わたしのかわいい彼女との、もんだい。
河藤十無
第1話・しあわせできわどい休日の一幕
「センパイ、センパイ」
「ん?なに?
この度めでたく進級に成功したわたしは、春の連休の最初の一日をかわいい後輩の家で過ごしている。
もちろん、進級くらいで四苦八苦するほど成績が悪いわけじゃないのだけれど、受験生として過ごすこれから一年のことを思うと、これくらいのごほーびはあってもいいんじゃないか…とは言わなかったけれど、まあ特にやることもなくぐだーっとソファに伸びて、さして興味もないファッション雑誌を眺めるくらいのことは許されてもいいんじゃないだろうか、と思っていた時だった。
「こーいう時間の過ごし方も悪くないですけど……なんかしません?」
だらしなくソファの背もたれに体を預けるわたしを、隣から顔と体の両方を寄せてくる女の子は…ぶっちゃけて言えば、わたしの恋人だ。
「なんか、って言われてもねー…お昼はさっき食べたでしょ。お茶は…あー、いつものチョコパイドーナツ買ってくれば良かったかなあ…。今からでも買いにいこっか?」
「それはそれで魅力的な提案ですけどー、うちがセンパイとしたいことはもーちょっと別といいますかー…」
「歯切れが悪いなあ。秋埜がしたいことなら大抵のことは聞いてあげるから、遠慮しないで言ってみてよ」
「そですねー……」
隣のわたしにしなだれかかってくる体勢から、ソファを降りて、秋埜はカーペットの上にぺたんと女の子座り。体固くて女の子座り苦手だ、って言ってたのに、いつの間に自然に出来るようになったんだろ。うんうん、ひとは成長するものだ。
「…これは
「うん」
色の薄い髪を頭の左側にまとめた秋埜は、かわいくおねだりでもするかのよーに小首を傾げる。それにつれて長いしっぽも揺れるのは、いつも通りの光景。わたしの、大好きな仕草だ。
「…引かないでくださいね?」
「前置きが長い。秋埜の言いたいことなんか大体想像つくわよ。ほら、やさしー年上の恋人がこーして待ち構えてるんだから。さっさと言ったんさい」
「りょーかいです。じゃあ言いますけど」
「うん」
「…キスの先って、きょーみないですか?」
「……………………はい?」
…僅かに顔を紅潮させて言い出した言葉は、正直想像の斜め上を、行っていた。
わたし、
…えっと、多少の自負はあるし周囲も認めてくれるところではあるのだけれど、そこそこ以上には恵まれた容姿を持っているとは思う。
けれどまあ、わたしは子供の頃からそんな「かわいい女の子」っていう自分の外見に妙なコンプレックスを持っていて、子供のころはガキ大将まがいの言動で大人も歳の近い子どもも、困惑させる行動ばかりとってきたものだ。
転機が訪れたのは、わたしが危機から守っているとばかり思っていた一つ下の男の子が、わたしからみて一つ上の、やっぱり幼馴染みの女の子と、許嫁みたいなことになった時のことだ。
わたしは、愚鈍にも当時どころかついこの間まで自覚してなかったことに、その男の子のことがその件を切っ掛けに好きになったらしい…ああ、うん、今さらこんな曖昧な言い方をしてたらまた秋埜に呆れられる。
とにかく、だ。その、
その秋埜なんだけれど。
家の、ちょっと公言しづらい事情から、小学生の頃は同級生にいじめられていた様子だった、らしい。
らしい、というのはわたしはそんなこと全く気にもせず、なんだか大智と一緒にいじわるそーな子どもたちにちょっかい出されていたのを、大智のついでに庇ってあげていただけのことだと思っていたからだ。
けどそのことは、当時小学五年生だった秋埜の心にはずいぶんと助けになったようで、お父さんの転勤でこの街を一時離れ、それで高校入学の時に戻ってきてからもわたしのことを気に掛けていてくれたのだ。
そして、今に至る。
いや、端折りすぎだとは自分でも思うのだけれど、コーハイの女子にいろいろ迫られて絆されてしまった立場としては、思い出すだけでも赤面モノな事実の積み重ね、というものがあって、その。
「キスならけっこーしてるじゃないですか、うちら」
「…秋埜?お父さんもいなくて二人きりだからって、昼日中からそーいうこと言うの恥ずかしくない?」
「今さらじゃないすか。それより昼ならダメだってんなら、夜ならいーんすか?」
「そりゃあ…電話とかトークで話題にするなら別にいいと思うけど」
「えー…面と向かってないんじゃ、それでセンパイが欲しくなってもキス出来ないです」
腰を浮かせかけ、もう身の危険を覚えそーな勢いで畳み掛けてくる秋埜。
実のところ、この子けっこーなキス魔だったりする。
キスをする時は交互にしようね、なんて、いつかかわいい約束を交わしたはずなのに、今はもうそんなことは無かったように、秋埜の方からぐいぐい来る。わたしの方から求めることももちろん無くはないけれど、五回のうち四回は秋埜の方から迫ってくるヤツで、うち一回はわたしが躊躇してもそこそこ強引に唇を押しつけてくる。まあ、それはそれで悪くないなー、って思ってるから好きにさせてはいるけれど。
「あのね、秋埜。今の秋埜の調子で夜二人っきりでそんな話したら、どーなると思う?」
「そりゃもちろん、なんかこう、盛り上がって行くところまで行くしかない、と」
「だから、やめよ?って言ってるの。大体何よ、キスの先って。何があるっての」
「セックス」
「………おい」
いや、その、なんていうか。
それはわたしだって健康な女子なのだから、そーいう事態がこの先起こりうる可能性があることくらいは、分かっている。
わたしより頭半分くらい背の高い秋埜は、気の強そうな美人系の顔立ちに加えて、出るトコは出て引っ込むトコも引っ込む見事なプロポーションの持ち主だ。
つきあい始めてからはそんな機会も無いからまだ拝んだことはないけれど、きっと水着姿になんかなったりしたら、思わず自分のあごが落ちるくらいの「ないすばでー」とご対面出来るだろーことは、想像に難くない。
翻ってわたしとなると。
顔立ちは自他共に認める「かわいい」女子そのものだけれど、実は体に自信は無い。割と痩せで平坦な体つきなのだ。
ちゃんと体重管理はしているからウエストはきちんと締まっているし、親に似たせいか、腰の高さだって決して秋埜に見劣りするよーなことはない。
…けど、胸回りだけはどうにもならなくって、秋埜にハグされる度に、彼女のいい匂いに包まれつつもなんだかぜつぼー的な気分になるのだ。
だから、わたしと秋埜が裸で抱き合っている、なんて場面はなるべく想像しないようにしてきたのだけれど…ああいや、そういうことじゃない。そもそも、の話は。
「秋埜。わたしとあなた、女の子。女の子同士でどーやって…その………をしろっての。そりゃあわたしだって興味無くはないけど、物理的に不可能でしょーが」
噛んで含めるように、常識的な物の見方、というものを伝授する。
けれど秋埜は、そのつり目の面立ちに似合わない可愛らしい仕草で、口を尖らせ言う。
「…センパイ。うち、いろいろ調べたんすよ。女の子と女の子が愛しあうやり方、ってのを」
…この子にいんたーねっとなんてものを与えた世界をわたしは微かに恨みつつ、それを顔に出さないよう、努めて無表情を装う。
「そしたらですね……いやー、世の中って広いんですねー。うち、すんごく勉強になりました。麟子センパイとアレとかソレしたらすんごい気持ちいーだろーなー、って思いました。だから、しません?」
「しません」
「即答かー」
…いや、実はわたしも秋埜がやったと思われることを、調べてみたことはなくもない。
十八歳未満禁止、とか書かれていたのを多少の後ろめたさを伴いつつ無視して、だな。
けど、恥ずかしくなって五分でやめてしまったのだ。自分が秋埜とこーなってしまったトコを想像して、もうモヤモヤしたものをどーすればいいのか分かんなくなったのだ。大智に対して考えてしまったコトが何度かあったケド、その時を遥かに超えるきょーれつなモヤモヤっぷりは、その後数時間、親の顔が見れなくなるくらいのものだったのだから。
「…センパイ?」
「なんでもない」
だから、表情筋を固定は出来ても自分で分かるくらい赤くなってる顔のことは、秋埜にもきっと知られているのだろう。
「……でもー、そーなることくらいは考えておいて欲しいっす。うちは、センパイのこと好きです。センパイも、うちのこと好きでいることは知ってます。だから、うちが想像の中でセンパイを裸にひんむいて好きなよーにして、そいでセンパイも感じてくれて二人でしあわせな気持ちになることを考えるくらいは…いーですよね?」
「……うう」
おねだりする時のいつもの秋埜のクセ。上目遣いじゃなくて正面からわたしの顔を見て、きゅぅって感じにかわいく首を傾げる。にっこり、笑いながら。
そしてそーいう時、わたしは秋埜にダダ甘くなってしまって、割と高い確率で自分からキスしてしまうのだ。
けれど今それをしたらどーなるか。なんとなく、歯止めが利かなくなってしまう気がして、わたしは「不許可」となるべく冷静に言ったのだけれど、やっぱりというか当然というか、秋埜はそんなわたしの言いつけに不満そーに、ソファに腰掛けたわたしの腿の上に身を乗り出して、「えー…センパイのいけずー…」とか言うのだった。くっそ、秋埜かわいい。
「…もー、じゃあいいです。せめてキスしてください。センパイの方から。はい」
「だからなんでそーなるの。出来るわけないでしょ。こんな話した後にキスなんかしたら、どーなるか分かったものじゃないわよ」
「えええ……今日はもう、キス無しですかぁ?」
「当然でしょ。大体お昼ごはん作りながら何度したと思ってるの」
「うちから三回。センパイからは…無かったっすね、そーいえば」
数えてたのか、この子。こわっ。
「…とにかく、今の秋埜とキスなんかしたら一人で勝手に盛り上がっちゃってわたし無事にこの部屋出られると思えないもの。だから、今日はもう静かに過ごそ?ね?」
「………センパイ、初めてしてくれたときに舌入れてきたクセに」
それを言うない。あの時は我ながら我を失ってたんだから。
言い訳にもならない言い訳はしたものの、でもそのあとはとても清らかな一日を過ごしたわたしたちなのだった。
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