第1章 小豆坂の戦い

三年ぶりの駿府

 街道を往来する人の姿が少しずつ増えてきた、と思っていたら、まっすぐ伸びた道の先に立ち並ぶ商家の屋根が小さく見え始めました。ああ、久しぶりに帰ってきた! 駿府の街です。

「あれから、三年になるのか……」

 私の生活は、三年前の『あの事件』のせいで大きく変わってしまいました。

 それまでの、楽しく、喜びに満ちあふれていた毎日が一瞬にして奪われてしまい、家族とも離ればなれになって、戦乱のうち続く関東を一人で渡り歩いてきたのでした。

 今日は、天文十三年の大晦日。年が明ければ、私も十八歳になります。

 久しぶりに目にする駿府の街は、新年を迎える準備に忙しい人々で、華やかな賑わいを見せていました。


 小田原から鎌倉、江戸、川越、古河などざまざまな街を回り歩いてきましたが、やっぱり駿府の街はダントツで素晴らしいと思います。決して私の故郷だという「ひいき」ではありません。賑わいも華やかさも、そして人々の明るさも、他とは比べものにならないくらい、駿府の街は活気にあふれているのです。


「兄貴たちも帰ってきてるかなぁ」

 私には、幼い頃から一緒に遊び回った二人の兄がいます。

 生まれ故郷の焼津原で走り回っていた幼い頃も、駿府の街に出てきてからも、三人はずっと一緒でした。

 それなのに、天文十三年の『あの事件』で、私たちのお家の岡部家が取りつぶされることになっててしまい、私たちは父上に命じられて、それぞれ別々の方角へ旅に出なければならなくなってしまったのでした。


 私は東。小田原の北条宗哲さまのところへ。

 兄の亀吉は西。伊勢の海賊の小浜景隆さまのところへ。

 そして、もう一人の兄の亥之助は北。甲斐の武田晴信さまのところへ。


「三年経ったら戻ってこい」

 父上のその言葉を信じて、私は、長く苦しい旅を続けながらひたすら生き延びてきました。


「さて、どこかで着替えを調達しないと…」

 今の私の格好は……というと……

 男物の小袖の上に三島神社と書かれた羽織を重ね、頭には手ぬぐいを巻いて髪を隠し、足には脚絆、背には大きな葛籠つづらをかついだ、いかにも行商人といった装いをしています。

 私のいた小田原の北条氏と、駿河を治める今川氏は、昔は親戚どうしで仲が良かったらしいのですが、現当主の今川義元の代になってからは争いが絶えず、両者の国境付近にある「駿東」と呼ばれる地区を巡って、血みどろの戦いを繰り返しているのです。

 小田原から駿府に来るためには、どうしてもこの危険な紛争地帯を通らなければならないので、少しでも危険を避けるために、男装して三島神社が作る暦を売り歩く「頒暦商人」の姿になって旅をしてきたのでした。


 駿府の街は、三年前とほとんど変わっていません。

「えっと、確かここの角を曲がったところに…」

 あった。 

 以前に何度も来たことがある古着屋が、まだ変わらず店を構えていました。


「へい。いらっしゃい」

 店の主人は、昔と同じ人ですが、男装した私には気づかないようです。

「そこにある小袖を見せてちょうだい」

「はい。これは女物ですよ。どなたかへの贈り物ですかね?」

「いいえ。私が着るのよ」

 そういいながら、羽織を脱ぎ、頭の手ぬぐいを取って、髪の毛を後ろに垂らしました。

「え? ええっ?」

 店主は一瞬驚いて後ずさりしましたが、さすがは商売人だけあって、すぐに気を取り直すと、女物の小袖を何着か取り出してきました。

「おじさん。私よ。3年前までは何度もここに買いに来たの、覚えてない?」

「え?」

 店主は、これといって特徴の無い私の顔をまじまじと見つめてていましたが、やがて目を斜め上に向けて記憶を探りながら、ポンと手をたたきました。

「あっ、お嬢ちゃん、小春嬢ちゃんじゃないですか!」

「良かったぁ。思い出してくれたのね」

「ええ、ええ。そりゃあ。お得意様を忘れたりはしませんよ。それにしても本当に久しぶりですねぇ。背も高くなって、顔も大人びて、すっかり女らしくなりましたね、胸も…」

 店主は、そう言いかけて、私の胸をちらっと見たが、すぐに目をそらして話題を切り替えました。

「三年ぶりですかぁ、どこかに行ってらしたんですか?」

「ちょっと、何よ。胸は仕方ないのよ。男装するためにサラシで巻いて押さえてるんだから!」

「ああ、いえいえ決してそんなつもりでは…」

 さすがの店主も少しおろおろして謝りますが、深入りはしないことにします。


 店主が出してくれた二枚の小袖を見比べていたら、店の奥の方から大きな声が聞こえてきました。

「おうい、おやじ! この服はさすがに丈が足りねえぞ!  別のやつ持ってきてくれ」

 さらに何着か私に渡そうとしていた店主は、思い出したようにそちらを振り返りました。

「嬢ちゃん、悪いな! いま別の客の相手もしてるんだ。嬢ちゃんはちょいとそこで待っててくれ!」

「それはかまいませんが、でも今の声、どこかで聞いたような……」


 呉服屋のおっちゃんは「ちょいと待ちな!」と声を張り上げましたが、客の方はそれを待たずにこちらに向かってきたみたいです。ドスドスと重たい足音で店の奥から現れたのは、真っ黒に日焼けした、筋骨隆々の小柄な男でした。

 どうやら、子供用の服を選んでしまったようで、着物の裾から、足がすねのあたりまで見えてしまっている。その困り果てた姿に見覚えがあります。

「……もしかして、亀兄かめにい?」

 私が話しかけると、その男は驚いた顔でこちらを見て、私の姿を上から下まで舐めるように見てから、驚いたように声を上げました。

「お、おまえ、俺を亀兄と呼ぶってことは…、まさか、小春か? 」

「まさか、じゃないわよ。私よ。やっぱり亀兄よね!」

(古着屋のおっちゃんでも覚えていてくれたのに、何で実の兄が私のことわからいのよ!)

と、少し腹立たしかったけど、亀兄の方もかなり見た目が変わっていて私も目を疑ってしまいましたから、お互い様ですね。亀兄は、三年前と比べて背はほとんど伸びていないものの、体全体に筋肉が付いてムキムキになっています。顔つきも日に焼けて精悍になっていますが、愛嬌のあるくりっとしたまなざしや、自分で服を選ぶこともできない鈍くささは以前のままです。

「おぉ、小春ぅ。生きていたか! 会いたかったぞー」

 亀兄は試着中の寸足らずの着物のまま、人目もはばからずに抱きついてきました。

 ちょっと恥ずかしかったのですが、喜怒哀楽を素直に表現するところがお兄ちゃんらしくて懐かしいから、まあ我慢することにしましょう……。

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