魔法使いの国(マホウツカイノクニ)

東谷

1話【プロローグ】マホウツカイノクニ

人や車が空を飛びまわっている。それはアニメーションやVRの世界の話ではなく、まぎれもなく現実のことだった。

水でできた遊園地が夏になると湖の中に出来上がり、夜空には途方もない大きさの光の絵が飾られてロマンチックな淡い光で照らしている。植物は一瞬で育てることができるので、いつでもイチゴやスイカが旬の食材と同じようにみずみずしい。


夢や理想をごちゃごちゃに詰め込んだようなこの国『ニホン』は、別名魔法使いの国と呼ばれている。

大陸とつながっていない島国であるにもかかわらず、インフラ設備は充実しており街並みはクリーム色の外壁に統一された建物に色とりどりの屋根がどこから切り取っても美しい。

それらは全て、魔法という不思議な力によってもたらされた恩恵であった。国内ですべての需要と供給はほぼ満たされているといってよかった。その結果として国外との国交を必要とすることはなく、遥か先にある大陸との交流は殆どないに等しかった。


魔法使いの国という名は、こうした国発展を支えたのがが魔法を使う者、つまりは魔法使いと呼ばれる種族によるものだったためだ。しかしながら、そもそも国民に魔法使いしか居ないのであれば、わざわざ魔法使いであることを主張するようなそんな呼び方はしないだろう。

当然、この国にはもう一つ別の種族がいる。

それは―


◇◇◇


朝の7時。6畳一間の小さなワンルームには、膨らんだベッドがひとつと棚が一つ。そのほかには小さな木製テーブルに、衣服が6着も入ればいっぱいになるクローゼットがある。早朝の部屋の中は凍り付いたように静かで、微かに上下する布団の中からは一向に動く気配がなかった。この部屋には、目覚まし時計のようなものは一切置かれていない。


少しして、スイッチを押したわけでもなく木製の小さな人形が動き出した。それは、漫画家がポーズの参考にするときのモデル人形のようにのっぺらぼうで、関節部分が金属になっていて動くときぃきぃと音が鳴った。人形は膨らんだベッドの上をのそのそと登っていく。そのまま、中ですやすやと眠る男の耳元で座り込んだ。


「オーキーローーーーー!」


強烈な怒鳴り声が布団の中で弾けた。口の無い人形がけたたましく叫ぶ。その声はそれまで心地よい夢の中にいた男の耳を突き刺すようだった。たまらず掛け布団を跳ね飛ばすと、人形を掴み、荒々しくベッド側の壁に叩きつけた。呼吸を整えると、独り言を漏らす。


「毎回…心臓が止まりそうになるな…」


壁にぶつけられ、ぐったりとしていた人形は、何事もなかったように立ち上がり再びベッドの上を歩き始めた。


人形の正体は、魔法で動く魔道具と言われているものだ。商品名は『ヘルプ』。


両親から、一人暮らしのお祝いに貰ったもので、もうかれこれ一年はこのひどく斬新な起こされ方を続けている。心臓に悪くても、おかげで遅刻は絶対にしないのが自慢だ。

男はまだぼんやりとした頭で、ベッドから抜け出した。


ヒジカタ・リクは、魔道具を製造・販売する大手企業『マグ・バンク』に勤めている。今年で入社三年目の魔法使いだ。


魔法と言っても、漫画やゲームのように、時を止めたり瞬間移動をするようなものではない。魔法ができるのは単純に『操る』ということだけだ。炎でも光でもマナさえあれば操ることができる。操るというのは生み出すことではないので、なにも無いところでは何もできない。


「ふぁーあ」


大きなあくびをひとつ。そして、重たいまぶたをこすった。ベッド脇の棚に乗せたベルトを手に取り、右手に嵌めた。ベルトは革製で、中央に直径3センチほどの石が取り付けられている。石は魔石と呼ばれ、魔法を使うためのものだ。


朝のルーティーンをこなす為、重い腰を気だるそうに持ち上げ台所へと向かう。ルーティーンの一つは、コーヒーを飲むこと。もう一つは、ニュースを見ることだ。


慣れた手つきで、コーヒーの粉を入れ、水道の蛇口を捻り水をカップに注ぐ。カップを持ち上げている右手の魔石が光り、石の上にいくつかの青白い数字がはっきりと浮き出てくる。


わずかに数字が動くと、途端にカップが薄く光を纏った。それに合わせてカップの中の薄茶色の水がコポコポと音を立てる。1分もすれば湯気とともに運ばれてくる香ばしいコーヒーの匂いが漂いはじめた。


出来上がったコーヒーを飲み、浮かんでいる数字に目を落とす。魔石の上に表示されているのは、魔法の源であるのと同時にこの国の通貨でもあるマナの残高だ。


魔法使いというのはみな魔石に入れられているマナを消費して魔法を使用している。


リクの勤め先であるマグ・バンクはこの国のトップ企業として必ず名前が上がるほど大手だが、正直な話下っ端の給与はけして高くは無い。営業の成績次第ではエリア賞、社長賞などボーナスが付く歩合制を採用している。年間優秀成績者ともなれば、社長との会食やら貴族街でのパーティーやらにも呼ばれるのだが、現実は簡単にはいかないものだ。


リクはニュースを見るため、再びマナを使った。部屋の壁に青白い光が浮き出て長方形の枠を作る。40センチほどのその光の枠はウィンドウと呼ばれており、その中からはニュースが映し出された。


≪続いて、3日前に発生した、人間によるテロ事件についての続報をお伝えします。ジイ地区で発生した爆発と火災は、周囲一帯を巻き込みー≫


ニュースを見ながら、コーヒーを飲む。窓から差し込む日差しは秋の陽気で暖かく、雲一つないいい朝だ。ただし、ニュースの内容を除けば、だが。


ジイ地区と言えば、この地区の隣だ。しかも、営業エリアが地区境だから、仕事の時はこの現場の近くを回ることになる。


陰鬱な気持ちを切り替える為に、早々にシャツに着替えてズボンに足を通した。念のために鞄の中を確認しておく。見覚えのある木製の人形がちょこんと入っており、思わず「あっ」と小さく声が漏れる。


「おい、入っちゃだめだって言ってるだろ」


中には、先程の人形ヘルプが入っていた。つまみ上げ、それをそっと棚に戻す。


もちろん、話しかけても会話の機能なんてものはない。


この魔道具のセールスポイントは、設定した作業を自動的にやってくれる、ただそれだけだ。力はあまりなく身体も小さいので、せいぜい料理の調味料を持ってこさせたりする程度。音声も録音可能なので、伝言を残すこともできる。


手伝い用の人形で、『ヘルプ』という名がついた。


最近は調子が悪いのか、元の位置に戻らずにカバンやゴミ箱の中で発見されることが多々あるのだ。ゴミ箱から生ゴミを連れて現れた時には、そのままゴミとして捨ててやろうかと悩んだほどだった。


トイレを済ませると、掛けていたジャケットとカバンを手に取り、玄関へ向かう。


その時、元に戻したはずのヘルプが、またしても棚に無いことには気付かなかった。ドアを開けると、心地い風が部屋に入ってくる。深呼吸をしながら廊下を抜けて道路に出た。


通勤用のバイクを起動させる為、歩きながらマナを使う。駐車場に向かうと、バイクが風を纏い僅かに浮き上がっていた。バイクと呼ばれるこの二輪中型車も、魔道具の一つだ。ごく一般的なものなら、マナを消費すれば自在に空を飛ぶことができる。


魔法使いならそもそも自分で空を飛ぶことも出来るが、そこは文明の利器には敵わない。なにせ、マナの消費は魔道具の方が効率的でかつ疲れないのだ。


飛び立つ前に、ふと路上の野良猫に目がいった。この付近で猫は初めて見る。例のテロで逃げてきたのかも、後で警察に伝えておくべきかな。そう考えながら、リクはバイクにまたがる。地面を蹴り出し、風と共に空へと飛んで行った。

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