最低最悪の恋愛失敗サンプル
シラサキケージロウ
最低最悪の恋愛失敗サンプル
なんだか厄介なことになった。
黒服ガチムチサングラスのコワモテ男が突然家にやって来たと思いきや、「君と明里朱莉は政府によって恋愛失敗サンプルに選ばれた」と言ってのけたのである。嘘か詐欺かドッキリかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
黒服さん曰く、政府は少子化対策のために『若者の恋愛離れ』を解消しようとしている。そのためには、『恋愛離れ』の原因を究明する必要がある。そこで、本来ならば恋愛が成立しているべき関係性である俺――つまりは賀久左馬之助と明里朱莉を調べ、「どうして若者は恋愛をしないのか」という謎を探るとのことだ。
ふざけてやがる。こんな無駄なことするために消費税を上げたのか?
明里朱里は俺の幼なじみだ。家はお向かい。生まれる前から両親が友人同士。なんの因果か幼稚園から高校生現在まで、通う先も同じ。腐れ縁、気のおけない関係、親友……。俺達の関係性を示す言葉は数あれど、その中には確かに恋愛関係の言葉はないように思われる。
朱莉は顔がいい。気も効く。性格も明るい。友人も多い。欠点らしい欠点といえば、猫を構い過ぎて嫌われることと、料理をやらせたらリアルに砂糖と塩を間違えることと、よくワカラン映画を嬉々として俺に見せようとしてくることくらい。
……たしかに、恋愛感情を抱いていないことが不思議なくらいかもしれない。たぶん、出会い方が悪かったんだろう。お向かいさんじゃなくて、あるいは三軒先くらいのところに住んでたら、生まれる前からの知り合いじゃなくて、五歳くらいから知り合ってたら……わからなかったかもなんて思う。
黒服さんは淡々と言う。
「サンプルに選ばれたといえど、別に普段と変わらず生活して貰いたい。ただ、注意点がふたつ。このことは君と君の家族以外には誰も話していない。絶対に他言無用だ。それと、万が一にも明里朱莉に対して恋愛感情を抱いてはいけない。サンプルを選定しなおす予算が下りない」
ふたつ目の理由が妙に世知辛いなと思いつつ、俺は「わかりました」と受けた。
普段と生活を変えなくていいならなんの問題もない。ただ普通に学校へ行って、普通に過ごす。勉強も部活もほどほどにこなし、休日には友人と遊ぶ。それでいい。
翌日。学校へ向かい、教室に入った俺を迎えたのは「おぅす」という友人・黒川の挨拶。「おぅす」と軽く手を挙げて答え、席に着くと、黒川はわざわざ俺の席までやって来て言った。
「なんだよ、今日は『嫁』と一緒の登校じゃないのか?」
黒川が言う『嫁』というのは朱莉のこと。この手の冗談にもすっかり慣れた。なんせ、物心ついた時から似たようなことを言われ続けているのだ。
「寝坊したんじゃないのか。会わなかったからな」
「おいおい、冷たいダンナだよなぁ。起こしてやりゃよかったのに」
「起き損ねる方が悪い。どうせ、夜中まで趣味の悪い映画でも観てたんだろ」
「一緒に観てないのか?」
「付き合えるかよ、そんなに」
黒川は小さく息を吐くと、これ見よがしに肩を落としてみせた。
「羨ましいね。俺なら、明里さんになら毎日だって付き合うのによ」
「十七年も毎日顔合わせてりゃいやになるもんだ」
その時、教室の扉が勢いよく開いた。その喧しい扉の開き方だけで、朱莉が入って来たのだとわかった。
朱莉は友人たちと挨拶を交わしながら机と机の間を抜けていくと、俺の前の席に座った。なんの因果か、俺と朱莉は学校でも『お向かいさん』である。
「おぅす、明里さん」と黒川は陽気に挨拶する。「おはよ、黒川くん」とにこやかに答えた朱莉は、俺の顔をちらりと見ると、なんだかやけに気まずそうに視線を漁っての方向に向け、「おはよ、左馬之助」とボソボソ呟いた。なんだかコイツらしくないな。とくにモメたわけでもないし……なにかあったのだろうか。
「どうした、朱莉。腹でも痛いのか」
「うっさい。痛くないし」
「にしては、機嫌が良くないみたいだな」
「平気。ただちょっと、アレなだけだから」
「なんだよ、アレって」
「アレはアレ! 左馬之助は黙っててよ、武士みたいな名前のくせに!」
アレなだけというのがよくわからんが、いつもの朱莉じゃないことだけは確かだ。「武士みたいな名前のくせに」とお決まりの文句も出たところをみるに、間違いなく機嫌はよろしくない。ともあれ、触らぬ神に祟りなし。放っておくのが一番だと、経験上よく理解している。
「夫婦喧嘩は犬も食わんな」と笑う黒川を小突いたその時、担任がやって来てホームルームが始まった。
一時間目から六時間目までをこなし、部活もほどほどにやって、高校を出たのが夜の六時。家までおよそ二十分の道は徒歩。学校までの距離が近すぎるせいで、自転車通学の許可は出ていない。
丸い月をぼぅっと見上げながらひとり歩き、家の前までたどり着いたところで、「左馬之助!」と声を掛けられた。
丸い大きな瞳、勝気な眉、「何かショッキングなことがあった時にすぐ切れるように」という謎の理由で腰まで伸ばされた黒い髪。そこにいたのは朱莉だった。
「あのさ……ちょっといいかな!」
「いいけど。どうした?」
「大事なことなの!」
月の光に照らされて、朱莉の顔が赤らんでいることに気がついた。なにか恥ずかしいことを頼むのか? 食べ放題の店に付き合って欲しいとか、ヒーロー映画を一緒に観に行って欲しいとか?
朱莉は俺の耳のそばにそっと唇を寄せた。
「あの、ね……。本当は誰にも秘密なんだけど。あたしたち、恋愛『成功』サンプルに選ばれたんだって。よ、よくわかんないけど……将来、け、結婚……することになるって……」
朱莉は息も絶え絶えにそれだけ言うと、変に裏返った声で「それじゃ!」と残してロケットみたいな速度で自分の家に駆けていった。
これは黒服さんに連絡して聞いた話だが、俺と朱莉が恋愛『成功』サンプルに選ばれたというのは、非政府系の組織が出した見解で、あまり信用しない方がいいのだという。
「我々が調べた限り、君と明里朱莉は最高の恋愛失敗サンプルなんだ。くれぐれもそれを忘れないようにね」
◯
翌朝。寝不足の俺は、いつもより少し遅く家を出た。あくびを堪えつつ道を歩いていけば、視界に映ったのは元気に跳ねる後ろ髪。朱莉の背中。
いつものように「おぅ」と声を掛けたいだけなのに、異様に喉が渇く。心臓が無駄に鼓動する。手のひらに汗が滲み出る。いやに緊張する。
ああ、ちくしょう。ダメだな、俺。わかんなかっただけなんだ。わからないフリしてただけだったんだ。
黒服さん、ごめん。
たぶん俺、『最低の最悪の』恋愛失敗サンプルになると思う。
最低最悪の恋愛失敗サンプル シラサキケージロウ @Shirasaki-K
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