學而12~14 和を用うるを貴しと爲す

12


有子曰:「禮之用,和爲貴;先王之道,斯爲美;小大由之。有所不行,知和而和,不以禮節之,亦不可行也。」


 有若ゆうじゃく先生は仰る。

「礼を用いるよりも、まず和が重要だ。

 古の聖王も、和を尊しとされた。

 この点はことの大小に関わらず

 なされていたが、無論和だけで

 すべてが回るわけではない。

 和でどうしようもないところを

 礼で補うようにするのだ」


「和を以て貴しとなす」はよく聞く言葉だけど、「和ではなかった」からこその言葉、というようにも響くよね、とゆう。これにもうちょっと踏み込めば「我々は放っておくと和の状態であれない。だからこそ礼儀でもって調節するんだよ」となる。そうすると前の話たちも人間の心性はどうにも強制しがたい、だからひとまず動き、振る舞いで整えておくんだよ、みたいな話にもなるのかな。



 

13


有子曰:「信近於義,言可復也;恭近於禮,遠恥辱也。因不失其親,亦可宗也。」


 有若先生は仰る。

「約束事が正しければ、

 言葉通りに実行できる。

 恭しさが礼儀に近ければ、

 恥辱からは遠ざかれる。

 かくしてその親しさを失ったとしても、

 重んぜられたままでおれるのだ。


 今持ってる概説書、吉川よしかわ金谷かなや加地かじ三家の解説がそれぞれで全く違う。それだけ解釈に苦しむ条だってことなんだろう。約束をきっちり守ること、恭しさをしっかりと打ち出すこと、をすれば、たとえ親しみが薄れたとしても人びとからは重んぜられる、という風にするといいのかな。すんなり収まる解釈には辿り着けなさそう。




14


子曰:「君子食無求飽,居無求安,敏於事而愼於言,就有道而正焉:可謂好學也已。」


 孔丘こうきゅう先生は仰る。

「君子は飽食であるな。安逸におり続けるな。

 機に対し、敏であれ。しかし言葉は慎め。

 これら為すべき道を進むのが

 正しいと知ること、

 これこそが学びを好む、ということだ」


 この辺りの言葉は老子と近い。結局儒も道も、己を律せよって部分では一緒だし、それこそが人間の行動にとって大切なのだよって話なんだよなあ。どっちの言葉にだって学びはあるし、何と言うか、そう考えればそう考えるほど老子の弟子どものファック儒の精神はクソですな! いや儒は儒で俺ら最高しぐさがファックですけど!

 なお「敏於事」については、老子がもっとピーキーな境地で語ってます。いわく「圖難於其易、為大於其細。天下難事、必作於易。天下大事、必作於細(徳経63)」。どんなクッソめんどくせえことも、その発端で潰せればまるで労力を費やさず解決できるよ、みたいなアレ。うんそうだね、わかるよ、それを察知できるようになりたいよね☆

 なれるわけねえだろがクソボケ。

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