その38 本の山、神の山

「ちょっとついて来てもらえる?


 そう言ってジーナさんが立ち上がるので、私たちはジーナさんの後を付いていく。


 屋敷というほど巨大な家ではないけれど、前世の感覚で言えばジェーンの実家はそれなりに大きな家だった。

 一般的な日本の一軒家より大きいくらい。

 土地が有り余っている村としては、これくらい普通なのだろうか?


 やがて辿り着いたのは奥まったところにある一つの部屋で、ジーナさんは罰の悪い顔をして、その部屋のドアを開ける。 


 中にあったのは……大量の本の山だった!

 それなりに広いはずの部屋がもう狭苦しくなってしまっていて、足の踏み場もないほど本が散らかってる。

 いや、足の踏み場どころか壁の色さえ分からない!

 文字通り本に塗れている!

 い、一応書斎なのかな?

 斎(静かに学問などをする部屋の意)って感じないけど!

 

 部屋の惨状を見て、ジェーンはわなわなと震えている。

 大変お怒りの様子に、ジーナさんは怒られるのを待つように、目を瞑っている。


「お母さんは本好きなんですが、その管理が酷いんです……お母さん! 私が学院に行ってもちゃんと片付けするって言ってたのに、前より酷くなってるじゃない!」

「ご、ごめんねぇジェーン……」


 娘の怒りを受けて小さくなるジーナさん。

 その姿は歳を感じさせない愛らしさに満ち溢れているけれど、この部屋は本で満ち溢れている。

 この中から日記を探し出すのは、なかなかに骨が折れそうだ。


「はぁ……えっと、私と母でこの本の山を漁るので、皆さんは休んでもらっていても……」

「そんなこと言わないでジェーン! 手伝うよ!」

「こちらがお願いしている立場だからな」


 私とお兄様は労働する気満々だった。

 それに2人より3人、3人より4人の方が早いはず。

 この本で築かれた炭鉱ともいうべき場所では、労働力の数こそがものを言うはずだ!

 炭鉱夫ならぬ本鉱婦として、立派なボタ山を作ってやる!


「ちょっと待つのじゃ!」


 気合を入れて私が腕まくりをしたところで、本の山の上に現れ、胡座で腰掛けるナナっさんが声をかけてくる。

 いつも通りの光景に私は手を振って応えた。


「あっ、ナナっさん! こんにちわ! でも、そこはグラグラして危ないですよ!」

「すっかり神出鬼没芸にも慣れてしまったのう……面白みがない!」


 もう4回目くらいなので、さすがの私も普通に受け答えできるようになってしまった。

 残念がるナナっさんだけど、永久に驚いていたら心臓に悪いので許して欲しい! ごめんなさい!


「それで、何を待つんですか? 時ですか?」

「時は待たんで良い。むしろ、時は待ってくれないと言いに来たんじゃ! ここの捜索に人員を割いていては勿体なかろう。ここは儂とジーナでやるから、他は探索に行くと良い」

「ふ、2人でこの量を大丈夫ですか?」

「儂の手にかかればこれくらい楽勝じゃ! ほんの……ほんの3時間もあればなんとかなる!」

「そこそこ時間かかってる!」


 ナナっさんの顔は苦笑いで歪んでいる。

 いかにナナっさんと言えど本の山から特定の一葉を見つけ出すのは並大抵の苦労ではないらしい。

 そんな魔法ないだろうしなぁ……。


「ママもそれがいいと思うわ! というか、お客様に片付けさせるのは申し訳なさすぎて死ねるから、存分に出かけてきてちょうだい!」


 ジーナさんもナナっさんの提案を受け、後押ししてくる。

 家主からすればどうにも恥ずかしい事態らしい。


 そう言われて無理矢理手伝うのでは、むしろ迷惑というもの。

 ここはナナっさんの言う通り、探索に行くのが一番らしい。


「ではどこに行きますか? 色々噂だけは多い村なのですが……伝説の剣とか鼻の長い妖精とかしゃべるカラスとか」

「どれもめちゃくちゃ気になるね!?」

「まずは学院長が神の頃、根城にしていたという山を見てみないか?」

「あっ、さすがお兄様! それは確かに重要そうです!」


 ジェーンの言う噂?伝説?もかなり気になるけれど、『真実の魔法』との関連性で言えば神の山を見てみるのは大事かもしれない。

 鼻の長い妖精さんは後回しだ!


「上から見た感じ、今でも山には儂の寝ていた神殿もどきが残っとるようじゃったし、行ってみると良いじゃろう。さあ、ジーナ、腰が壊れても本を漁るのじゃ」

「ううっ、自業自得とはいえ、超面倒だわ……」


 のそのそと重い足取りで本の山に向かって歩き出す2人を横目に、私たちは本物の山に登ることになった。

 

 ここで問題です。

 この後、私の身に起きるありふれた悲劇とはなんでしょう。

 正解はこのあとすぐ!





「ぐひぃ……ひぃはぁ……ぐふぅおっ……おお、おおお……」

「ラウラ様ー! だ、大丈夫ですか!?」


 立ち並ぶ木々の間、木漏れ日が葉と葉の隙間から眩く地を照らす美しい光景を前に、地面に目を向けて肩で息を切らし、もうピカソの絵のように崩壊した顔でぜいぜい言っている弱々しい女がそこにはいた。

 私であって欲しくないけれど、残念ながらそれはもちろん私です。

 正解は顔がピカソるでした!

 ……アホなことを考えてないとメンタルも体力と一緒に潰れてしまう!


 わ、分かっていただろうに何故意気揚々と山登りを決行してしまったのか!

 悲しいことに、数日そこらのランニングでは山という大敵を相手に勝つことは不可能らしい。

 もっとジョギングの時間を伸ばすべきかな……我ながら弱者が過ぎる。


「一度休憩にしよう。ラウラ、水だ」

「あ、あばりばどうごだいまじゅ……」

「気にするな。むしろ無理をさせてすまなかったな」

「びえ、びゃたじがたいぎょくなじゃじゅぎるじぇいなのじぇ…」

「今はランニングを頑張っているのだろう? なら、これからだ」

「ジョセフ様はどうしてラウラ様が何を言っているか分かるのですか……?」


 疲労のあまりボロボロの滑舌になった私とお兄様の会話は、余人が理解できるものではなかった。

 家族ならではのコミュニケーション!

 ……私とお兄様はまあ、そんなに会話してきた兄妹ではないのだけど、なんだかんだで長く一緒にいるので、何を言いたいかくらいは互いに分かるのだ。


 私はもう一生懸命に水を飲んで(一生懸命すぎて溺れかけた)なんとか喉を潤し、滑舌を取り戻す。

 今の私にとって滑舌はすっごく大事なものだから、大切にしないと……!

 『真実の魔法』で強引にしゃべりつつも舌が回らなくて舌噛んで死亡とかなったら悲劇を通り越して喜劇だ。


「はぁ……はぁ……空気が美味しい山だねジェーン……」

「申し訳ありませんラウラ様、あまりにも苦しげで説得力が……」

「空気も美味いが、魔力も感じる。なかなか面白い山だ」


 魔法音痴な私にはお兄様のいう魔力というものはまるで感じ取れないのだけど、神(他称)が住んでいただけあって、それなりに特別な山らしい。


「あっ、そういえば勝手に登ってきて良かったのかな?」

「もう信仰は薄れてますし、大丈夫ですよ」

「そもそもその神に許可を貰っているしな」


 そうだった! ナナっさんが許可をくれた時点でなんの文句もあるわけがなかった!

 い、いや、信仰と神の意思は正確には一意に定まるものではないとは思うけれど、そういう面倒なことは置いておいても、もう昔とは違い踏み入ること自体を問題にされないようだった。


「しかし、ここから更に傾斜が高くなるな……ラウラ、大丈夫そうか?」

「大丈夫と言いたいところですが嘘がつけません! 無理だと思います! いえ、もちろんこの命を限界まで酷使し、足が折れ、踵が砕ける覚悟でいけば可能かもしれませんが、わ、私の根性が足りません! すいません!」

「大丈夫ですラウラ様、そこまでの覚悟を持つ場面ではありません」


 ここにきて最大の問題、私の体力が壁となって立ち向かう。

 というか、もはや下山すら困難に思える状況かもしれない。

 下りることすら体力を使うのが山登りの厳しいところ。

 登っても死、下りても死……。

 ならせめて前を向いて死にたい!


「ラウラ、ほら」


 不屈の根性で登る覚悟を固めていると、私の目の前でお兄様が腰掛ける。

 その背中はとても大きくて、安心感が全身から溢れていた。

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