先輩と僕、終わりと始まり

智代固冷人

二人だけの部活動

「はい、詰み」


 先輩は音も鳴らさず、スッと自分の金将を王将の目の前に置く。


「負けました」


 先輩は正座を崩して、立ち上がる。


 その立ち姿は、まるで何者も近づけさせないような、強さと美しさを兼ね備えている。


 何度も見ているはずなのに、いつもそう思ってしまう。


 将棋が終わると勝ち誇ることもなく、何かに思いふけている。


「今日も勝てなかったわね」


 僕はこのボードゲーム部に入ってから、先輩に一度も勝ったことがない。


 先輩は小さな部室の窓から、見飽きた景色を眺める。


「今日は勝てるまでやりたいです」


 今日はどうしても勝ちたい。勝たなければいけないんだ。


 自然と拳に力が入る。


「後輩君、友達はいる?」


 何の前触れもなく、僕は問いかけられた。先輩の表情はこちらからは見えない。


「いないです……」


 図星をつかれた僕は、明後日の方向を見る。


「ちなみに私もいない」


「先輩に友達がいないのは知ってました」


「私も、君に友達がいないとわかって質問した」


 いたずらな声で先輩は僕をからかう。


 こんなたわいもない会話ができるのは先輩だけだ。


「性格が悪いですね」


 僕はいつも通り、軽口をたたく。


「君もなかなかだよ」


 振り返らずに先輩は言う。


「君と喋っていると私は思うんだよ。もしかしたら、友達がいたら楽しかったんじゃないかって」


 先輩は窓枠に両肘を置いて、僕に語りかける。


「君と出会ったのは高校三年生だから、約一年経つけど、私は君と喋ることが、この学校で唯一の楽しみのかもしれない」


 もう一年か……、僕がこの部活に入ったのは二年生になってすぐだった。


 一年生の時、僕はサッカー部に入っていた。だけど、上下関係や友達付き合いが上手くなかった僕は、すぐに退部して二学期には晴れて帰宅部となった。


 この学校は九割の生徒が部活に入っているので、それを心配した担任の新人先生が、あれやこれやと部活を紹介してくれたが、僕には全く合わなかった。


 そして先生が『ここは部ではないんだけど……』と最後に紹介されたのが、ボードゲーム部だった。


 部室には先輩しかいなくて、ボードゲームもオセロと将棋しか置いていなかった。


 戸惑いながら入ってきた僕を見て、先輩は部室に唯一ある座布団に正座をしながらこう言った。


『この部、つまらないわよ』


 とても冷たい声だった。ここだけ、学校とはかけ離れた場所のように思えた。


 それに対して、僕は初めて喋る年上の女子高生に


『一人だけだと、部として認められませんよね?』


 と今までの自分なら、絶対に言わないようなことを口走ってしまった。


 だけど、その時起きた沈黙はとても心地良いと思った。


 それをきっかけに僕は先輩に興味を持ちはじめて、この部? に入った。


「あの頃の君と今の君、ちっとも変わっていないな」


「えっ、僕の心が読めるんですか!?」


「君の考えなど、手に取るようにわかるさ」


 僕は先輩の発言に嬉しさと若干の怖さを感じた。


「君も一度は学校に行きたくないと思ったことがあるだろう。私も二年生まではそうだった。だけど、君が来てくれた頃から、私は一度も思ったことはないんだよ」


 僕はニヤける顔を一生懸命に堪える。


「僕も、先輩と話すことだけが、学校に来る理由でした」


 ちょっと、カッコつけてしまっただろうか。


 先輩は僕の発言に何も言わず、話を続ける。


「だからさ、思ってしまうんだよ。もしも、私に友達がいたら、楽しかったんじゃないかって。だからさ、君は今からでも——」


「友達をつくれって言いたいんですか?」


 それは、先輩の優しさだと僕は瞬時に理解した。僕が先輩と同じ道を歩いてほしくないという意味だということもわかった。だけど、


「それは違いますよ」


 僕は立ち上がって、真っ向から先輩の提案を否定する。


 先輩は僕の予想外の返しで驚いたのか、ゆっくりと振り返る。


「僕と先輩は!」


 初めてだ。僕が大声で先輩に向かって叫ぶのは。


「じゃあ、私と君は一体どういう関係なの?」


 僕と先輩の関係性……言えない、だって……


「ごめん、君に意地悪な質問をしたね」


 先輩は急に謝る。


「最後の部活動で言っておきたかったんだ」


 先輩は力が抜けたように壁にもたれて座る。


 そう、これが先輩との最後の部活。


 だからこそ、僕は最後に勝って、ちゃんと……お別れをしないと。


「先輩、九マス将棋をしませんか?」


 僕はカバンから小さな将棋盤を取り出して、テーブルに置き、初期配置にセットする。


「おっ、自信満々だね」


 先輩はまたいつもの、プロ棋士のような風格で座布団に正座する。


 九マス将棋、これは僕がこの一年間で完璧にパターンを覚え、先輩に確実に勝てる唯一のゲーム。もちろん、先輩はそのことを知らない。


「先輩、お先にどうぞ」


「それは作戦かな? けど、あえて引っかかってあげる」


 先輩がスッとコマを動かす。


「僕は先輩とたくさんの時間を過ごしました」


 僕はパターン通りに、一手をうつ。


「私も君とたくさんの時間を過ごしたよ」


 僕の思惑通りに先輩が一手をうつ。


「僕と先輩の関係は一言では表せないほど、いろんなことをしました」


 何故か震える手を頑張って隠しながら、一手をうつ。


「そうだね。忘れられない一年間を君からもらったよ」


 先輩は王手をかける。


「先輩、言いましたよね。僕は昔とちっとも変わってないって。でも、僕は変わりましたよ。僕は……僕は……」


 視界が少しかすみだした僕は、パターン通りに王手を回避する。


 先輩は俯く僕を心配しながら、一手をうつ。


「僕は、先輩なしではもう……だめなんです!」


「……」


「先輩がいないと、僕は生きていけそうにないんです! 高校も、大学も、この先ずっと……」


 泣くな僕! もう少しで卒業する先輩を困らせてどうする!


 だけど、伝えられずにはいられない。


 ずっと一緒にいたいと、伝えたい。


「そっか、君も同じだったんだね」


「えっ……?」


 かすれた視界から見えるのは、一滴の涙が頬につたっていく、表現できないほど美しい先輩だった。


「こんなこと、言ってはいけないと思ってた。困らせるだけだって。でもやっぱり、そばにいて、軽口たたいて、笑い合って、ゲームをする。それは全部、君がいい。君と一緒がいい」


 先輩も僕と同じ思いだった。涙が止まらない。


「二年間待つから、すぐにこっちに来てね」


 僕は涙を腕でぬぐい、先輩を心配させないように力いっぱい答える。


「……わかりました! 絶対、迎えに行きます」


 僕は気合の一手をうつ。


「卒業、おめでとうございます」


「まだしてないんだけど、ありがとう」


 先輩のそんな微笑んだ女神のような優しい顔、見たことないですよ。


 抑えられない、もう抑えきれない、この気持ち。


「先輩、大好きです」


 少しの沈黙が流れる。


 先輩は将棋盤に目を下ろす。


「はい、詰み。私の勝ちだね」


 やっぱり、僕は今日も勝てなかった。


 だけど今日で終わりなんかじゃない。


「僕の、完敗ですね」


 次は、先輩に好きだと言わせますよ。二年後に。










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先輩と僕、終わりと始まり 智代固冷人 @midori3101

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