに戻しつつ言う。


「『あの事件』についてはどうだ?」

「あの事件?」

「お前達が起こした事件の中で、一番大きなニュースになったあれだよ」

「ああ、あれですか。あれは面白かったなぁ」


 愉快そうに笑った箕輪の表情に、一転して怒りの炎が灯る。


「二ヶ月前の事件ですよね。今でもあの日の出来事はまぶたの裏に焼き付いてます。ワイドショーで無駄にでかい顔してるタレント、山神の家に入りました。あいつ、昔、女を取っ替え引っ替えしてたみたいで。おまけに暴力まで振るってたって話なのに、今では何でもない顔してテレビに出て……許せませんよ」


「わかった、わかったから落ち着いて話せ」

「すいません」


 頭を下げた彼は、警部の目を真っ直ぐ見据えながら語った。



「あの日は、ずいぶん寒い冬の日でした。山神の家に忍び込もうって提案したのは、やっぱり明です。明はみんなのムードメーカーで、リーダーですから。当然みんなその提案にうなずきました。


 まず、山神の家の上に藤吉がドローンを飛ばしました。それで色々調べましたが、やっぱり強欲な奴は自分のカネを意地でも守ろうとするのか、家はかなり厳重でした。玄関、窓、裏口……あらゆるところに監視カメラが仕掛けてあって、配線を切ることも出来そうになかったです。だから俺達は、今までと手法を変えたんです。


 海人が宅配業者を装って、山神の家の玄関に行きました。それで、荷物を置くフリをして玄関に置いてあった観葉植物の鉢植えに妨害電波を出す装置を仕掛けたんです。これだけでもうカメラは使えません。あっという間に裸の城です。


 家への侵入は簡単でしたが、金目のものを物色している最中に問題が起きました。山神の家は、夜中のうちにキーを持ってない人が家の中で五分以上動いていると警報が鳴るようになってたんです。


 けたたましい警報が鳴って、俺達は慌てて逃げました。目当てのものは盗れませんでしたけど、それでもあいつが後生大事に集めてた時計のコレクションだけは持ってってやれましたよ。


 家から出ると、警察が辺りをうろちょろしていました。俺達はそこで二手に分かれて逃げることにしたんです。俺は、明と一緒でした。


 逃げている途中のことです。サイレンを鳴らしたパトカーが近くを通ったんです。明は咄嗟に近くの植え込みの中に飛び込みました。俺はなんだか光を当てられた猫みたいに呆然としてたんですが、たまたま気付かなかったんでしょう。パトカーは俺の横を素通りして行きました。


「行ったか」と、明が植え込みの中から声をかけてきました。


「ああ、行った」と答えれば、明は姿を現しました。どういうわけかずいぶん辛そうな顔をしていて、どうしたのかと理由を聞く前に、明の左腕が血に塗れていることに気づいたんです。植え込みの中に釘が落ちてたみたいで、飛び込んだ拍子に腕に刺さったと言ってました」



「……なるほど」


 呟いた藤木戸警部は深く俯いた。彼が人差し指と中指の間に挟んだ電子タバコは、とうに吸えなくなっている。


「ちょっとトイレに行ってくる。まあ、少し待ってろ」


 席を立った警部は取調室を後にする。暗い廊下を歩きトイレに向かっていると、背後から「警部」と声をかけられた。


「おかしいですよ。あいつの話には矛盾があります」


 苛立った様子で藤木戸警部にこう言い放ったのは、平井という新人刑事である。アイドルのように端正な顔立ちから、先輩刑事達からは「ジャニ」と呼ばれてよくからかわれている。


 ジャニこと、平井刑事はさらに続けた。


「あいつの話じゃ、犯行時の見張りは海人とかいう男の役目です。でも、事件現場周辺に停まっていた車のドライブレコーダーには、そんな腕っぷしの強そうな男は映っていませんでした。


 それに、山神宅の事件。あの時に山神の家から盗まれたものは時計のコレクションだけじゃなかった。一枚数百万円はくだらない、江戸時代の春画のコレクションもです。山神は自身のイメージ低下を恐れ、公表していませんが、なぜ奴はこのことについて言わなかったんでしょう。


 おまけに、あの箕輪という男。調べによると、『夜鶏』の事件が起きた後に現場周辺に立ち入って職質されたことが五回もあります。付近の監視カメラにその時の映像だって残ってる。あいつはどうして事件の後に、わざわざ犯行現場に向かったのでしょうか」


「わかった、わかったよ。だからそうまくし立てるな、ジャニ」


 藤木戸警部はのんびりした調子で歩き出す。平井もその後を追う。


「ジャニ。俺はな、刑事失格かもしれん。奴の話を聞いてるうちに、だんだんと悲しくなっちまってな。だからヤツの怪しい話にも、最後まで付き合っちまったんだよ」

「……どういう意味です?」

「まあ、見てろ。すぐにわかる」


 数分後。用を足して取調室に戻った藤木戸警部は、壁に背を預けたまま箕輪を見た。彼の目には憐憫の情がほのかに揺らいでいた。


 警部はゆっくり、そしてはっきりと伝えた。


「箕輪、釈放だ。お前は今すぐここを出ろ」


 彼の言葉に箕輪は愕然とした表情を見せた。手首が錠で繋がれてなければ、彼は警部に詰め寄っていただろう。


「な、何故です?! 俺は『夜鶏』の一味で――」

「お前は『夜鶏』なんかじゃない。自分の妄想にとりつかれただけの男だ」


 藤木戸警部は懐から手帳を取り出して、そこに書いてあることをなるべく感情を込めないよう淡々と読み上げた。


「箕輪真。二十六歳。小学生時代は親の転勤が多く、日本各地を半年単位で飛び回っていた。当時、お前と同じ学校に通っていた数名から話を聞けたが、友人と呼べる存在なんていなかったそうだな」

「そんな! そんな……俺は、俺達『夜鶏』は昔からずっと親友です! 兄弟みたいな硬い絆で結ばれているんです!」


 箕輪の叫びに小さく首を横に振った警部は、テーブルの上に置いてあった鶏の置物を手に取り、「噛んでみな」と箕輪に差し出した。


「な、なんでそんなことしなくちゃいけないんです」

「腹、減ってないのか?」

「減ってますよ。夕飯どころか昼飯だって食べてないんだ。食べられるものならなんだって――」


「『夜鶏』が残す鶏の置物は砂糖で出来てる。クリスマスケーキの上に乗ったサンタクロースと同じさ。警察関係者にしか知らされていない情報だけどな。いくら力込めて握っても壊れない、プラスチック製のコレとはわけが違う」


「そ、それはたまたま、最近になって素材を変えただけで――」

「腕、見せてみな」

「な、なんですか急に」

「いいから」


 藤木戸警部は箕輪の左腕を取り、長袖のシャツを優しくめくった。彼の腕には、ちょうど釘で刺したような傷跡が残っていた。


「現場近くの植え込みに残っていた血痕付きの釘はとうの昔に調べてある。お前の話だと、明とかいう男が怪我をしたって話だが……なんでかな。残っていた血痕は、お前のDNAと一致してるんだよ」


「そ、そんな……なにかの、なにかの間違いだ」


 箕輪の表情が見る見るうちに青く染まっていく。世界の終わりが足元まで迫ったような顔だった。


 そんな箕輪を見ているだけで、警部は堪らなく同情的な気分になった。そんな感情が許されるものではないとわかっているのに。


「いいか、箕輪。現実を見ろ。明も、藤吉も、海人も、そんな奴らはこの世界に存在しない。全部お前の妄想なんだよ」

「……違います。俺は、俺達は、四人でひとりの義賊で、世界を平等にしたくて……」


 その時、取調室の扉が開いて平井が現れた。彼は箕輪を睨みつけながら藤木戸警部への報告を始めた。


「警部、鑑定結果が出ました。犯行現場に残されたどの指紋も、箕輪の指紋とは一致しなかったそうです」

「……だろうな」


 警部はなるべく箕輪を視界に入れないようにしながら平井に命令する。


「コイツは事件とはなんの関係もない。ただの『夜鶏』のファンだよ。ジャニ、コイツを玄関までお見送りしてやれ」

「帰していいんですか? ぶち込む理由はいくらだってありますが」

「わかってないな、ジャニ。俺達には、コイツに構う暇なんかないんだ。一刻も早く本物の『夜鶏』を見つけなきゃならん」


 不服そうな顔をしながらも、敬礼した平井は箕輪を連れて部屋を出る。ひとり部屋に残った警部は電子タバコを咥え、不味そうに煙を吐いた。



「……四人でひとり。いや、ひとりで四人、か。哀れな男だ」





 S県S市の駅前にある大衆居酒屋。四人がけのテーブル席にひとり寂しく座る箕輪は、グラスに注いだビールをちびちびと呑んでいた。


 取り調べが行われてからもう十日。家に帰ってから数日は、彼の元にいろいろな刑事が入れ替わりで幾度と姿を見せたが、今となっては訊ねてくる者は誰もいない。家とコンビニを往復するばかりの、孤独な箕輪の生活を見て、いくら叩けどなんの収穫もないと理解したのだろう。


 一本目の瓶ビールが空になる。箕輪が二本目を注文しようと店員を呼んだその時、彼のテーブルに相席してくる男達がいた。


「よう。警察署のカツ丼の味はどうだった?」と爽やかな雰囲気を持つ男が箕輪の肩を叩く。


「馬鹿言えよ、明。そんなの出されるのはドラマの中だけだ」


「その通り。ちなみにですが、店屋物を注文することは可能らしいですよ。当然ながら自費になりますが」と続いたのは長い髪を後ろで束ねた男。


「藤吉はまるで、経験してきたみたいに言うんだな」


「なんでもいいけど、まずは『お勤めご苦労様でした』、だろうよなぁ?」とふたりを嗜めたのが、大柄な身体付きとは裏腹に柔和な印象を与える顔を持つ男だ。


「いいんだよ、海人。これが俺の仕事だからな。それより、並木の家はどうなんだ?」


「真の計画通り。『偽の』予告状のおかげで警察は全員引き上げたよ。でもって、あの馬鹿家族は予定通り家族でハワイ旅行だ。二週間は帰ってこない」

「そりゃいい。でも用心するに越したことはない。侵入は五日後。抜かりなくやるぞ」


 四人が掛ける席に店員が注文を取りにきた。瓶ビールをもう一本に加え、箕輪は人数分のグラスを頼む。


「にしても、警察に尻尾を掴まれかけた時はヒヤヒヤしたな。さすがに終わりかと思ったぜ」

「俺は真が『俺がおとりになって捕まる』って言い出した時の方がヒヤヒヤしたなぁ。思わずひっくり返ったもんなぁ」

「真の作戦であることは百も承知でしたが……それにしたって正気を疑わざるを得ませんでしたね」

「こういう時に備えていくつも仕込みをしておいたんだ。使わなけりゃウソだろ?」


 間もなく、店員がビールとグラスを運んできた。それぞれの前にビールが用意されたところで、箕輪は相席する三人に視線を配る。


 明、藤吉、海人。出会った場所こそ電子網だが、箕輪にとってかけがえの無い友人。


〝頭の中のお友達〟ではない。世界を平等にするための、〝本物の〟仲間。


「俺達は四人でひとり。さあ、これからも変わらず、俺達の手でほんの少しでも世界を平等にしよう」


 箕輪はにやりと微笑んだ。その笑みは、彼が警察署で見せた卑屈そうなそれとは打って変わって自信に満ち溢れたものだった。


 グラスのぶつかり合う乾いた音が、大衆居酒屋の喧騒の中に小さく響いた。

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俺達は四人でひとり シラサキケージロウ @Shirasaki-K

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