神様依存症(CERO B くらい)
例えば、信じていたものが急になくなるとしたら、人々はどうなるのだろうか。
信仰とは、神に依存すること、だとわたしは
考えている。
だけれど、信仰することは、思考停止すること。
人間とは、自分とは、現世とは、宇宙とは、そんなことを考えて不安に陥ることを、神に依存することによって考えないようにする行為。これにより時間というリソースが節約されるのだ。
ある意味、信仰は人間の生産効率をあげているともいえる。
*
しかしながら。
例えば、仏教やキリスト教なんかは、とうの昔に歴史になった人を信仰しているけれど、新興宗教なんかは、神に通ずる教主が現在生きていたりするわけであります。
教主が亡くなったり、逮捕されたりしまして、その宗教がなくなった場合、信者はなにをしてきて、今後なにをしたらいいのだろうか?
宗教という繋がりもなくなり、人間関係も変化する。
統率が取れなくなった集団が、おもいおもいの方向を向きはじめて、ひいては争いが起きるのではと思ったりしている。
神様に依存していた人は、次はなににすがればいいの?
結局、人類みんなメンヘラで、宗教に縋ることでメンヘラを抑え込んでいるのではないかなとも思ったりしている。
ちなみに、日本の会社もある意味宗教で、社長や会長を信仰しているように、わたしは見えている。合わない場合は、宗派を間違えたとおもって、改宗という転職を考えるのがオススメです。
じゃあ、無職こそが無神論者ともいえそうですが、それはそれで生き方はどうだろうか。
まあ、自分と向き合って向き合って向き合って思考停止しない人もいれば、思考停止してネトゲやってる人間なんかもいるようですし。
まあ人生なんてその人が決めることですし、信仰していようが、していまいが、それぞれな気もします。
必ずしも、信仰と幸福とは一致しない。
でも人はひとりではいきてはいけない。
その依存先が見つからない場合、神に行き着くんじゃないかな、なんて。
日本は神道が根付いているので、意識的にはないかもしれないけれど、文化として無意識的には依存しているんじゃないかなと。
初詣とか、みんな神頼みしてんじゃん? 受験とか祈願しちゃってるじゃん? 七五三とかお祝いしちゃってるじゃん?
あるいはクリスマスやハロウィンなんかも受け入れちゃってるじゃん?
かたちだけ、とかいうけれど、信仰はかたちからともいうし、形式美を大切にしていると言えば、信仰は信仰な気がしています。
ということで、安心せぇ。
人間みんなメンヘラなんやで。
だからわたしが神様だからといって依存してくんなや。
良い子のみんなは、現世の人間に迷惑かけずに、ちゃんと神様に依存してくださいね♡
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます