心中

舶来おむすび

心中

 その指先は、まっすぐに始まりの方へ向けられていた。いっさいが終わる事象の地平線、2人のすべてが収束すべき方角へ。

「なんだったっけアレ、エビングハウス曲線?」

「シュヴァルツシルト面。一文字も合ってない」

 お前本当に宇宙飛行士か、と言いたげな相棒の視線を遮るように、女性はすらりとした手を鬱陶しく振ってみせる。

「冗談に決まってるでしょバカ。そんなだから今の今まで浮いた話のひとつもなかったのね、めちゃくちゃ理解したわ」

「お前にだけは言われたくない」

 じゃじゃ馬、跳ねっ返り、ニトログリセリン女……目の前の人物へかつて向けられていた無数の陰口を思い出しつつ、男は呆れたと言わんばかりのため息をひとつ落とした。

「で、これからどうするんだ。地球との通信全部潰しやがって」

「今更計画の確認? ケツまくって逃げるつもりならあそこに着く前にこの船から蹴落とすけど」

 ハイヒールめいたデザインの船内靴が、硬質な金属の床をコツコツ叩く。親指だけで後方をもう一度指し示す様はそこらの男より男らしいな、とぼんやり思った。

「なわけあるか。お前と籍入れたときから腹は決まってる、ただ着くまでにくたばるのはお互い本意じゃねえだろ」

「まあね。でも別に、追加燃料とか食料のオーダーなんてしないでしょ? どうせ帰るわけでもないんだし」

 それに───と笑いながら天を仰いで、


「きっと、もう私らの国なんて残ってないよ」


「だな」

 宇宙への出航直前に国際回線でばらまいたレポートは、今までかき集めた祖国の非人道的行為・それによって得た経済的・技術的利益の証拠をまとめて詰め込んだ。いくら腰が重いと言っても、こと資本が絡めば世界の牽引役もさすがに動かざるを得ないだろう。まして、卓越した技術だけが売りだった国であればなおのこと。タネをすべて明かしてしまったマジシャンが選べる道は、自ら廃業するか他者に引導を渡されるかの二択しかない。

「家族に別れは言ってきた?」

「まあ一応、普段通りに。お前こそどうなんだ」

「旅行チケットあげた。亡命先だってのは内緒で」

 一拍の間をおき、どちらからともなく吹き出した。ろくでなし同士、まったく似合いの道行きだ。

「HD167128まで、あとどのくらい?」

「見たところ半分は切ってる。近づくほど吸われるから、距離は参考にするな」

「そ。じゃあ、準備始めましょうか」

 踵を返した女に続き、男もまたメインルームを出た。操縦はとうにオートへ切り替えている。約1000光年先のブラックホールへ一直線、寸分の誤差も許さず幾度も計算した進路に狂いはない。

「あの円環の中じゃ、過去も未来も一緒になって見えるって聞いたけど」

「まあな。全知になるのが先か、身体がチーズみたいに引き伸ばされるのが先かってところだが」

「じゃあ、チーズになる寸前に『あいつ』と再会できることを祈りましょ」

「過去の影だけどな。それはわかってる、と?」

 先を行く女は、おどけた風に肩をすくめた。左手薬指のリングが照明を反射してきらりと光る。

「当然。つーか私もあんたも、あの日からずっと死に損ないの影みたいなもんでしょ。だったら大して変わらない、むしろようやくあるべき形に戻ったと考えるべきじゃない?」

 笑いながら振り向いた目は、どうしようもなく暗く、そこはかとなく澱んでいた。

 ───ああ、まるで鏡を見ているようだ。

 おかしいことはわかっている。それでも二人揃ってやめられずに、ここまで来てしまった。

『あいつ』がもし生きていたら、俺たちのことを叱るだろう。怒って、泣いて、でもきっと最後には許してくれるに違いないのだ。

 隣同士の試験管で産まれた生命、国民ナンバーが連番であるというだけの偶然。そこに縁やらいうものを見出だした世話焼きの青年を、男も女もはっきりと覚えている。忘れられるはずもない、あの大きな声を、まぶしい笑顔を、力強いぬくもりを───殴り飛ばしたくなるほどの愚かさを。

『国のためで、お前らのためにもなるんだろ? いいよ、俺行ってくるよ。土産はないけど、そのぶん話のタネはたくさん持って帰ってくるから、楽しみにしててくれって。な?』

 馬鹿ではなかった。でも愚かだった。話の裏を読める奴だった。それでも感情で動いてしまうタイプだった。

 研究の名称は覚えていない。別の世界を観測するとかいう話だったのは記憶している。くだらない実験だった。やってもやらなくても大局に影響はない、ただ他の国に負けないためだけに立てられた計画。

 志願した彼はひとり黒い渦へと飛び立って、それきり戻ってこなかった。

 新世紀のコマロフ、とか抜かした同期を半殺しにして謹慎を食らったのも今となっては懐かしい。奴はたしか中央で出世コースを選んだのだったか。今頃は首を吊っているかもしれない。贅肉の重みで死んじまえ。

 くす、と口許をほころばせた男に気づき、女はこれ以上ないほど怪訝な顔をした。

「なんだ」

「いや……あんたが笑ったの、久々に見た。気持ち悪い、やに下がってんじゃないわよ」

「お前こそ、さっきから笑いっぱなしだろうが」

「うっせーバカ。旧友との再会で笑わなきゃ嘘でしょバーカ」

 ひそやかな笑いが、無機質な廊下にこだまする。互いに握り拳を合わせた境目で、揃いのリングがカチリと鳴いた。

「あいつの分、持ってる?」

「当然。渡してやらないとな」

 ポケットから取り出したのは、染みひとつない純白のケース。中には、2人のそれとまったく同じデザインの金色の円環が収められている。

「俺たち、これでずっと一緒だ」

「そうね、もう絶対に離れない」

 寂しがりの青年だった。ひとりぼっちで行かせたのがずっと気がかりだった。倍近く年を取ってしまったが、ようやく迎えに行ってやれる。

 帰る場所もない狂人たちは、今途方もなく幸せだった。

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心中 舶来おむすび @Smierch

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