今宵、魔法は甦る
結跏趺坐
第1話
お父さん、お母さん。お元気ですか。わたしは元気でやっています。
エクセルシオールに来てから、もう半年が経とうとしているというのに、この街は相変わらず新しい発見ばかりで、わたしはドキドキさせられっぱなしです。
エクセルシオールは四方を山に囲まれた盆地で、北の隣国カタラノットから流れるウージ川がアルシ山とエラモ山を裂くように流れています。水流の行き着く先はマシモ内海。今、お世話になっているパメラさんの御宅がそのすぐそばに建っています。下宿先のパメラさんはとても親切な方で、わたしを妹のように可愛がってくださいます。こっちへ来て仲のいい友達も出来て寂しい思いはしていません。だから、どうか私のことは心配しないでくださいね。
みくも
「お手紙届くかな」
殆ど無意識のうちに七瀬美雲は呟いた。彼女から手紙を受け取った伝書鳩が天高く飛び去っていく。この国では手紙の交換に伝書鳩を用いるのは常識と言っていい。だから彼女も郷に入っては郷に従え、という心意気で、両親への手紙を伝書鳩なんぞに託したのかと云うと、そういうわけでもない。エクセルシオールやカタラノットといった国には電波というものが全く届いていないので、これまで両親に連絡を取ることが叶わなかった。ところが、ちょうど二日前にエクセルシオールに於ける伝書鳩の話を世話役のパメラから聞かされたばかりで、ひょっとするとこの方法なら家族に手紙が届けられるのでは、と思い至ったというのが、伝書鳩の利用に至った経緯である。携帯電話、電子メール、テレビ電話のこのご時世に伝書鳩などというのは、なんとも古臭いと思う向きもあるかもしれぬが、それがエクセルシオールの伝書鳩のことなら些か意味合いも違ってくるというものだ。元来、通常の伝書鳩というものは鳩の帰巣本能を利用しているものだから、巣から巣への手紙の運送しか出来ないため、鳩が知らない場所への手紙の配達はおろか、当然受け渡し先の指定さえ出来ない。ところがエクセルシオールの鳩はというと、送り主さえ知らぬ届け先へ手紙を運ぶという。それも住所ではなく、送り主のもとに届けるというのだから面白い。居住地に送り主が居なければ、旅行先でも届けてくれるらしい。パメラによればこれも魔術の一つだという話で、手紙には差出人と受取人の名前を血文字で記す必要がある。魔術師の血統であれば、美雲のような魔導を修していないものでも構わない。ともすれば、母からの返事を期待しても良いものだが、届きはしても返っては来ないだろうな、と美雲は諦めていた。最後に見た母の顔は、とても娘の新たな門出を祝しているようなものではなかったからだ。ほとんど喧嘩別れだった。破局といってもいい。
美雲が母方の家系であるエメルフィードの家督を継ぐために、エクセルシオールへの出立を決めたことに就いて、父母ともに良い顔はしなかった。最終的に父親は折れたものの、母に至っては最後は口も聞けなくなった。ことの発端は十ヶ月前のことである。叔母から届いた二通の手紙。一つは母宛で、もう一つは美雲宛のものだった。母宛の方には美雲の祖母が亡くなったことが書かれていた。美雲宛の方には、こっちへ来て家督を継いでくれないか、というようなことが書かれていた。手紙の最後には、良い返事が聞けるまでは近くのホテルに宿泊している、そんな言葉で結ばれていた。相当に強い意志を感じる手紙ではあった。とはいえ、父母は当然反対していたし、その時点では美雲の方も家族から離れて、そんな聞いたこともない外国へ行くなど御免だというのが本音だった。それがなぜ急に意見を翻したのかというと、怪しげなエメルフィードの家業に興味を持ったから、というわけでもなく、失業した父を思ってのことだった。エメルフィード家に厄介になれば食事の面倒は勿論、家業を継がせるためにも教育も受けさせて貰えるだろうと、家計の負担に成りたくない一心での決意だった。思い立ったその日に、叔母の宿泊していたホテルを訪ね、直接その旨を伝えた。結局、その日のうちに二人だけで話し合い、色々なことを決めてしまった。留学先を叔母の住むカタラノットではなく、エクセルシオールに決めたのは美雲の意見が大きい。日本育ちの彼女にはどうも九月入学というのに馴染みがなく、ただなんとなく嫌だったという、とても子供染みた意見だったのだが、叔母も反対しなかった。それどころか、その日のうちに下宿先まで手配してくれたのだ。折角、家督を継いでくれる気になったのだから臍を曲げられては困るという気持ちもあっただろうが、美雲の教育の為にパメラに預けたいという思いも元々あったらしい。なんでもパメラは美雲の祖母の弟子で、叔母に依ると自分なんかよりよっぽど優秀な人だから、もともと学校卒業後には美雲を彼女の元で修業させると企んでいたのだという。
語学学習や環境に慣れる為にと、入学より半年も前に日本を発ったのは、叔母の考えであった。
出発の日は両親と顔を合わせるのが辛かったので、こっそりと家を抜け出してしまった。叔母に連れられ向かった先は空港ではなく、古びた珈琲店で、叔母が店の店主になにかを渡すと、二人は店の奥に招き入れられた。布を被った大きな鏡があって、布を店主が捲ると、鏡に美雲たちが写ることはなく、鏡の向こうには大きな駅のホームのような空間が広がっていた。その時初めて、彼女は自身がこれから身を置く世界が、これまで生きてきた世界とは異なる場所なのだということを認識させられた。
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