@wizard-T

島加奈子

藤平浩輔

「上だよ上、ほら上だ!」

「どんな風に上なのか!」


 跳ね回りながら右手の人指し指で上を指したり下を指したりしながらする小学生たちに、嫌がらせをしているつもりは微塵もない。

 日本中で起きている同時多発的現象が、今ここでも起きているだけの話だ。だがその国語や算数の授業と同レベル程度の日常茶飯事的現象が、優樹菜にとっては苦痛だった。


 加われない。同級生の男子のみならず女子たちまで一緒になって乗っているこの潮流に、自分だけが乗れていない。


「ちょっと男子たち、優樹菜の事考えてやってよ」

「いいのいいの、別に気にしてないから」


 数少ない擁護の声も、優樹菜には空しく響くだけだった。優樹菜は素直に気持ちを表してその声を片手で振り払い、黙って目を背けた。






 

「真面目に話してください」

「いやその、本当に大真面目に話しているつもりなんですが」

「うちの優樹菜が何か先生のご迷惑になっているのですか。それならば注意しますけど」


 もちろん、クラスの中で常に暗そうな顔をしている優樹菜の事を担任教師は心配した。家で何かあったのかと考えるのはごく自然な流れだろう。


 だが優樹菜の母親である加奈子もまた、優樹菜と同じように心配の声を片手であしらっただけだった。


 担任教師が目の当たりにしている島優樹菜と言う存在は、いつもクラスの片隅で寂しそうな顔をしながら座っているだけの存在であった。

 必要な事以外は何も言わず常におとなしく授業を聞いており、テストはほぼ間違いなく100点だし、走らせても2位を外す事はないし、笛を吹かせたり絵を描かせたりしても優秀な部類に入る。通信簿の数字も毎回5と4ばかりだった。


 だが他人とコミュニケーションを取ると言う項目が通信簿にあるとすれば教師はためらいなく1をつけていただろう。小学校一・二年の時に優樹菜の担任を務めて来た先任者たちもまた、優樹菜をいわゆる問題児だと定義していた。


「あえて言えば、お子さんの行動がどこか他の子たちとずれていると言うか、いや時間を守らないと言うのとは違うんですけど」

「それぐらいよくある事でしょう」

「それでも以前はそこそこ同級生と話せてたし、チームを作る時とかも似たような子と比較的すんなり組めてたんですけど、最近段々と距離を置かれている感じで、と言うかお子さん自身が置いてる感じで……」

「そうですか、ありがとうございました」

「はい、ではそのようにお子さんに申し付けていただけると幸いでございます、では」



 加奈子も担任も、お互いの対応に失望感を覚えていた。今は十月半ば、ちょうど運動会が終わったばかりの時期であり、小学校三年生と言う時期としては後半戦である。

 四年生になってしまえばおそらくはまた別の教師が優樹菜と言う児童を受け持つ事になるのだろう。

 もちろんその新たな教師に任せてしまっても良いのだが、やはり教師と言う職種としては自分の段階で何とかしたいと考えるのは自然な流れと言う物だろう。

 しかし所詮教師は教師であり、自分ひとりで子どもを変えるのは無理である事も気付いていた。ましてや自分は半年、親は九年間の付き合いである。

 親を動かさねばと考えるのも自然の成り行きだろう。担任もまたそう思って行動しているのであるが、半年経っても一向によくなる兆候は見えていなかった。



 加奈子も加奈子で、なぜ自分の娘ばかり気にされるのかどうにも気に入らなかった。授業中につまらない雑談に終始したり、いじめを働いたり、約束を破ったりするのならばそれ相応の叱責を受けてしかるべきだろう。


 だが優樹菜にはそういう点はないはずだし実際に担任もそういう類の物言いをして来た訳でもない。悪い友達からは距離を置く事の何が悪いのか、いい友達と仲良くする事の何が悪いのだろうか。あるいは世間なんて善人も悪人もいる物だから今のうちに慣れておけとでも言うのだろうか。


 いずれにせよ、優樹菜がこれ以上無駄に気にされる必要などないと加奈子は信じていた。


 ふーっと深くため息を吐くと、加奈子はやけに派手派手しい写真が並んだパンフレットをめくり始めた。


 優樹菜に毎年行かせている、キリスト教系の大学で行われるクリスマスミサの案内だ。


 今になって加奈子が子供時代の事を思ってみると、自分がどれだけ図々しい事をやって来たのか顔から火が出て来る思いに駆られた。


 年の初めに近所の稲荷神を祀る神社に通っては百円玉を投げ込み、一月後にはキリスト教の聖人の命日に乗っかってチョコレートを男に渡し、それでいて半年後には仏教の寺に入って先祖の霊を敬う。そのくせ年末にはまたまたキリスト教の創始者の誕生日を祝って盛大に騒ぎ立てる。

 最近では、その二月前に仮想をしてお菓子をもらい歩くと言うアイルランドの風習まで首をもたげて来ている。


「本当、あなたもつくづく大変ね」

「何、うちのイベント部門にとっては書き入れ時の一つだからね。今年は例年以上に盛り上がりそうなんで縫製業の皆さんとも連携を密にするように命令は出しているから大丈夫のはずだよ」


 無節操を極める連中を相手にしなければならない夫に対し、加奈子はひたすらに同情した。いわゆる三代目である今の亭主は無能ボンボンと言う風評を振り払うために若年時から必死に勉学を重ね、衰退の兆しが見えていたアイランド産業を社長に就任してから数年で立て直した。その分恋愛がおざなりになり、三十七歳の時にようやく七つ年下の加奈子と結ばれる事となった。


 加奈子はその夫の苦悩をよく知っていた、確かに夫は、流行り物を掴む事によって自分の地位を確立している。だがその前には、何が良いか何が悪いかと言う判断基準をきっちり身に付ける事が先決ではないのか。加奈子は強くそう信じていた。


 加奈子自身、楽な人生を送って来た訳ではない。大学合格後、同じサークルやゼミに入った友人に引きずられるように様々な事をして来た。だがその友人たちに振り回され続けた結果かなり散財してしまい、肝心要の勉学にはあまり金を使えずおろそかになってしまった。

 就職に苦労し、三十社近く採用試験を受けて採用にこぎつけたのはわずかに三社しかなかった。その上に本人希望の銀行は一つも通らず、ようやく入社したのは大規模商社の傘下の小さなアパレルメーカーだった。

 高校・大学時代に周りに引っ張り回されてあれやこれやと手を出させられては大半がタンスの肥やしに成り下がった衣類と言う代物を取り扱う企業は、加奈子にとって忌まわしき存在であり仕事にやりがいを感じる事は出来なかった。


 加奈子がようやく人生に輝きを感じる事ができるようになったのは、二十八歳になって人事異動でアパレルメーカーから楽器メーカーに送り込まれた時だった。何を気取っているのとしょっちゅう言われた物だが、加奈子は昔からクラシック音楽が好きだった。昔から残っている物はそれだけの価値があるという事じゃないか、すぐどこかへ消えてしまうような物に何の価値があると言うのか。

 大学時代に痛いほどその事を思い知らされて来た加奈子にとって、流行り物とは流感の同義語だった。


(どうして優樹菜ってこう欲深いのかしらね……)


 そんな加奈子が、優樹菜のクリスマスプレゼント云々とか言うお願いをすんなり受け入れるはずがなかった。


 せいぜい二、三年で価値がなくなるであろう安っぽい玩具や子供服など与える価値はないと思っていたし、ましてやそんな無節操で無定見な人間に優樹菜を育てるつもりなど微塵もなかった。


 ――――――一万円。決して安いお金ではない。その一万円相当のプレゼントをねだる優樹菜に対し、加奈子は年末のミサをきちんとこなして来ればと言う条件を付けた。欲しい物を得るのは簡単な事ではない、加奈子としては優樹菜にそう教え込みたかった。

 もし途中で断念するようであればプレゼントなんぞ受け取る権利はないと言う論法であり、あるいは断念してくれるのではないかと言う期待もあった。だがある意味で加奈子が抱いていた期待に反し、優樹菜はその長く退屈なミサを見事にこなしてしまっている。


(テレビを点けるたびにいついなくなるかわからないような連中が雁首揃えて……お笑いだって言うならば落語か狂言でも見せた方がよっぽど建設的よ)


 幾多の芸人が、一時的に大ブームを作っては消えて行く。そんな物を追った所で意味はない、だから気にする必要などないと加奈子は口を酸っぱくして優樹菜に言い聞かせた。

 たかが半年一年など大した問題ではない、人生は八十年もあるのだ。ブームが収まったらどうするのか、加奈子は心の中で暗い笑みを浮かべながらテレビを眺めていた。

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