01 學而
學而01~04 學び時に之を習う亦た說こばしからずや
1
子曰:「學而時習之,不亦說乎?有朋自遠方來,不亦樂乎?人不知而不慍,不亦君子乎?」
「学び、また教えを乞う。
知見が広がるのは喜ばしい。
遠方より来た友と、
議論を交わし、学識を深める。
何と楽しいことか。
ひとの無知に怒らず、
穏やかに接する。これぞ、
君子の振る舞いではないかね?」
いま改めて見たら「なんだこのオタクかくあるべしみてえな格言は……」って思った。分かる、わかるよ、学び、得たオタトークを共有できる喜び……入口に立つ人を排除せずに行きたいものだよね……。
2
有子曰:「其爲人也孝弟,而好犯上者,鮮矣;不好犯上,而好作亂者,未之有也。君子務本,本立而道生;孝弟也者,其爲仁之本與?」
「
上下の秩序を乱そうとする者は少ない。
秩序を乱そうとしないのだ、
ならば場をひっかきまわすことが、
果たしてどれだけあるだろう。
君子は常に根本のことを大切にする。
根本が据わり、初めて
正しき振る舞いがなせる。
孝悌の心を抱くこと、それこそが
仁者としての根本ではないか?」
孝悌が「孝行者の弟」と書くのが元だとすると、弟が献身的に兄に対して仕えること、というのが「悌」って言葉のもとなのかな、と思った。確かにすべての人に対し、尊崇すべき兄であるかのよう接するというのが「仁」だって言われると、そんなもののような気もする。この辺の用語、もうちょいどっかで整理つけられるんですかねえ。
3
子曰:「巧言令色,鮮矣仁。」
孔丘先生は仰る。
「口先だけでそれっぽいことを
くっちゃべる連中に、
仁の心は期待できないものだ」
ン千年あとの時代に生きる我々にとっては、むしろ変に孔丘センセーのお言葉引用してくる連中のほうが「巧言令色鮮し仁」ですよねえ、という気もしないではない。結局のところどれだけ時宜にかなったことを、必要なぶんだけ語れるか、なんでしょうね。そうやって考えると敢えてひと目につく場で今更論語を読みまーす! なんて言いだしている自分の振る舞いには、根本のところで仁はないよね。そこは重々自戒していかなきゃねって思うのだ。
4
曾子曰:「吾日三省吾身:爲人謀而不忠乎?與朋友交而不信乎?傳不習乎?」
「私は一日に、三点について省みる。
ひとのために尽くすことができたか?
友と信義ある付き合いは出来たか?
教わったことを復習できたか?」
あー、と思いました。いわゆる「ブラック企業の真逆」ってやつだよね。なんとなく論語って最近の考え方に求められる「あるべきこと」に適合してきそうだな、という気はしてるんです。それも論語を読もうとしたきっかけ。これなんかは「情けは人の為ならず」的な感じですよね。言うまでもなく大切なことなわけだけど。
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