小五の春(実)
美麗と実
わたしはずっと、コンクールが嫌いだった。正確には、優劣が付く音楽が嫌いだった。
「あの子よりうちの子の方が上手いのに」
「いくら積んだのかしらねぇ」
「けど、息子の方は全然ダメなんでしょう?」
「実は血が繋がってなかったりして」
賞を取るたび妬まれ、親が審査員に賄賂を渡していると噂され、一緒の教室に通っている双子の兄を貶される。賞状なんてわたしにはただの紙切れだ。要らない。譲れるなら譲りたい。そう思っていた。
ある日のコンクールで、わたしはミスをした。素人は気づかないかもしれないが、審査員なら気づくはずのミスを。それでも審査員はわたしを絶賛した。『完璧な演奏だった』と。わたしは確信してしまった。父が裏で手を回していることを。
「実、珍しくミスしてたね」
「……柚樹でも気付くのに、無能な審査員ね」
「……あのミスを考慮しても実より優れている演奏者が居なかっただけだよ」
「……本気でそう思ってるならやっぱり貴方も無能ね。才能無いからとっとと辞めたら?」
「……言われなくても、きっとすぐに辞めさせられる。俺には君と違って才能が無いからね」
コンクールのたびに聞いていた柚樹に対する母の罵声は、その日が最後となった。
わたしはますます教室に通うことが憂鬱となったが、辞めたいと言えば母に平手打ちされ、教室の先生からは『貴女には才能があるのだから辞めるなんてとんでもない』と説教された。才能がなくて見限られた柚樹が羨ましくて仕方なかった。
逃げることを諦めて教室に通い続けて一年。小学五年生になった年に、一つ下の女の子が入ってきた。
「
彼女はわたしが練習をしていると、キラキラした目で私を見てきた。彼女はわたしのファンで、わたしに憧れてここに来たらしい。
声が大きくて、リアクションが大げさで、しゃべっていても、黙っていてもうるさいような子だった。ヴァイオリンを弾いている時でさえも、動きがうるさかった。おまけに下手くそ。聞くに堪えないほどではないが、お世辞にも上手いとは言えなかった。だけど、何故かわたしは彼女の演奏に惹かれた。
正確には、演奏をする彼女に惹かれた。彼女は、同じ教室に通う誰よりも下手くそで、楽譜に従わない自由すぎる演奏をする子だったけれど、誰よりも演奏することを楽しんでいた。演奏を楽しいと思えたことが一度も無かったわたしには、その姿が眩しく見えた。
ある日のこと、その日の彼女は分かりやすく落ち込んでいた。
「……貴女が元気ないと調子狂うのだけど」
「も、申し訳ありません……」
「……何があったの」
「……話を聞いてくださるのですか?」
「聞かないと貴女ずっとそのままでしょ。さっさと話しなさい」
「なるほど……普段は突き放すのにたまに優しい……これが噂のツンデレですのね……」
「……やっぱり話聞くのやめる」
「あぁ!お待ちください!話します!話しますわ!」
彼女曰く、同じ教室の生徒に『賞を取れる才能が無いから一条さんに取り入ってコネで賞をもらおうとしている』と影で噂されていることを知ってしまったらしい。
「……馬鹿馬鹿しい。わたしに取り入って何になるって言うのよ」
わたしの親が審査員を買収している話の真意は分からないが、父のせいで贔屓されていることは確かだった。しかし、だからといってわたしに取り入ったところで賞が取れるわけがない。
「貴女に賞を取らせたら、賄賂か何か貰ったんだろうなって素人でもわかるもの。取らせるわけないじゃない」
「うぅ……わたくしの演奏はそんなに酷いですか?」
「そうね。下手くそ。下手だから辞めさせられたわたしの双子の兄より下手」
「お姉様は毒舌ですわ……」
「……けど、わたしは好きよ。貴女の演奏」
「え?」
「……二度は言わないわ」
「えぇ!?何故です!?わたくしの演奏のどこが優れているのですか!?」
「優れてるなんて言ってないわよ下手くそ」
「うぅ……」
「……わたしには貴女のような演奏は出来ない。わたしは、審査員に求められる完璧でつまらない演奏しかできないから。評価なんてどうでも良いと言わんばかりに、あんなに楽しそうに、自由に演奏出来る貴女が羨ましいわ」
「羨ましい……ですか……?」
「……貴女にはきっと、音楽で人を楽しませる才能があるのよ。それはわたしにはない才能だわ」
「そんなことありませんわ。わたくしはお姉様の演奏が好きです。わたくしは、貴女に憧れてヴァイオリンを始めたのです」
ずっと辞めたいと思っていた。だけど、彼女にそう言われただけで、辞めたい気持ちは吹き飛んでしまった。
わたしが今もヴァイオリンを続けていられるのも、空美達に誘われてバンドに入ることを決めたのもきっと、彼女との出会いがあったからだろう。
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