任意の作家の文体を真似(正田崇)

 そこは暗く、そして昏い。言うならば聖地という概念の対極に位置していた。光は乏しく、凶の気配はむせ返る程に濃い。空気は淀みに淀み、空間は二重の意味で闇を帯びている。善や陽の要素を持つものは影も形もない。夜の墓地ですらもう少し居心地はいいだろう。


 常人が立ち入れば恐怖と嫌悪で心が圧迫される。気を失ったとしてもなんら不思議ではない。ならば、逆説的に──ここで平静を保てる者は左道、即ち黒の魂を有していることになるだろう。


「今代の鍵の出来はどうだ?」


 問いかけた男の体は無傷だった。纏っている服も清潔そのもの。にも拘らず、強烈な血の匂いを放っている。血液が入ったバケツを頭からかぶっているかのようだ。果たして何人の命を奪えばこうなるのだろうか。加えて莫大な熱量を秘めている火山のような、あるいは研がれた刃のような剣呑さも帯びていた。端的に言って、近寄り難い人物だ。


「悪くないですよ、ベルナック」


 答えたのは長身の優男。目はやや垂れ気味で表情は花のように柔らかい。問いかけた男ベルナックとは真逆の雰囲気である。しかし、忘れてはならない。この場が負と禍の集合地であることを。魔の領域の中で微笑んでいる輩の精神が常人と同じであるはずがない。


「悪くない……か。上愿じょうげん、貴様は前回もそう言ったな。我々はその言を信じ、戯曲楽園メフィオンを回したが──」


 ベルナックが言葉を切る。次の瞬間、凄まじい殺意が体より噴出した。


「結果何が起きたか、まさか忘れた訳ではあるまいな?」


「ええ、ええ。一時たりとも忘れたことはありませんよ」


 砲撃の如き怒気を叩きつけられても尚、上愿じょうげんは鷹揚に笑っていた。灼熱の嚇怒を涼風のように受け流している。


「ですが、前回の破綻の原因は鍵のみにあらず。彼女は確かに至上とは呼べない出来でしたが……平均よりは断然優れていました。上の下といったところでしょうか。紅星の干渉さえなければ、滞りなく戯曲楽園メフィオンは駆動していましたよ」


「…………」


 憤怒がゆっくりと霧散していく。上愿じょうげんの言い訳、ないし言い分に一理を認めたからだろう。だが、瞳には未だに暴風のような感情が宿っていた。


「まあいい。鍵はどこまで成長した?」


「つい先日、霊層に至りました」


「ほう……」


 ベルナックは喜悦の相を浮かべる。彼が何を思っているか、上愿じょうげんは表情だけで理解できた。


「ベルナック、遊ぶのは構いませんが……」


「みなまで言うな。命さえ繋いでいれば文句はないだろう?」


「はい。分かっているようで何よりです」


 それを聞くとベルナックは即座に踵を返した。最早用はないと背中が雄弁に語っている。後ろ姿を眺めながら上愿じょうげんは一人ごちた。


「本格的に幕が上がるまで、まだ多少の刻を要する頃。ならば……私も一つ、好きに動いてみますかね」






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