八佾17~19 君に事うに禮を盡くさば人は以て諂いと爲す
17
子貢欲去吿朔之餼羊。子曰:「賜也!爾愛其羊,我愛其禮。」
端木賜殿が新年の祭礼にて、
羊を捧げるのをやめようとした。
というのも新年の祭礼では、
国主が天に羊を捧げる、が正式。
その祭礼に、国主が参加しなくなって
久しくなっていた。
なので羊を捧げることもあるまい、
と端木賜殿はお考えになったのだ。
すると孔丘先生が仰った。
「賜! お前は羊をあわれむのか?
私は、祭礼の形が
少しでも残っていることを望むよ」
この条に関しては子貢に賛同するかなー。それにしても、ここまでの孔子の考え方には、あんまり「先祖から伝わったものを大切にする」的な発想が存在してない。それがどっかの条にあるんなら、この条も割とすんなり受け入れられた気がするんですが、「まず真心あっての礼だ」的な孔子の考え方からすると、なんかややずれてない? という気はする。うーん、どうなのかな。なんとなく「そうでもなさそう」的な引っ掛かりも覚えるし。
この辺はいたずらに結論を下さず、どっちでもありそう、的にふんわりさせておく方がよさそうですね。
18
子曰:「事君盡禮,人以爲諂也。」
孔丘先生は仰る。
「君主に仕えるにあたり、礼を尽くす。
人はこれを諂いと認識するようだ」
他者の認識との齟齬、ですかねえ。この辺りはぶっちゃけ「孔子の基準が世の中から逸脱していた」ことをあかすものとして見るべきなんでしょう。偉大なこと、あるべきもの、理想的なもの。それはしかし、当時ですら行き過ぎたものとしてとらえられていた。
もうマジ「昔はよかった」やめましょうよ。それは慣れ親しんだやり方が通じなくなったことがつらい、でしかないからさ。
19
定公問:「君使臣,臣事君,如之何?」孔子對曰:「君使臣以禮,臣事君以忠。」
魯の定公・姫宋が孔丘先生に問う。
「君主が臣下を用い、
臣下が君主に仕える。
この要諦とは?」
孔丘先生は仰る。
「君主は礼をもって臣下に接し、
臣下は忠をもって君主に接するのです」
まぁ、普通に考えて、君主→臣下の「礼」が先ですよね……(いろいろもやもやしたものを抱えながら)ひとまず自分は礼を尽くす人間ではありたいものです。なにせ上の人間にかけらほども忠の気持ち抱けねえしなぁ。
ちなみに定公は、孔子が仕えた最後の魯の君主である哀公の父。国内の状態は既にガッタガタであり、他の条に登場した三孫氏の権勢をどうにか排除しようと部下を使って目論んだが失敗したりとかもしているそうだ。そうやって考えると、この条の定公の言葉は悲鳴のようにも見える。そして孔子もこれ、けっこう残酷な言葉吐いてるよね。今さら三孫氏との関係が礼と忠になんて収まるかよ、なんて状態だったろうに。
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