「咲ちゃんと未来さん」57話の裏
実さんの兄
高2の七月のこと。部屋でくつろいでいると、咲ちゃんの彼女から突然『実ちゃんのお兄さんが会いたがってます』とメッセージが送られてきた。
その後に『実ちゃんの恋人がどんな人か知りたいらしい』『実ちゃん達には内密にって』
と、辿々しい文が一文ずつ続く。
『実さんのお兄さん?私は会いたくないんすけど』
そう即答すると、連絡だけでもしてあげてと、彼のIDが送られてきた。
『嫌なんすけど』と文字が入った、嫌そうな顔をする犬のスタンプが送る。『どうしてそこまで嫌なの?』と返ってくる。
「どうしてって言われてもなぁ」
実さんと柚樹さんから長兄の話を聞くことはあまり無い。というのも、ほとんど話さないらしい。あまり良いイメージが無い。それを話すと『私が話した感じだと悪い人には思えなかったよ』と返ってきた。
「……はぁ。しゃあねぇな」
やれやれと両手を広げて首を振る犬のスタンプを送って『分かりましたよ。話してみます』と返して彼のIDを打ち込む。一条杏介という名前のアカウントが出てきた。読み方はきょうすけで良いのだろうか。
登録して『実の恋人です』と送る。すぐに既読がついた。直接話がしたいということで、その週の土曜日に会うことになった。
待ち合わせ場所に行くと、白いTシャツにベージュのパンツというシンプルな服装で、眼鏡をかけて日傘を差した男性を見つけた。近づいて声をかけると、彼は目を丸くして、私のつま先から頭のてっぺんまで視線で何度もなぞる。
「なんすか」
「もっとキツい感じの女が来ると思っていたが……意外だな」
「見た目と中身のギャップが激しいってよく言われるんすよ」
麦わら帽子を抑えながら、改めて彼の顔を見上げる。身長がかなり高い。うみちゃんや望と同じくらいあるかもしれない。顔はやはりあの二人に似ている。
「
「あぁ。一条杏介だ」
声は柚樹さんそっくりだ。しかし、この落ち着いた雰囲気は実さんだ。
「なんか、私もイメージしてたのと違いますね。もっとこう、プライドだけが無駄に高い俺様御曹司ってイメージだった」
「……つまり、嫌な奴と言いたいんだな」
「あ、でも別に、あの二人からあんたの悪口を聞いたことはないですよ。ただ、私の勝手なイメージっす。会社の跡取りとしてプレッシャーかけられながら厳しく育てられてるって聞いてるんで。で、弟はあんな自由人でしょう?ストレス溜まってんじゃ無いかなぁって」
「……いや。むしろ、あの二人に興味を示せるほどの余裕は俺には無かった。俺は、父の背中しか見えていなかったからな」
「ふぅん。で?それがなんで急に妹に興味を持ち始めたんですか?」
カフェへ向かいながら、彼は語り始める。
「友人に言われたんだ。『君は視野が狭すぎる』と。『少なくとも俺は、君の下では働きたくないな』と。当時の俺は、君の言う通り、プライドだけが無駄に高い俺様御曹司だったんだろう」
「良かったっすね。気付けて」
「あぁ。……俺はずっと、父の期待に応えることだけを考えて、自分のことは考えてこなかった。いや、考えることを諦めていた。反抗しても無駄だからな。妹もそうだった。……はずだった。しかしある日、人形だった妹に自我が芽生えた。否定される恐怖に震えながら母に逆らう妹を見て、俺の中にも自我が芽生えた。馬鹿馬鹿しくなったんだ。父の駒として生きる事が」
「へぇ。で、妹に自我を芽生えさせた私に興味を持ったと」
「あぁ。そうだ」
カフェに入り、席に着く。水を一口口にして、彼はまた続きを語り始めた。
「俺はいつか、会社を継がされる。これはもう決定事項だ」
「他にやりたいことないんすか?」
「無いな。今はむしろ、継ぎたくて仕方ない。父は社員を駒としか思っていない。以前の俺と同じだ。父に意見できる人間が居ないんだ」
「いわゆる、ワンマン経営ってやつですか」
「あぁ。友人に出会うまで、上に立つ人間は下の意見を押さえつけて支配するのが正しいと思っていた。しかし、それで残るのは自我を無くした人間だけだ。ロボットに仕事をさせるのと変わらない」
「そうっすね」
「俺は恥ずかしながら、高校生になるまで友人と呼べる存在が居なかった。俺に意見をする人間が居なかったんだ。だから俺は自分が正しいと勘違いをしていた」
「まぁ、周りにイエスマンしかいなかったらそうなりますよねぇ」
「初めてできた友人が、自分と違う人間の意見を取り入れる楽しさや大切さを教えてくれたんだ」
「良い友人に巡り会えたんすね」
「あぁ。……そういえば、彼は君のことを知っていると言っていた。
「あぁ、和希さんか。なるほど。弟の幼馴染のお兄さんっすね。まぁ、要は私の幼馴染です」
和希さんは空美さんの兄だ。つまり、うみちゃんの従兄でもある。うみちゃんに似て人たらしな人だ。うみちゃんと違って自覚がないから余計にタチが悪い。
「そうか。……柚樹と実は、学校ではどんな感じなんだ?」
「普通っすよ。まぁ……ちょっと浮いてはいますけど。けど、ちゃんと居場所はあるんで。心配しなくても大丈夫っすよ」
「……そうか。なら良い」
「案外、兄妹想いなんすね」
「……いいや。ずっと、無関心だった。いや、関心を持たないようにしていたんだ。だが……友人達が兄妹で仲良くしているのを見ていたら、羨ましいと、思ってしまったんだ」
二人から聞いた杏介さんの情報は、会社の跡取りとしてプレッシャーかけられながら厳しく育てられていることだけ。人柄について聞いたことはない。二人とも、兄とはほとんど話さないと言っていた。
「仲良くしたがってるって伝えておきますね」
「やめてくれ」
「えー。なんでですか」
「会社を継がされるまでは、父の駒のフリをしなければならない。だから……今はまだ、陰で見守るだけで良い。今日俺と会ったことは話さないでくれ」
「……分かりましたよ。黙っておきます」
「ありがとう」
跡継ぎとしてプレッシャーをかけられて育てられた御曹司と聞いていたから勝手に歪んだ人間をイメージしていたが、案外兄妹想いの優しい人のようだ。
ちなみに、後々、和希さんに話を聞いたところ、彼が出会った頃の杏介さんは私のイメージ通りの嫌な奴だったらしい。
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