第九話 グレちゃんと家族の時間

 我々の家は、変則疑似家族にも拘らず、やたらと家庭内行事が多かったと思う。

 わたしの誕生日は五月七日、ハナちゃんが八月十日、ぷーが八月二十九日で、グレちゃんが十二月十五日。ジーザスのお誕生日を含めて、年に五回のお誕生会をやった。

 そのうちの三回は、それぞれにお好みのスイーツを買って来たり、わたしがリクエストに応じてご飯を作ったり、わたしがご飯作りをサボったりしていた。ハナちゃんはとにかくチキン好きの麺好きなので、トマチキかパスタ・パラディーソがリクエストであることが多かった。

 解説すると、トマチキ=イタリアントマト缶を使った、安い・簡単・美味いの三得、チキンのトマト煮。パスタ・パラディーソ=山のようなパスタを茹で、数種のソースでバイキング状態という───まあ、どちらも家庭内方言である。

 猫娘たちのお誕生日には、真空パックで売っている猫用の『焼きカツオ』か『焼きささみ』という、普段滅多なことでは出さないご飯が出たり、時に刺身を少量買って来て、5ミリ×10ミリ片を刻んで出したりもした。普段はカリカリ(ドライフード)生活なので、『滅多に出ない』という一点において、食後に全力で走り回るという狂喜乱舞ぶりを披露してくれる。


 台所に立つのはほぼわたしだが、ここでもちゃんと決まり事がある。

 料理をしている間、わたしの肩のラインより前に出てはいけないというルールだ。

 何か危険な物を落とすかもしれないし、油が跳ねるかもしれない。ネギ類の破片を落とした時に、拾い食いをされたら大事になる。それらの理由を理解は出来なかっただろうが、グレちゃんは『あら、ダメなの? ダメなのね?』でルール厳守だが、ぷーは時に匂いや好奇心に負けて近づくことがあった。その場合は、例によってわたしの足の裏で後ろに押し戻されるか、グレちゃんの教育的指導を受けることになる。


 年始に用意したのは、ほぼ餅だけ。ハナちゃんは三ヶ日のどこかで実家に顔を出しに行くし、わたしは実家に戻らないが、居たり居なかったりする事が多かったからだ。

 その代わりといってはなんだが、年越し蕎麦は一緒に食べた。それに、比較的近所にある桜の名所の公園内の黒田官兵衛由来の光雲てるも神社に、お散歩込みの初詣に行くのも恒例だった。もっとも、当時は黒田官兵衛ブーム以前なので官兵衛由来とは知らなかったのだから、単にお気に入りの神社だっただけである。


 家族構成が変則なので、雛祭りや母の日等々の季節行事はなかったが、それらに全く関係のない出来事は発生した。

 随分以前に始まった小型犬ブーム以来、ペットに服を着せる文化が世の中に根付いた。近年では、雨の日のお散歩用のレインコートが売っていたり、夏場に肉球の火傷を防止する犬用の靴があったりもする。

 『毛皮動物に洋服の必要はなかろう』というのが、わたしとハナちゃんの共通意見だが、超短毛種の犬や猫には必要な場合もある。夏は陽射しが直接当たって火傷をする為、冬場は寒さを凌げない為に、服を必要とするのだ。

 ではモフモフは?───モフモフの生き物には、基本的に服は必要ではない。元から、人間より高い体温と保温力を持っているのだ。

 だがしかしっ! 

 必要ではないと判ってはいても、正直に飼い主のエゴで着せたい事もあるのだっ!!

 何故なら、である。他の理由はない。

 過去、一度だけその欲求に負けた事があった。


 ハナちゃんと二人、示し合わせて欲望に負けることにしたのだ。グレちゃんもぷーもきっと嫌がるだろうから、一度だけ───一度だけやって写真を撮り、それで終わりにしよう───と。

 思い立ったら吉日で、二人で服を選びに行き、コスプレ実行前に撮りたい写真の小道具を揃え、短期決戦で事に及んだのである。

 用意した衣装は、グレちゃんが甚兵衛・ぷーが浴衣。小道具は、某ドーナッツ屋さんで貰ったミニチュアの卓袱台と、猫娘たちをそこに座らせる為の鰹節を盛った皿&水を入れた御猪口。

 出来るだけ短時間で終わらせる為、嫌がる猫娘たちを着替えさせると、即座に撮影会に入った。

 なんだかよく判らない布を被せられたのは猫娘たちが、本気で嫌がって暴れる前に、きゃっきゃ云いながらさくさくと撮影をし、とっとと脱がせる。

 何が起こったか判らないまま不満そうな猫娘たちを、文句を云われるより先に卓袱台の前に座らせると、目の前に大好きな鰹節があるようにしていた。取り敢えず、鰹節を食べてから文句を云おうか───と思ったのは、グレちゃんもぷーも同じだったらしい。彼女たちが交代でモグモグやっている間に、更にパシャリと数枚。

 公約通り、後にも先にもコスプレ撮影をしたのは、この時の一回限りだ。親馬鹿にも程があるが、その時の衣装は、未だタンスの中に大切に保管してある。


 夏はひたすら素麺を食べたがるハナちゃんに、「せめて薬味を乗せろ」と数種の薬味を準備したり、「タンパク質も摂らなあかん」と云って肉そぼろ餡を用意したりだとか。

 涼しくなってくると「秋の味覚祭りよん」と称して、新米と焼き秋刀魚・豚汁と付け合わせのセットを、わたしが必ず作りたがったりだとか。

 年に一度のワクチン接種やその他の投薬、シャンプーなどで猫娘たちがへそを曲げたら、せっせと美辞麗句を浴びせながら丹念な毛繕いでご機嫌の回復に努めたりだとか。

「ああ、もうお腹いっぱいで後片付けしたくない。動きたくない」

「やめよう・やめよう。明日できることは明日にしよう」

 などと結託してサボりを決め込み、みんなでテレビ番組やレンタルDVDを観ながらご~ろごろ。

 猫娘たちは、お腹の上や腕枕で赤ちゃん返りのニキニキを延々と続け、我々はお腹がこなれてお風呂を使う気になるまで、箸にも棒にもかからない番組の寸評をしながら自分専用のモフモフの手触りを満喫する。


 そんな他愛もない時間が、わたしにとってこの上なく幸福だったことを、ここで改めて告白しておこう。


 猫の為の同居同盟。

 変則の疑似家族。


 『この先ずっと』など決して約束されることはなく、約束しようとも思っていなかった。

 いつか必ず終わることが判り切った日々だからこそ、あまりにも貴重で、大切で、幸せな毎日。

 『終わり』を考えてしまうのは、わたしの癖というか習慣のようなものである。誰のせいでもなく、いつも考えているといってもいい。世界だって、宇宙だって、いつかは終わるのだ。そして、終わるからこそ大事に出来るものもある。


 そうやって、『いつか来る終わり』を考えながら、終わってなお宝物として残り続ける時間なのだと───きっとそうなると、わたしの中にはいつしか確信が芽生えていた。

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